議論に関して、二者間であれば、基本的に双方に言いたいことはあるのだ。
個人的には一応論点が整理されればそれでいいと思っているが、中々そうもいかないのが現実である。
相手が議論を勝負だと思っている場合がそれで、論戦とか舌戦の果てに己の正しさを相手に認めさせたい人を相手にする場合、考えをすり合わせることができない。
あちらは「~というわけで、私のほうが正しい」という具合に話をしたいわけで、考えたいと思っているわけではないのだから、それも仕方がない。
モチベーションの違いということで。
ところで議論を勝負として考えた場合、当然ながら、ボードゲームなどと同じく後手のほうが有利になる。
例えばレッテルは、先に貼ったほうが強く、後手番が「そんなことないよ!」と言っても、かっこ悪いだけで、基本的には損である。
批評とかそういうジャンルには元々そういう性質があるが、これも一次創作ありきのジャンルだから仕方がない。
何か他の意図が透けて見えるのは気持ち悪いが、そう珍しいことでもない。
文書でやりとりする場合、性質の悪い人間を相手にすると、読み手に悪印象を与えるような余韻を残して「これで終わりね」と相手に話を締め括られたとき、後から何か言ってもこちらのほうが「粘着」しているようになってしまう(傍からそう見えてしまう)だろう。パフォーマンスの問題だが、結局そう見えるのだから、この場合にも、対話の相手を間違えたのだ、と思うことにして退くのが吉ではないだろうか。
議論は勝負ではないが、議論の動機を共有できなかった場合、それは準備不足という事で仕方がないのだ。それに私だって見ず知らずの人にいきなり議論を吹っかけられたりしたら同じように(咄嗟に)自分の正しさを証明しようとしてしまうかもしれない。
そういうわけで反論する前に、前提となる舞台設定をできなかったことを反省し(面倒くさいということもあるが)、私は諦めようと思う。
議論には種類がある。やりたきゃ議論の仕方でもググって、それにのっとってやってくれる相手を探せば?けど、現実には議論したい奴なんかいない。自分の正しさ棍棒で相手をぶん殴...
支離滅裂。語学力を鍛えよう。日本語に対してだけで良いので。