だからかなあ。そもそも自分が社会や個に対して寛容であってから、初めて自分を社会的な存在として戒めるのがマナーでは感。
マスである鉄道会社がまず不寛容を煽って個と個をギスギスさせることしか、マナーを守らせることができないという攻撃的な方針になっている。
排他的なマナーより前に混雑緩和だの人間が使う機械の変化(モバイルとか)に応じて求められる行動をきちんと整備することのほうに注力してほしいと自分は思う。
実態のない不安の解消、犯罪ではないことへの過剰な攻撃に対する冷静な対話。おそらく客同士のトラブルを「面倒くさいから全部マナーとして緩やかに取り締まろう」という気持ちがあるのだろうけど、経済と同様に心の余裕・寛容性が低下している日本においてはヘイトを貯めるだけ、より個人的な不快さを肯定し過剰な攻撃に至らしめるだけになってしまうのでは…と思う。
もちろん弱い人が個人的な不快で声を上げるな、ということではない。かばんで押しつぶされていた小学生はあのポスターの主人公にもちろん怒っていい。あれは身体に対する明確な害を与えるものだから。しかし、ポスターのメッセージとしては酷く深刻に自分を責め立てているのがとても気になる。