とうとう婆ちゃんが亡くなった。
思えばここ10年くらい死ぬ死ぬ詐欺を繰り返してきたけど、今度は本当。残念だけど。
97歳、老衰、ホームで看取られての大往生、死に方としては理想だと思う。
でも先週発した(と教えてもらった)「まだまだ生きたい!」
という言葉の裏はどんな心持だったんだろう?なんてふと考えてみる。
だから今生切だと思えば、周囲の人間と別れるのが寂しく、といったところなのだろうか。
なんとなくそれが当たりだとは思う。
爺さんと死に別れて60年以上経っていて、あちらで再開といってもピンとくるはずも無く。
それでも振り返ってみれば、ひ孫を7人も見られていること、金銭的な不自由は経験していない、
と、事故で爺さんに先立たれたことを差し引いても幸せな人生だったと思う。
婆ちゃんの魂みたいなものは存在しなくて、もう完全にこれきりだと思うとやっぱり寂しい。
ここ1,2年は衰弱が激しくて、記憶の中にある婆ちゃんとはだいぶ違ってきてたけど、
もうそんなに長くないとは思っていたけど、いざその時が来るとやっぱり実感が湧かないや。
思い出そうとすると浮かぶのは、こたつで一人パズルに勤しむあの姿、
テレビを見て、あと俳優が好き、あの女優が嫌い、とぶつくさ文句をいう様、(基本イケメンが好き)
もうちょっと老成したら?なんて小学生の頃から思っていたりはしたけど、
そういうところもひっくるめて好きな婆ちゃんでした。
もしもあちらの世界があるのなら、いつかまた会いましょう。