だから、母は何時だって娘に手伝って欲しいと思っていたらしい。小さい頃からよく怒られた。
私は怒られる度に謝り、母を慰めた。
今考えると母にとって怒るということは、一種のストレス発散法だってのだろう。いつも怒る度に母の父への愚痴や辛かった過去の話を聞かされていた。
母の求める手伝いは私の技量を超えていた。
母は私が上手く米を研げなかったり、上手く調理できない度に「何で邪魔ばっかりするのか」「どうしてこんなことも出来ないのか」そう怒った。
私は辛かった。母の期待に沿えない事が、そして母に怒られることが。
しかし、私はどこか間が悪くて。母がイライラする夕食の準備中に、台所らへんを度々うろちょろするから怒られるのであった。
思うにいつも兄弟が夕食時には自分の部屋に籠っていたのは、逃げるためだったのであろう。
私は大人の顔色を気にする子に育った。
何より大人に怒られることが怖くなった。
それは死を意味していた。
包丁をまな板に叩きつけて怒鳴られる恐怖。母の鬼の様な形相。凄まじい罵声。
怒られるたびに、相手の顔色が悪くなる度に私は母を思い出した。
母は私に色んなことを教えてくれた。
・一度に幾つもの仕事をこなし、考え実行出来る人間でないといらない
・親しい人などまやかしだ。友達とは裏で悪く言っているものである
・相手の言いたいことを察せなければいけない
他にもある気がする。
貴方の教えのお陰で娘は大きくなれました。
今では立派な引きこもりです。
私は他人の顔色が怖い。優しくされるのが怖い。友達という存在が怖い。悪口が怖い。場の雰囲気にとけ込めないのが怖い。失敗するのが怖い。色々な恐怖と強迫観念に囚われながら日々過ごして居ます。
私は母を愛したい。
そのために私は私の中の母を殺したい。
「母」を「兄」もしくは「弟」に換えてやり直し。
増田が憎むべきは母親をまったく気遣わない父親