こいつさぁ、事あるごとに「収入の多寡とか社会的地位で人の価値を推し量ることは卑しいことです。わたしはカーストゲームになんか乗るつもりはありません。ほんとうの豊かさとは人格の高貴さにあるのです」みたいなこと言うけど、なんつーかそれわざわざ言うのって逆になんかコンプレックス持ってんじゃねえのと思うんよね。
何かを持っていて幸せな人って、その持ってるものを嬉しくて自慢することはあれ、わざわざ自分が持ってないものを比較対象に持ち出してきて、「こんなものより私のもってるもののほうが素晴らしい。やっぱりわたしは幸せなんだわ」とかしないと思うんだよね。
口ではカーストゲームから降りる自分のことを自画自賛しつつ、やってることは自分に有利なように新たなカーストゲームのルールを定めてるっていう。
なんつーかあれだ、幼稚園とかで自分が高所恐怖症で勝てねーからって、高オニ遊びから抜けて積み木遊び始めるんだけど、まぁ積み木遊びだって悪くないけどほんとは別に積み木遊びしたいわけじゃなくて勝てないのが悔しいからそれやってるっていう気持ちが半分ながら遊んでる園児みたいな。
なんでこの人はそんなに自分の周囲が悪意に満ち溢れているように見えているのだろう。というかわざわざ自分から悪意に満ちた場所にのこのこ出向くか、悪意が無ければそれをでっち上げて周囲の人間に当てつけてるように見える。
相対的に自分の立ち位置を上げて、自分が正義の人間なければならないっていう、ほとんど強迫観念に近い衝動で動いてるように見える。
それとも何か嫌なことがあって、無意識のうちにその原因を周囲に転嫁しようとしているのか。
とにかく周囲が悪人でなければ気が済まない。社会は悪で満ち溢れていなければならない。何故なら私が善良な人間であるためにはそうである必要があるから。そうでなければ私は何も持っていないことになってしまうから。
なんにしろ病的なひとだと思う。