2016-01-24

3年前の日記から、どこかから写した気味の悪い文章が出てきた。

「14時間以上の過酷労働

単純作業の超底辺職。

高校生カップルが歩いている。

ここで高校時代遊びまくっていたら、

「ちきしょううらやましいな」ぐらいには思うだろう。

逆に、まったく遊んでいなかった場合、本当に憂鬱になるというか、

自分は今一体何をしているのだろうかと喪失感に追われる。

ただ悔しいのは世間はこういう人間犯罪者予備軍と見ている。

憎しみも干渉するきも何も無い、実際カップルのことは何も考えていない。

ただ心の中は自分人生をむなしさだけを振り返り憂鬱になってるだけ。

世間はこれ以上追い討ちをかけて何がしたいのだろうか?

その行為こそ犯罪者予備軍を生むきっかけになることがなぜわからないのか?

他人幸せ自分幸せ、それで他人を恨もうなんて思わない。自分に対してため息が出るだけ。

ただ幸せじゃないという理由で、犯罪者予備軍の危険分子と決め付け、偏見を持ち差別する行為

幸せじゃない人間犯罪率は高い。でもそれは幸せじゃないからではなく、

幸せじゃないことによって、他人攻撃を受け、差別排他的な扱いを受けることにより、

心の中に憎しみが芽生える。

から受ける悪意こそ犯罪率を増加させるのだ。

なんか話が脱線しまくった。嫌なこといっぱい思い出したぜ」

文末に貼られていたURLリンク切れ

どうにかこうにか大学をでてそこそこに暮らしている僕とまるで接点のないこの文章を 、

当時どういう思いで記録に残そうと思ったのかは今ではあやふやになってわからないが、

なんだか葬り去ろうとすると心が苦しくなるのだ。

大変身勝手だが供養のつもりで、ここ増田に放たせてもらうことにする。

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