2015-10-11

和製アパルトヘイトの話

私が住むシェアハウスには、トイレ風呂が2つずつある。

管理人日本人が、それぞれ1つずつのトイレ風呂を『日本人用』にしてしまった。

シェアハウスの住人の半数以上はベトナム人

日本人用』のトイレ風呂には鍵がかけられ、鍵を持っていないベトナム人は使えない。

通報した( https://www.jinken.go.jp/soudan/PC_AD/0101.html )。

まだ法務省から返信はない。返事は早くても連休明けだろう。

数学者である岡潔言葉を思い出した。

著書『春宵十話』の「宗教について」というくだりに出てくる彼の言葉だ。

少し長いが引用する。

太平洋戦争が始まったとき、私はその知らせを北海道で聞いた。その時とっさに、日本は滅びると思った。そうして戦時中はずっと研究の中に、つまり理性の世界に閉じこもって暮らした。ところが戦争が済んでみると、負けたけれども国は滅びなかった。そのかわり、これまで死なばもろともと誓い合っていた日本人どうしが、われがちにと食糧の奪い合いを始め、人の心はすさみ果てた。私にはこれがどうしても見ていられなくなり、自分研究に閉じこもるという逃避の仕方ができなくなって救いを求めるようになった。生きるに生きられず、死ぬ死ねないという気持ちだった。これが私が宗教の門にはいった動機であった。(中略)戦争中を生き抜くためには理想だけで十分だったけれども、戦後を生き抜くためにはこれだけでは足りず、ぜひ宗教必要だった。(中略)宗教はある、ないの問題ではなく、いる、いらないの問題だと思う」

私は信仰を持たないが、終戦直後岡潔感情はよく分かる。

見て見ぬふりができなくなり、救いを求めるような心持ちだ。

相手が神ならぬ"お上"というのがなんとも情けないが、他にあてはなかった。

必罰。

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