結婚って契約だから。お互いがなにを差し出せるか考えるのは大事。でもそれは愛じゃない。風俗嬢にお金出すからやってもらえるのと同じ。つまりお前の嫁は風俗嬢と一緒。
犠牲の精神がない愛は愛じゃない。これを夢見がちだと言う人は、愛とビジネスを勘違いしている。ありのまま受け入れ合おうとするのが愛である。どこかを受け入れられないときは傷つきながらも許容し求めてしまうのが愛である。なにかを差し出すことを求める奴が愛を語るのを見ると、アンナ・カレーニナに出てくるアンナの夫、あのくそつまらないカレーニンを思い浮かべる。「おまえ生活できへんやろ?わかるやろ?な、あいつと別れてちゃんとしてくれたらおいらが生活させたるで」ファァァァァック!ファァァァァックカレーニン!
恋愛の基本として、なにを差し出せるか考えよう!と言う奴が最近は多いけど、そいつらは愛がなんたるものか一ミリも理解していない。打算によって成り立つ愛はビジネスでしかない。お前らがこうすれば付き合える!とか言ってるのはキモオタが発情した挙句五反田の風俗街でオロオロしながら風俗嬢に金をつぎ込んでるのと一緒だバーーーーカ。
ダメな自分でも愛して!ってママを求めてんのかよ!とかツイッターで最近見かけるけど、そんなバカの嫁は風俗嬢だと俺はみなしてる。もちろん、よりよく生きようとするのは愛とは関係ない自明の大前提である。よりよく生きようとさえしていれば、まるごと受け止められようとするべきだ。それで拒否されたならよりよく生きるのが足りていないだけ。
意味不明