バカなんだけど、なぜ無知に関する話題は「無知=バカであること」を前提に始まるのか理解できねぇ…
全然悩んでもないしむしろ頭カラッポの方が夢つめこめるとすら思ってるんだけど、なんか「バカは恥ずかしくて秀才はステータスである」みたいな空気が社会に蔓延してるじゃないっすか。あれがわかんねぇ。
わからなすぎて秀才の知人に「あ〜頭が肥大していると生活に支障を及ぼす〜身動きが障害され脳細胞にダメージを与える〜まあバカになりたいかと問われたならイエスと答える気は毛頭ないが〜」という主旨の話をされても「あっ、これイラつくべきポイントか!」って気付くのにかなりの時間を要するんだよね。
ピンと来ない人向けに例え話をすると、自分の体の中で、恥ずかしいと思ったことがない部分を想像してほしい。その特徴と真逆の体を持つ人がテレビや雑誌で褒めそやされて、自分の特徴が「多くの異性に好まれない」という理由で「恥ずべき」とされていたらどうよ?って話よ。
個性を優劣に置き換えるってどうなのよ。
で、どうせこういう意思を表立って表明すると、あいつ劣等感隠すのに必死で強がり言ってるぜプークスクスとか言われるんでしょどうせ。知ってる。