約二万人のうちの一人のミサカ妹の「死」の悪さを評価するために重要な気がする事柄。アニメ超電磁砲Sのみによる。
・彼女の心理的連続性だか連結性だかは現実の多くの人間とは著しく異なる
なので心理的連続性とかに関して現実の人間の死に近いのは、ネットワークがある限り、ミサカ妹が全滅することだと思われる。
ネットワークがなくなれば、その点ではミサカ妹一人の死が現実の人間の死に近くなる。
ただしこの経験の共有が、主観的な体験そのものの共有か第三者的な観察かは重要。
味覚に関する描写からは主観的な体験そのものの共有のようにも思われるが、
激しい苦痛に関する描写を考えると第三者的な観察かもしれない。
(かなり多くの人間は、一回でも作中のように自分が殺されかけた記憶が残っているだけでも、
その生々しい記憶によって苦しみ続けると思われる。)
しかし、作中のミサカ妹の発言に「自分らは感覚を情報としてのみ受け取るようになっている」のような発言があり、
これは実質的には苦痛の生々しさのみがないか弱められているということなのかもしれない。
なぜなら、彼女らは風景に感嘆したり、アイスクリームを美味しいと感じたりしているような反応をしているので、
・彼女らは苦痛は覚えにくいようだが、快楽は穏やかにではあるが十分には覚えているように思われる
これに関して接続詞とかが英語の女性が彼女たちが苦痛を感じやすくすることによって
彼女たちが生き残りやすくしようとしたことにはまずいところがあるかもしれない。
仮にかなりましな状況だとすれば、彼女たちの同意を得るほうがよりよいだろう。
なぜなら、彼女たちは「死」を受け入れやすくするために感覚や感情を変化させられているのだろうが、
苦痛を普通に覚えるようにはなるが、ひょっとしたらそのことが彼女たちが生き延びることに貢献するかもしれないか、
……オリジナルの御坂自体が、人並みには苦しみやすいとしても、
少なくとも痛みは感じにくいとか、あるいはいわば痛みから意識を逸らすのが上手いとかで、
その特徴がミサカ妹たちにも備わっているのかもしれないか。
などとマスダはマスダは考えてみたり。
あの作者のことだからそこまで考えてないような気はする 作者の考えていることを言い当てたいっていうのとは違うんだろうけど