2014-05-07

ドン引きしていろいろ考えた話


 うちの会社ビルの前には公園がある。緑が豊かで昼休みはそこで弁当を食べたりする人も多い。気分転換にちょうどいいので、私もたまに利用している。

 公園が近くにある弊害というべきなのか、会社の窓から虫が入り込んでくることがたびたびあった。小さい羽虫からスズメバチまで多種多様な虫達が来訪してくる。小さな虫なら誰も気にしないが、スズメバチクラスが来るとパニックになる。そのため、会社には虫取り網が常備してあった。

 先日の昼下がり、睡魔と闘いながら書類を作成していた。窓の方から黒い影がすうーっと入ってきた。見上げると、かなり大きな虫が天井付近を旋回していた。ハチではないようだが、なんだか刺しそうな感じがする虫だった。

 このまま放置しておくとパニックになるので、私は常備してある虫取り網を手にとって、子供時代を思い出すように、虫の動きを読んで、狙いすまして、とりゃあと編みを振るった。

 虫は網の中で囚われの身となっていた。戦果を確認しながら満足感に浸っていると、また虫か、と先輩がウンザリした顔で近づいてきた。

毎日毎日来やがって。うっとおしい」

 先輩はなんのためらいもなく無慈悲に虫を踏みつけた。そして、無言のまま自分の席に戻っていった。残された私は踏み潰された虫の死骸と、網に付着した体液を呆然として見ていた。

 なぜこうも容易く命を奪えるのか。その始末を他人に押しつけられるのか。私はドン引きしていたのだ。

 しかし、今になって思うと、家でゴキブリを見かけた場合、一ミリも慈悲など与えず容赦なく命を奪いさる。生きていくためには不要な殺生である。私もまた先輩と何ら変わりはない。ならば、私が先輩の行為に対してドン引きしていた理由は何なのだろうか。

 人間と虫。他人と家族。命の価値主観によって変動する。ゴキブリとその他の虫では、私の中で命の価値が違うということなのだろう。

 しかし、どちらも無駄な殺生である無駄に命を奪うのは避けるべきだと私の理性は告げている。ならば、私はあのおぞましいゴキブリを生かすべきなのか。存在を許すべきなのか。

 それは難しい。私は心の底からあの生き物を嫌っている。一匹でも多く減らしたい。存在を抹消してやりたい。しかし、それは無用な殺生である

 考えても未だに答えは見つからない。

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