障害のある子どもを普通級で過ごさせたい、共に育てる(共育ち?共育ともいうらしい)ことにやたら拘る親って
なんなんだろう。単に自分の子どもが障害児扱いされるのが嫌なだけなんじゃない?って思う。
普通クラスに入れても大丈夫な子もいるけどな、そうじゃない子もいる。
問題行動がある子、身だしなみが出来ない子は苛められる。子どもは残酷で異質なものを異質なまま置いておける
なんて思わない方がいい。
もちろん苛める側の子どもが悪い。そちらに問題がある。
けど数の多さで言うとそっち側の方が多いわけ。苛める子どもたちを違うクラスに分けるよりも障害児1人を違う
部屋で過ごさせる方が効率がいいと思わないのかな。
ひとりぼっちの支援級なんて寂しい学校生活、と思う人も多いのかもしれないけど大勢の中でひとりぼっち、
ましてや身の危険が及ぶかもしれない方が寂しいよりも辛いよ。
苛める方が悪いのに、どうして苛める方が外されないのかと怒る人もいるけど、外す=悪い方って考え方自体が
後ろ向き。
支援学級や支援学校で受ける授業はレベルが合ってないとか低過ぎるっていう人もいるんだけどさ。
何望んでるの?彼らにとって数学や英語がそんなに必要かね?うちの子、勉強は出来るんだけどーって言いたいだけ
ちゃうんか?勉強が出来るからなに?って思うわ。学習したそれらは記憶されるだけで終わるよ。そこからの
進展も拡がりもないんだよ。それよりも支援学校で無理のない学習で達成の喜びを何度も獲得していく方が
その子の人生にとって良いと思わない?最終学歴が普通学校であることの方が人生に役立つ?
障害は治らないのに?
「障害が悪いことなんて思ってない、自分は子の障害を受け入れています、でも普通に育てたい」
「うちの子はちょっと個性的なだけ。学校や社会が悪い。すぐに障害者にする」
どっちも同じようなこと。どっちも我が子が障害児と言われるのが嫌な人たち。差別意識を持ってるのは
あんたたち自身だよな。普通にこだわり過ぎなんだよ。普通の人は『普通』になんかこだわらないって。