2013-11-23

Webで踊るJASRACアレルギー音楽家

友人の駆け出しミュージシャンJASRACアレルギーである

JARSAC関連のニュースがあれば、Twitterで「悪の枢軸め!」的なつぶやきを残す。

しかし話してみると実態を理解しているのではなく、インターネットで得た情報による批判に終始し、

どうやらJASRAC=悪という結論ありきで物事を考えているようであった。

もちろんJASRACにも問題点は多々あるわけだが、何がなんでも批判していりゃいいってもんじゃない。

まして音楽家ビジネスとして本気でやっていくなら、その是非をまともに考えるべきなのだが…

この例に限らず、ネットに強く影響されると、人は「絶対悪」のような存在を作り、

物事を簡略化し自分に都合よく読もうとするようになるのは周知の通りである

東電だの韓国だのを悪と決めつけて行動の良し悪しを精査せずとにかく叩きまくるのはさぞ気持ちのよいことだろう。

更にそれが進むと、無関係であった「絶対悪」同士がつながりを持っていると考えるようにすらなっていくらしい。

そうなる前に、以下の点に気をつけて、逐一立ち止まって思考する癖をつけなければならない。

1.情報には事実と発信者の考えが含まれている

「嘘を嘘と~」という有名な言葉があるが、気をつけるべきは情報の真偽のみではない。

ネットしろ新聞しろ情報には事実だけではなく、発信者解釈意見が必ず含まれる。

信者によるもの事実と誤認すると、客観的に判断しているつもりでも自分の考えに偏りが生じるかもしれない。

ただし、解釈意見を含む情報が悪いという意味ではない。寧ろそのようなアウトプットは、相対的価値は低いと言える。

2.発信元を確認する

これも情報の真偽のためだけではなく、発信者の考えを理解するために必要である

どのような立場で、どのような考え方をする人間が発信しているかは、意見解釈する上で非常に重要

3.Web上だけに存在する事実ほとんどない

国民に知らされていない○○!!みたいな見出しをつけられた情報は多々あるが、

Web上に存在する「事実」のうち、本当にWeb上でしか知り得ないものは極小数である

Web上でしか知り得ないものとされているものの多くは発信者の考えである

4.発信する時は自分の考えを明確に含めるようにする

信者の考えに踊らされないようにする一方で、自分が発信する際には考えを含めるべきである

意見のない情報価値は低い。

だめだ、飽きてきちゃった。終わり。

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