http://anond.hatelabo.jp/20130531162958
元増田について思うところがあったので。
自分も昔同じようなことを考えていた。昔というか割と最近までだ。
けどそれって何だか違うと感じるようになった。
そもそも頭の善し悪しなんて遺伝による部分が大きく、後天的に伸ばせる部分が少ないからだ。
つまり自ら望んで頭が悪くなった人なんていない訳で「頭が悪い」というのは顔が不細工とか背が小さいとか、そういった個性なんだと思う。
そういった人間に生きる価値はないのかと言えば、必ずしもそうとは言えない
そして、こういった前提をふまえた上で、本当に生きる価値のない人間は別のところにいるように思う。
それは「自分」というリソースを「自分のためにしか使わない人間」だ。
自分は何も分け与えず、得られるものは全て得る「権利」があると考えている。
今、この社会で自分が得ている「利便性」というのは多くの先人達が自らを「犠牲」にし、
普通の人が10あるリソースの内、5しか提供しないのであれば、自分は7〜8を提供すれば良いのだ。
自分の持つリソースが少ないのであれば、自分への分前を減らし、他人に分け与えるのである。
一度自分の価値を認めさせることが出来れば、より有利な環境へ自分を持っていくことが出来る。
損して得取れとはまさにこのことである。
自分の存在理由など探そうと思えばいくらでも見つけられるのだ。
そもそも価値を出す上で「頭の良さ」が重要になる仕事なんてほんの一握りである。
大事なのは奉仕する心だ。逆にそれがない人間はどれだけ頭が良くても「生きる価値」はないと言える。
これらのことががアホらしいと思うのであればそうして生きれば良い。
しかし、「自分だけは幸せでいたい」とそう思って生きる人生にナンボ程の価値があるのだろうか。
自分の持つリソースが少ないのであれば、自分への分前を減らし、他人に分け与えるのである。 そうすれば自分自身の相対的な価値はあがるはずである。 一度自分の価値を認めさせ...
誰にも分け与えない人間のその行為も、社会に競争力という副産物を生み出しているんだよ。