俺も先輩として書けるかな。
少なくとももう母からのネグレクト、兄からの精神的、身体的虐待の過去を持ちだしてわーわー言う必要はなくなった。
自分がACに気付けたのは良かった。ACであると自覚し、過去を振り返り、死にそうになりながらも自分の生き方、あり方を模索して、現在に至ってる。
でもACは生涯ついてまわるものではない、というかそうあるべきものではない。
自分がACであるということに固執すると、それを逃げ口上にして、免罪符にして傲慢に振る舞いたくなることがある。そうなると悪循環だ。
辛い気持ち、死ぬほどの絶望感にさいなまれるのは分かる。
他の人は家族の話題で盛り上がると一刻も早くその場から消えたくなるだろう。
昔の写真も、母子手帳もない… 語りたくない、語れない幼少期…
でも、ACであると自覚している限り、そうした免罪符・逃げ口上を使い続ける。AC的視点で自分を捉え続ける。
早く捨てるべきだ。
ACの人のblogの主旨の多くは「ACなんだけど、ちゃんと生きてる… ちゃんと生きていこう…」と言ったもの。
違うんだ。ACは早く捨て去るべきなんだ。
捨て去れないから困ってるという気持ちも分かる。俺にそのための技術的なノウハウがあるわけではないからそこはフォロー出来ない。申し訳ないけど。
でも、一言いうなら、まず泣きまくるんだよ。そして自分を慰めてあげる。その上で自分を満足させてあげる。インナーチャイルドに出会おうとしたこと、意識の奥を垣間見れたことは+になった。
バカにしないでやるべきだと思う。
あとは徹底的に過去を分析する。感受性がなくても、虚無感に襲われててもそれは出来る。
紙に書いたり、パソコンに書いたりすれば、その記録は消さないから無駄にはならないよ。
最後になるけど、俺はサバイバーって呼称が好き。 一生懸命に生きようとする強い気持ちが宿されているから。
でもう一つ。 今辛い人は克服したって俺みたいな人間の言うことは話半分で聞いておいたほうがいい。
http://anond.hatelabo.jp/20110906174655 元増田です。どうもありがとう。 正直冷笑的な反応が返ってくるとおもったのでこういう反応は嬉しい。 今辛い人は克服したって俺みたいな人間の言う...