確かこれと言った記述は無かったはず。
というか、東京裁判とサンフランシスコ平和条約その他諸々の手続きで国際社会的には日本は「禊」を済ませたって事になってるから、それ以後文句を付けられる筋合いは無いんだけどな。
その国の犯罪行為を実際にしたのは軍人なわけで。加害者を崇拝することが被害者への誠意というのは根本からおかしい。むしろ加害者を否定的に評価することが被害者への誠意。空襲や原爆の被害者まではいいとして、税金使って軍人の追悼施設だけは絶対にやめるべき。
ポイントとしては戦犯問題については、極東軍事裁判を日本は国家として受け入れた、それが前提になって国際社会に復帰した、という事実があるので、それを覆すような政治的メッセージを送ることは、サンフランシスコ平和条約にもとづく政治的枠組みを壊すものだと見られても仕方がない、ということ。
Twitterは、UNIXシステムにおけるwallコマンドを無制限解放しているような物で、全ての発言を垂れ流し、受け取る側がその発言を表示するかどうかを判断するフィルターをかますサービスと私は解析している。
大量の発言をブロードキャスティングする都合から、発言の文字数に制限を加え、たとえばURLのような比較的多く使われる文字列を短縮表記できるbit.lyのようなサービスを使っている。
サクラを使って企業サイトの宣伝を流すと、最初は、企業サイトを見に来てくれるかもしれない。しかし、それがサクラであることがバレた時点で、その発言者はフィルターリストに入れられ、発言を見てくれる人を失うことになる。アカウントをでっち上げて別人として始めたとしても、リンク先の短縮表記が同じならば、そのリンクが発言の中にあったからという理由でサクラであるという判断が下されて、非表示となる。つまり、newcomerだけしかサイトに引き込めないという点、さらに、サクラを使って宣伝している会社というネガティブイメージを持たれてしまうというデメリットが発生する。
これは、企業の宣伝目的のBlogをでっち上げて、有名サイトにトラックバックを入れまくって、それらのサイトの閲覧者を引っ張り込もうとするのと同じようなモノで、最初の一回は効果があるが、効果よりも悪名の方がとどろく事になる。
つまり、利用者を装って宣伝をしようという考え方は、間違いなのである。
多くのサイトからリンクを張られると検索順位が上がるという構造に対し、リンクを捏造して検索順位を上げるSEOが発生したが、Twitte以降は、サーチエンジン経由の来訪者よりも、bit.lyの短縮表記URL経由の来訪者の方が多くなってきている。既に、サーチエンジンの来訪者誘導力は、Twitterに負けているのである。
ブログや掲示板で話題にするよりも、Twitterで話題にされ、それを見た人がリンクを辿ってくるという構造があるならば、Twitter自体に広告を押し込むか、リンクの先のサイトに広告を入れる事を考えた方が効率的といえるし、twitter.会社名.comという中継サーバーを提供して、そのサーバーを利用するユーザーのログイン時とログアウト時に表示するメッセージを自由にする権利を入手するという手もある。中継サーバー同士の通信は言語や地域によって分割可能であり、総流量を押さえられる。Twitter社にしても、リンク先の情報源にしても、霞を食べて生きているわけではないのだから、ねじ込む隙はあるであろう。
なお、私はTwitterを使っていないので、この予測は間違っている可能性がある。さらに、Twitterを使わない理由であるが、IRCが複数サーバーを使い、さらに、世界を言語や国境に従って分割して運用しているという現実を見ているからである。Twitter社の挑戦は面白いが、IRCとして長年運営されてきた安定性や抗堪性に追いつくまでの投資は難しいし、非合理的であると判断しているが、Twitterがサーチエンジンの鼻をへし折ってくれるならば、それはそれで良い事なので放置するというスタンスである。
Blogによるリンクやトラックバックの増加は、サーチエンジンを慌てさせたが、サーチエンジンそのものの利用に依存するという点で、構造の変換にはならなかった。しかし、Twitterは、リンク先サイトの推薦者と直接話が出来るという、リンク先の価値を生身の人間が保障する構造になっており、リンク数による重み付けやサーチエンジン側の基準でのレーティングといった不透明な評価とは別の評価基準を持ち込んだ事になる。このサーチエンジンに依存しないインターネットカルチャーがどこに行き着くかは、もうしばらく様子を見なければわからないのだが、興味深い変化である。
しかも落としどころを決める権利が(いつそれを行使するのかも含めて)完全に向こうにある点。
イチャモンに甘い顔してればなんでもそうなる。
それで相手が納得しているのかどうかは全く分からんけどな。
仮にその時納得していても、後からなんぼでも蒸し返せるネタだし。
靖国問題のウザい所は、解決の落としどころが全然見えない点。しかも落としどころを決める権利が(いつそれを行使するのかも含めて)完全に向こうにある点。
だから向こうがその気にならない限り、こちらがどれだけ努力をしよう誠意を示そうが永遠に問題が続くんじゃないかという疑念があるわけ。
個人的には、向こう側から「○○したらもう何も言わないよ」という条件提示が無い限りはシカトぶっこくのが無難だと思うんだが。
まず高相が捕まって
それが駄目だと見るや機転を聞かせて家に戻って
大量にあったシャブを処分して2人の罪を軽くした
その上で最後に1人で逃亡した
今晩ニートやってる弟と二人で飯を食うことにした。
俺:35
長男、会社員、実家を出て所帯持ち、弟が小さいときに家を出たからあんまり接点名無し
弟:26
三男、3月まで大学の受験勉強していたから、この4月からニート
過去に大学には入学したが「自分のやりたい事ではない」として退学、「やりたいこと」のために
再度、大学受験を志していたそうで。
妹から弟を「何とかして」と要望を受けて、長男の自分が出ることにした。
親もそろそろ定年だしな。
兄としては、働くよう促したいのだが…、このご時世、このスペックでは雇ってくれる会社すらあるか不明。
とりあえずアルバイトさせるか、ハローワークでブラックでもいいから正社員をさせるか。
俺は10代から働いているから、20代半ばまで働いてこなかった彼を理解できない。
どうしていいやら悩んでる。
あれはナチのやったことでした、というのと同じ落としどころだよな。
抗争当時の組長をやめさせて、あいつのやったことだということで、手打ちをした。
んで、しばらくして、その元組長が死んで盛大な葬式を組でやったら、手打ち反故にするんかい、と
相手の組から文句は来るよな。
高頻度取り引きシステムと訳すべきを、高周波取り引きシステムと翻訳して、あさっての方向に説明が行っているのが、活字媒体に出ているらしい。
そもそも、高頻度取り引きが可能な状況というのは、高速で注文が執行されるという状況である。これは、arbitrage(アーブ、裁定取引)をやる時に、絶対に必要な条件となる。アーブは、同一の銘柄が複数の市場に上場している時に、価格にズレが発生した瞬間を捉えて売買を行い、利益を上げる。ここに、HFTが必要な理由がある。ほんのわずかでも乖離した瞬間に、乖離したことに気がつかない間抜けの注文を、他の誰よりも早く売買を成立させて取り込み、ノンリスクで利益を捻り出すには、HFTが実現可能な程の取り引き環境を物理的に準備するというリスクが必要となる。そして、HFTを実現させる為のリスクを背負ってしまったら、アーブをやり、利益を上げなければならない。
同一銘柄という定義には、ETFやダウのような合成銘柄と、その構成銘柄のセットでの売買という手も存在する。こういった機械的アーブが通用するのはHFTが実現可能なマーケットに上場しているモノに限られる為に、あまり適用範囲は広くないが、それでも、回転売買で量を増やせるので、ある意味では、ドル箱に出来るとも言える。そして、注文成立の優位が維持できる限り、アーブの利益を独占し、ぼろ儲けを続けられる。
こういった手法は株屋の裏稼業であり、投資銀行がやる事ではないという建前があったのだが、一度投資を始めてしまったら、そして、それで利益を上げてしまったら、投資を回収するまで止められないし、利益を確保できる以上、続けざるを得ないとなる。
目立たないようにやっているうちは問題にならなかったのであろうが、世界中が大不況で決算が赤字になっているときに、のうのうとアーブで黒字にしましたとやったら、それは、目立ちすぎるとなる。
さらに、注文成立の優位を確保・維持する為に、取引所に対してアンフェアな工作をしていたという話も出ているとなれば、"ちょっと頭を冷やそうか?"という話になるのも当然となる。
複数の市場において別々に、同一銘柄が取り引きされているのであれば、値段にズレが発生するのは当然で、そのズレをアーブを行う者が均してくれているとも言えるのだが、本来の出来高とは言い難い点に問題がある。アーブを行った場合、買った物、売った物は、かならず反対売買される事になり、その時の受け手が必要になる。出し手と受け手の間にアーブを行う者が入る事で、結果的に、本来払う必要の無いお金を取られてしまう事になる。
流動性の確保というのであれば、恒常的にHFTを続ける必要は無いわけで、欲張りが過ぎると叩かれるという結果にするしか無いのだが、本当に叩いてしまうと、出来高をデコレーションしていたシステム売買が急速にしぼみ、株価も低迷する事になるので、それを避けたいという意思が働く可能性は否定できない。
落し所としては、取引所毎に注文成立の優位を設定する相手を別の資本系列にする事という内規をつけてごまかすか、あるいは、ダウ30種のように、アーブで食い散らかしても良い銘柄だけを集めたゴミ溜めを作って隔離するといった手法も、ありえる。
ダウ30種は、株屋がアーブをやっていた為に、株屋の資本力では動かせない程の大企業の株を集めてやれるものならやってみろと作ったゴミ溜めであったのだが、今の投資銀行の資本力では、ダウ30種ですら動かせてしまう事から、もっと大きなゴミ溜めを作るか、資本力を分割して小規模な存在に切り分けるかといった事が必要になる。
…アメリカは、金融に力を入れすぎて、金融に実業が振り回されるようになってしまっている。金融そのものでは人を幸せに出来ないのだが、金融が社会の主軸であるかのように振舞っている為に、発生している問題とも言える。
今の高速道路会社が保有管理する状態では、これ以上、高速道路は作れないし、修理の予算も取れない。耐用年数を延長する為の工事も架け替えも不可能である。というのも、高速道路の経費は高速道路の料金で賄うという制度をとっている限り、赤字が予想されるド田舎の道路は作れないし、既に作ってしまった分も。予算の制約から、使えなくなった所から、徐々に、供用中止として切り捨てて行かなければならない。
人口の伸びが止まり、また、国内での生産よりも海外からの輸入の方が安くて安定しているという状態になってしまっているからで、高速道路の料金を引き上げる事は勿論、現状を維持したとしても、赤字は免れない。
統計のマジックで交通量予測で利用者が増えるという予測を出す事は出来ても、その予測どおりに交通量を増やすことは出来ないのだ。
高速道路の国道化は、この問題をクリアする為の手段である。高速道路が道路財源によって管理運用される国道になり、表面的には無料化すれば、今以上に道路の利用が増え、鉄道や航空やフェリーの利用は減る。鉄道については、近距離の通勤線だけしか生き残れないだろうし、航空やフェリーは海を隔てて移動する海外航路以外は全滅すだろう。しかしその分だけ道路の利用は増え、道路工事や自動車の売り上げは伸びる。
駐車場の問題も表面化してくる。建て替えの際に営業床面積と同じ広さの駐車駐輪場を設置するという建築基準の改定による駐車場対策を実行しないと、人口密集地の利用価値は鉄道の通勤路線の効果に依存する事になり、人口密集地への工場建設が規制されている限り、ホワイトカラーの仕事が増えなければ、価値が維持できなくなっていく。
現在のように高速道路を私有財産化して高価な料金を取り続けると、新幹線やリニアや国内航空路や内航フェリーは需要が確保できる。その代わり、地方は疲弊し、農産物は海外からの輸入品に頼り、工場は海外に流出していく。結果、雇用も失われたままになるし、技術の開発も止まり、日本の将来は先細りとなる。
今の日本の長老議員達が生きている間くらいは持つだろうが、将来を考えるのであれば、高速道路無料化の決断はされて当然である。というか、状況に対して判断が遅すぎるくらいである。
有意義な政策とは、それを実現すれば、本来の目的の場所以外にも影響が発生するモノであり、それらの影響の波及効果を見越して、パッケージとして改革プランを提案しなければ、場当たり的とか、中途半端とか、改革は痛みばかりで失敗だった等といった反発が必ず出てくる。
良い政策には、日本をどのようにしたいのかというグランドデザインが見えるように、必要な施策が並べられて然るべきであり、省利庁益や派閥の利益や、献金を出している圧力団体の意向がばらばらに押し込まれていたり、幹部の思い付きででっち上げた為に、いったい何時になったら完全版が出てくるのかわからないマニフェストでは支持を失うばかりとなる。
ある意味、某石工組合の公共圏に対する観念は明確だと言えなくもない(笑。問題は、国民の「友愛」とは何物なのかという事について、どの程度の考察があるのかなぁ、と。それは気になるね。
アホ過ぎて萎えた。
>セブンイレブンでは値引きしない
A級戦犯云々は、彼らは当時の日本の指導者だったからじゃないの。んで、それ以外の国民は彼らの指示に従って「仕方なく」戦争
何をもって「靖国問題の解決」としているのかが俺と全然違うな。
その「特定の宗教性」さえ解消したら時の閣僚達は終戦記念日にそこに参拝すんの?
「A級を分祀したら総理の参拝を許可する」とかむこうは一言も言ってないんだし。
母親を助手席にのせて親戚の家に向かう途中に、オカモトの福島工場の脇を通った際に
母:あのオカモトじゃないの?
俺&母:(沈黙)
どのオカモトかはおいて置いて、親子の会話として如何な物かと息子は思ってみる。
ネットでも会社でも旦那はかっこわるいよねーみたいな意見で溢れているけどそうなの?
俺は普通のことだと思うんだよな。
奥さんを命かけて守ることが男の役割とかいうのであれば、守るってのは何よ?って話だしな。
男女平等とかはどうでもいいんだけど、これ逆にラリピーが旦那を売っても非難なんかされないだろ?
なんだか納得できないんだよなーこの世論。
昨日、居間のテレビをつけていたら、ハチ公映画のCMが「感動しました!」を連呼したあとに、鳩山さんが「絆を大事にする国に」とか言ってたのを見て思った。
結局、今の日本で可能な「絆」って、感動と恋愛とお笑いしかないんだろうな、と。
ぶっちゃけ、鳩山さんは「絆」「絆」と言うけれど、国民の絆=公共圏について、どの程度の見識がおありなんだろうなぁ、とは思う。今回は、政策の如何に関わらず民主党に投票すると決めてるので、それで投票先がどうこうというわけではないんだけど。
ついでなので、こっちの話もしようか。
今回、無条件に民主党に投票するのは、早い話が「既存の行政の枠外の人材に対して、政策決定に参画する経験を積ませるべき」という趣旨なんだけど。んで一方、今回麻生さんは「日本を守ってきた責任力のある自民党へ投票を」とか言ってるらしい。以前から、その手の言説には非常に違和感があったんだけど、最近なんとなくその違和感の正体が分かってきた気がする。
結局、その「日本を守ってきた」の部分って、本当に「今の」自民党の功績なんだろうか、ということなんだよね。基本的に、今の日本の行政を維持しているのは、官僚組織を中心とした「システム」であるわけだ(そのシステムに、人材の面から新たな血を入れるべき、というのが上で書いた俺の主張)。
もちろん、この50年余、自民党はその形成に大きな役割を(良くも悪くも)果たしてきた。けど、現時点においてそのシステムが(多くの弊害を孕みつつも)それなりに回っていることが、「今の」自民党に投票する理由と、果たしてどれほど関係があるのだろう。
政治の役割の一つって、システムとしての行政がある一方で、そのシステムに対して新たな方向付けを与える「決断」をする、ということが言えるんじゃないかと思う。その意味で、システムの現状に対する評価と、システムを導くことに対する評価って、本来的には別の話なんじゃなかろうか、と。
あのな、体だけが目的なのはいやだって女から拒否られてるっていうのはつまり増田が女の体に対して払ってる対価が足りないって言われてるわけよ。
女は増田が絶対に払う必要がない、妊娠というリスクを売ってるわけで、それには通常対価が必要なわけ。
それを増田がけちってるから抗議されてんだよ。
どうにかしたいなら対価を示して再交渉するか、もしくは条件折り合わないからってあきらめて他所の条件あう相手を見つけるしかない。
ほんとに好きなら対価とか関係ないけど、増田も相手の女もそんな関係築いてないし、女の方は築こうとしてたかもしれないけど少なくとも女には体しか価値がないとか考えてる増田にはそんな関係築くつもりはないでしょ。
だからこういう交渉になるのは仕方がない。
体目当てと言われてなんで女が不機嫌になるかは、お前なんて金もってこなかったら何の価値もないと男が罵倒されて不機嫌になるのと一緒。
増田がそういうことを言われて不機嫌にならないなら増田には女に異議申し立てする権利はあるけど、そこで不機嫌になる気持ちが分かるのなら素直に自分の払った対価が少なかったことを反省しなよ。
ろくに対価払わないで売ってもらえないって逆切れして復讐とかお前は万引きして逆切れしてる子供かって話だわ。
文句言われたくないならたっぷり対価を支払うか、もっと安くあげてくれる相手を探すこった(いないからこんなことになってんだろうけど)。