はてなキーワード: コードゴルフとは
開発環境がエラー出してるものは少なくとも完成品じゃないぞ!提出してくるな!
ググってコピペするのやめろォ!いや百歩譲って、理解してないのにコピペするのやめろ!動いてない!
パターンマッチング的にコード書くのやめろ!なんで新人なのに手癖が無茶苦茶ついてんの?これググってコピペしてない?いやしてんのかい
動くには動くけど作っただけですぐ捨てられたメモリが意味もなくジャブジャブとガベージコレクションの餌になってるのだが!だが!石油王か大富豪なの?
独特すぎるアクロバットやめろ!研修担当はたくさんの新人を相手にしててあんまり暇じゃないんだからお前の一見動かないように見えて実は正解してるコードとか読み解くの大変なの!なんなのマーベリックなの?研修担当はコードゴルフのフェアウェイじゃありません!もう開発現場行けよお前
意味がわからんね。
誰もトリッキーなコードやコードゴルフが絶対悪い滅すべきなんて言ってないし、
「遊び」や「芸」としてはそれなりにやられてるのを知らないのか。
そういうので競うためのサイトがあったり、
わざと難解に書いたコードでネタプレゼンやって賞賛されてたりするのに。
本当にそういう価値観に憧れてるんならそのくらい調べてきなよ。
てか、「可読性が高いコード」が賞賛されるのは「成果物としての」コードに関しての話だろ。
「プログラムを書くこと」ではなくて「プログラムを書いて何かを作り出すこと」を目的とした場合の価値基準だろ。
それに異を唱えたら「アホか現場の苦労を知れ」って言われるのは当然で、
それに対して「現場のことなんか一切興味がない」って返しは筋違いだろ。
あとね、「可読性の高いコード」を「愚直」とか言うのって、
「写実的な絵画など面白くもなんともない、ピカソを見ろ!あれこそが芸術だ!」って言ってるような感じがする。
ピカソ絵すげー上手いし写実的な絵も書けてこそのあの絵なんだけどなぁ、それで芸術語っちゃうんだ、みたいな。
最後に言っておくけど「トリッキーなコード」と「スパゲティーコード」は別物な。
「何故君たちは街中にゴミを撒くのを止めてしまったんだ!ゴミに復権を!」
「なにをふざけたことを言ってるんだ。誰が掃除してると思ってんだよ。」
「いや、僕が言ってるのは街を美しく飾る、利用価値のある、素敵なゴミの話であってですね…」
「それはゴミじゃねーだろ。」
オレはスーツなんてカッコいい服も着れず、ギークみたいなスマートな考えや自己表現もできず、
工場勤務の「作業着」な組み込みソフトウェアエンジニアだった。
何となく地味な感じがし、それが嫌で組み込み系の開発から離れ、Web系とかオープン系?的な仕事に移った。
From マイコン上でC/アセンブラ To Windows/Unixサーバ上でJava/C#/VB/Perl...+色々なライブラリ/フレームワーク
スーツを着て直接お客さんに会う機会も出来たし、瑣末なモノだけど自分が利用したオープンソースに対してパッチを送ったりもした。
でも、なんか違う。本当のスーツには敵わないし、ギークみたいにいろんな事を知らない。なんか仕事の達成感も少ない。
今になって思ったよ「作業着」を着て開発してた時がすごく楽しかったって。
何時も「作業着」を着てコードゴルフをしてた気がする。(必要に迫られてだけど)
Webアプリ作りなんかより色々と考える時間が多かった。独自の制御アルゴリズムとかね。
上で書いた地味な感じというのは、着てる服が「作業着」で工場勤務だからオレって土方だよなぁって当時は自分で思ってたから。
でも、今やってる事の方がよっぽどIT土方だなぁって思ってる。
なんかここ↓見てたらモノ作りしたくなった。
http://monoist.atmarkit.co.jp/
いや、そんだけです。
可読性の高いソースコードが良いコードとされるに至ったのは、一体いつ頃からであっただろうか……。
その結果、何が起こった?
難解だが愉快なスパゲッティコードは悪となった。呆然とさせられるあの遊び心に満ちたトリッキーコードは悪となった。感動のコードゴルフもまた悪手とされた。
プログラミングとしての技巧的なものに取って代わって、より安易なコードを書くことが良いこととされるに至った。よりテクニカルな、たった一行にも知識と労力を要するコードよりも、誰にでも読めるようなコードが良いとされるに至った。
じゃあ、ぼくらプログラマを志すものは、一体何がしたかったんだ? ソフトウェアを作りたかった? 断じて否! あの考え抜かれたコードの中に美と情熱と思想とを感じ取り、それに憧れたんだ。愚直なコードに誰が感動しよう、誰が憧れよう! 誰にでも作れるようなソフトウェアでも構わない、他の誰にも書けないようなあのコードを書いた人々と、そのコードに憧れたんだ。それを解読できる人々に憧れたんだ!