2023-06-23

20年前に亡くなった母への後悔をつらつら書く

母は20年前、増田中学生の時にガンで亡くなった。享年40歳とかだったかな。若いよね。

なぜだか最近になって悲しさや後悔をぽつぽつ思い出すから、吐き出したくてこのエントリーをしたためてみることにした。オチはない。

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増田小学校高学年になる頃には母の入退院がはじまってて、父は仕事があったし、なおかつ妹弟もいたか家事自分がやってた。よく考えたら今で言うヤングケアラー?周りからはあまり理解されなくて辛かったな。

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当時は今みたいにネット環境がよくなかったんで、入院中のコミュニケーション手段として母と増田交換日記をはじめた。

でも増田学校部活で忙しくて、かつ思春期の照れもあって、すぐに自然消滅してしまったんだよな。死んじゃうんだったら、もっと続ければよかった。ノートは取ってあるけど、後悔がでかすぎて封印してある。

というか、もっとたくさん会話すればよかった。面会中とか、なんなら最後の方は治療の術なしってことで自宅療養してたから、時間たっぷりあったのに。どうしてできなかったんだろう。

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母が亡くなった日は授業中だったんだけど先生に呼ばれて、「お母さんが危篤から病院に行きなさい」と。

病院に着いたらいろんな機械や管を繋がれた母が「苦しい、苦しい」って言ってた気がする。親戚一同も集まっててさ。そのうちに医者が来て、もう保たないからってモルヒネ投与して。

そしたら、モルヒネによる幻覚なのか知らんが赤ちゃん返りならぬ子供返りしてたのを覚えてる。増田祖母、つまり母の母親ジュースをねだるんだよ。冷たくておいしい、もっとちょうだい、ってさ。その目には、増田は映ってなかったと思う。自分は親で子供がいるってこと、もう分からなくなってたんじゃないかな。

お母さん本当にもう最期から、近くで声かけてあげて、触ってあげてって周りの大人から言われたけど、できなかったよ。だって増田が知ってる母じゃなかったから。怖いと思ってしまたから。

だけど本当は声かけて、触ってあげなきゃいけなかった。それができなかった。産み育ててくれた人なのに、きちんとお別れできなくてごめんなさい。

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増田自身も子を持つ親になって、自分はどんなふうに育ててもらったかななんて思い返す機会も増えた。けど20年も経てば覚えてないことの方が多くて、それも最近よく後悔を思い出してしまう原因なのかも。

つらつらと書いてみてあらためて思うけど、この後悔はきっと死ぬまで消えないんだろうな。

  • 中学生なんて中身はまだまだ子供だし、仕方ないと思うよ。お母さんの方は、ちゃんとお別れできなかった、してくれなかったなんて思ってないかもしれないよ。 勝手な想像で申し訳な...

  • 早死にした母親だけが良い母親だ。

  • 病気が悪くなっていくのはお別れの準備ができるから急死よりはまだよいという意見もあるけど、家族がもうすぐいなくなってしまう状況下でそんなに落ち着いていられるものでもない...

  • 病気が悪くなっていくのはお別れの準備ができるから急死よりはまだよいという意見もあるけど、家族がもうすぐいなくなってしまう状況下でそんなに落ち着いていられるものでもない...

  • 旦那さんと子供を愛してあげる事が何よりのお母さんへの恩返しになると思うよ。 お母さんの分まで長生きして、たくさん楽しい事経験してな

  • 死ぬ時にそばに居てやれただけで充分だよ

  • そうやって思い出してあげることが、お母さんへの供養だよ。 というか、お母様からしたら「いやいや、死ぬ前はそうかも知らないけど。もっと楽しい思い出もあったじゃん?(笑)」な...

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