2023-06-13

表現の自由戦士から見た刑法175条とゾーニング

https://anond.hatelabo.jp/20230613103158

刑法175条

俺は表現の自由戦士として、刑法175条は廃止するべきであると考えている。理由は次の2つだ

A.チャタレー裁判への疑問

チャタレー裁判最高裁判決が出たのは1957年でまだ戦前から司法が色濃く残っている頃であり、その判決現代まで続けることに疑問がある。とりわけ、チャタレー事件ではわいせつ図画を規制する理由として『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない』としているが、私は少なくともこの点について十分に疑問があると考える。

B.保護法益に対する手段の疑問

もしくはチャタレー裁判で示された『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること』が守るべき利益保護法益)だとして、『それを守るため、男性器と女性器にはモザイク等の修正をしなければならない』が保護法益を守ることに繋がるのか疑問だからだ。インターネット海外無修正性器画像動画いくらでも見られる時代に合った規制であるとは同意し難い。

ゾーニング

まず前提として、表現の自由に限らず自由権本質には『他者我慢させる権利』が含まれる。ユダヤ人居住移転の自由は『ネオナチ我慢させる権利』が含まれ、街中でロックを流す権利は『KKK我慢させる権利』が含まれ地上波テレビで『弟の夫』などの同性愛コンテンツを流す権利は『“同性愛は神の作った自然に反する罪である”と考えるアブラハム一神教徒に我慢させる権利』が当然に含まれる。

その上で、ある程度人権制限されているのは未成年だ。参政権などは代表的だが、ポルノを見る権利ポルノに出演する権利、性行為をする権利などの性に関する自己決定権もある程度制限されている。

その意味で言うならば、ゾーニングは表現の方法そのものに制限を加えるド直球の表現規制であると同時に、表現を見たい側の権利侵害する。だから俺は『未成年に見せないため』の最低限のゾーニングについては支持する。一方で『見たくない人のためのゾーニング』は表現する側が行うのは自由であるが、行うことを義務にすることには一切賛成しない。見ると不快になるものからは目を逸らせばいいだけだ。

というかさ

もちろんある程度は制限されるが、未成年にも性に関する自己決定権はある。『中学三年生の息子の自慰行為を止めさせたいです。未成年性的自己決定権は無いのだから、親の監督権として止めさせても問題ないはずです。私が統一教会信者であることは無関係です』という主張には元増田もそれ以外の読者も同意しないだろう。

その意味で、未成年が『性器·肛門·胸などを出すポルノに出演する性的自己決定権』は制約されてもやむを得ないだろう。だが『水着撮影会ダメ』という制約も妥当だろうか。あるいは、今回の性交同意年齢の引き上げはつまるところ13〜15歳から行為をする自己決定権を奪うことになるが、本当にそれが妥当なのか。パターナリズム的に“保護”するということは自己決定権を奪うことだ。そのことをもっと自覚して慎重になるべきではないか

  • お前本当は反日左翼だろ 表現の自由は認められているんだからロリレイプポルノであっても自由に広めて良いに決まってる さりげなく未成年ポルノを制限されても良いとか主張するな

  • 『未成年に見せないため』の最低限のゾーニングについては支持する。 それ売り手が買い手を選んでるだけで、ゾーニングの話じゃ無い、むしろ表現者の権利をより強めろって主張じ...

  • 2008

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