http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/572/005572_hanrei.pdf
麻原彰晃は以下のように説法している。
例えば,Aさんという人がいて,Aさんは生まれて功徳を積んでいたが慢が生じてきて,この後悪業を積み,寿命尽きるころには地獄に堕ちるほどの悪業を積んで死んでしまうだろうという条件があったとしましょう。
このAさんを,成就者が殺したら,Aさんは天界へ生まれ変わる。
(中略)
ここで,例えば生命を絶たせた方がいいんだと考え,ポアさせた。
(中略)
人間的な客観的な見方をするならば,これは殺生です。しかし,ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば,これは立派なポアです。
そして,智慧ある人─ここで大切なのは智慧なんだよ。─智慧ある人がこの現象を見るならば,この殺された人,殺した人,共に利益を得たと見ます。
例えば,日本赤十字がいて,日本赤十字がキャンペーン周知のために掲出した宇崎ちゃんポスターは過度に性的であるため、不快さを与えたり女性への抑圧を強化したりするだろうという条件があったとしましょう。
この宇崎ちゃんポスターの掲出を,フェミニストがとりやめさせたら,日本赤十字は問題なくなる。
(中略)
ここで,掲出をやめせた方がいいんだと考え,クレームをつけた。
(中略)
人間的な客観的な見方をするならば,これは表現規制の要求です。しかし,フェミニズムの考え方が背景にあるならば,これは立派な社会運動です。
そして,フェミニズムを理解している人─ここで大切なのはフェミニズムへの理解なんだよ。─フェミニズムを理解している人がこの現象を見るならば,日本赤十字,フェミニスト,共に利益を得たと見ます。
面白いポイントは、オウム真理教は「魂は存在しその魂に悪業がたまり地獄へ落ちる」と信じ込んでいるため上のような論理展開ができるのであるのに対し、フェミニストは「宇崎ちゃんポスターは女性への抑圧を強化するほど性的である」と信じ込んでいるためできるという点にある。そこには、オウムの根拠同様客観的な証拠など何もないのだ。また、フェミニズムへの理解が足りないとして切り捨てるような言動が観測される(茜さやに対する態度など)のも面白い。
新興宗教にはしばしば「教祖は神の生まれ変わりなので特別な待遇が許される」などの教義が存在するが、生まれによって権利が許される、もしくは許されないというのは現代的な思想からすれば立派な差別で、つまり教義の中に差別が含まれてしまっている状態である。そして、その神の生まれ変わりである教祖があいつはポアしたほうがいいと言えばポアされてしまうのである。そのような差別を含む教義の中で肯定的に殺人が行われるのがオウム真理教であった。
それに対しフェミニズムは一般的に女性を抑圧から解放するために存在するが、それは即ち女性が抑圧されているという差別の存在を肯定しないと、存在意義がなくなってしまうということだ。そして、どのような状態になれば女性が抑圧から解放されたのか、差別が解消されたのかという定義がなされない以上、どのような物事に対しても女性が抑圧を感じればそれを根拠にして際限なく、線引きも自由にフェミニズム的な社会運動ができてしまうということである。そしてそのような思想は「私は特別扱いされるべきだ」というようなナルシズムと親和性が非常に高い。誰でも教祖になれるのである。
皆さんこれがオタクの飛躍した思考です 相手にしてはいけない連中だということが分かりましたね?
はいストローマン論法。 おいここにおったぞ<https://anond.hatelabo.jp/20200203170203>の増田よ。←ストローマン論法