2019-01-26

追悼、玄海師範

昨日、幼少の頃からお世話になっていた女性が静かに逝った。

大腸ガン。87歳だった。

戸籍上の関係はなくもちろん血の繋がりもないが、家族以外に私のオシメを唯一変えてくれた人であった。そして学生時代には私のよき相談相手でもあった。

タイトル玄海師範とは幽遊白書に出てくる玄海師範のことである生前彼女のことを玄海師範あだ名していたわけではない。彼女訃報から思い出を反芻してるうちに、武闘派でこそないが玄海師範と多くの共通点があるとかんじ、また匿名日記ゆえの都合の良さがある。

若い頃の彼女写真はとにかく美しかった。東北人らしからぬ都会風の美人だった。しかし伴侶を持たず、生涯独身であった。

言葉説教くさくなく、明瞭で簡潔で的確だった。理知的ドライで、自立した凛とした女性であった。

私の実家家族を保っていたのは彼女存在が大きく、それこそ家族をつなぎとめる文字通り重しであったと思っている(私を漬物石のように言うな、と怒られそうではあるが)。

私には長兄としての立場理解をしつつも、お前の悩みはまだまだ浅く青いとケツを叩き、母にとっては精神的な疲れの定期的な拠り所でかつ、貴重な愚痴感情のはけ口であり、父に対しては説教をし、そして父がこうべを垂れて反省する唯一の女性であった。

けして彼女のために家族を維持していたのではない。本当に彼女みえない力で、私たち家族は維持され続けていた部分が確かにある。

1人で彼女の家に行くと帰り際によく言われる言葉がある。

「もう来ないで」「もう来ないでください」「もういいでしょ」

おそらく父や母が1人で行った時にも同じ言葉をかけていたのだろう。半分冗談で、もう半分はお前たちは私の家を駆け込み寺のように扱うな、自立しろというメッセージだったと思っている。

年末彼女に数年ぶりに会った。衰弱した彼女と30分ほど会話をした後、不意にいつもの言葉を言われた。

「そろそろ帰りなさい。もうこないで」

わかった、じゃあまた、とだけ言ってその場を後にしたが、何かこみあげてくるものはあった。昔よく交わした最期の会話。雪が積もり始めた日だった。

彼女出身地は既にダムの底であり、彼女自身の体は献体に参られるから彼女が生きた痕跡は驚くほど速くなくなっていくのでしょう。

さようならありがとうございました。もういかない。

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