2018-03-14

スキャンダルとかがあったら改善のチャンスだと思うような世界

何かでっかいスキャンダル的な話があった時に、全容の解明を、とか責任問題が、とかいうことはよく言われるしメディアもそういう論調で取り上げてる事が多いと思う。で、これには自分としては疑問があるという話をしたい。

自分プログラムを書く人間なのだけれど、プログラムを書くって事はバグを作り込む事になるので、しばらくプログラムを書いていればどうやってもバグを作り込んでしまうことになる。こういう時、全容の解明も責任問題も確かに重要なんだけれど、同じようなミスを二度起こさないようにする仕組みづくりってのの方に力を注いだほうがいいって思っている。これを自分は「バグの発覚は改善のチャンス」てな感じで考えていて、実際、バグがみつかったということはテストを増やせるかもしれないし、似たような問題を起こしにくくなるようなワークフロー改善ができるかもしれないっていう考えが先に来ていて、その次に全容の解明(全容がわかれば対策などが立てやすいから)、さらにその後に責任問題(何らかの責任者改善案を実行するための圧力をかけるため)を気にする、みたいな感じに思っている、というわけ。なので、自分としては一番に考えるべき改善の事が何も話されていないように見えるのには疑問があるのだ。

といっても、例えば政治におけるスキャンダルメディアが取り上げるって話と、プログラムを作る時に起こった問題対処するという話を同列に扱ってもそれは悪い例え話にしかならんよねとは思う。

この例の場合メディアが取り上げるのは事実に基づいた話でしかなくて、改善案をメディア議論する理由はあまりないのではないか、という感じ。

ただ、自分としては問題が発覚したということは喜ばしいことだ(改善できるぞ素晴らしい)、という概念なのに、なぜだか問題が発覚することは良くないことだ、責任をとって辞めろ、みたいな事しか話されないような風潮が構成されているのに疑問を感じてしまうという事を誰かに伝えたかった。

いっその事、道徳みたいなレベル問題発見したら改善を行うチャンスと思う事を浸透させてみたい。

と、考えた辺りでそういう道徳観念が行き渡っている世界ってどうなんだろう、そういうショートショートがあったらだいたいはディストピアなんだろうな、でもそういうの読んでみたいな、と思った。

その世界では日常における様々な問題発見されるたびに改善されていっているため、例えば年寄りによる車の暴走があると気づいたら暴走が起きても大丈夫自動停止システムが発展していたり、色々な所で発生している「改善」が実は車輪の再発明がなされていた事に気づいたことで改善検索システムみたいなのが導入されてたり、人付き合いが下手な人間によって引き起こされる問題は、見方を変えると人付き合いが得意な人間による推測と寛容の性能の高さによって担保されていることに気づいたことで、推測を交えないような対話方法模索されて言語まで拡張されていたりと日常的に改善が行われているという世界なのだろう。

ちょっと違うけれど世にも奇妙な物語か何かで、嘘を言うという概念が無い世界で嘘を発明した人が〜みたいな話があったような気がする。あんな感じで問題があっても改善をしない「なぁなぁ」という概念発明した人が〜みたいな話の流れになったりするんだろうか。

読んでみたい。

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