2017-02-01

宗教上の理由により化粧をすることができません

宗教上の理由により化粧をすることができない家庭に生まれた。

私自身は宗教から離脱して、今は一人暮らし、化粧もしている。

親とは何度も衝突したけど、大学に行かせてもらっているし、「お前の人生はお前のものなんだから自由にしなさい」と言ってくれる。

なんだかんだいい親のもとに生まれてよかったなと、今では感謝もしている。

虚勢を張っているように見えるからか、華美な装飾をすることそのものがいけないのか、本当のところはよく知らないけれど、我が家信仰している宗教は化粧を禁じている。

宝飾品のたぐいも好まれない。結婚指輪もない。そもそも恋愛結婚ダメだし。

ヘアゴムで髪を結う行為が「おしゃれ」と見なされていて、そのため私は小さいこからずっとショートカットだった。

そういう家庭に生まれ育った私は、セボンスターカバヤが出している女児向けの食玩)を買うことに背徳を感じるようなこどもだった。

かわいいヘアピンを付けていようものなら祖母に「色気づいちゃって」とか言われた。

「化粧=悪」だった。

「そこそこの年齢になった女は化粧をするのが当然」「スッピン晒すなんて非常識」というような言説をしばしば見かける。

私が化粧をするのは、最初世間一般で「ふつう」とされる女の子たちへの憧れからだったけど、今は「不細工なまま人に会うなんて私の心が持たない、せめて見れるブスくらいにはなろう」という思いからだ。

でもこれは私自身の羞恥心に起因する話であって、たとえば電車の中でスッピンの人を見かけてもさほど気にならない。

そもそも幼いころ私の周りにいた大人は化粧をしていない人のほうが多かったのだから、この感覚はあまり人と共有できるものじゃないというのはよくわかっている。

「化粧は身だしなみ」という意見もわかる。

でも、肌が弱くて化粧品をつけられないとか、化粧をすることにためらいがあるような人に化粧を押し付けたりマウントを取ったりするのは、それこそ宗教みたいだ。

化粧は学校で教えてもらえるわけじゃない。

しろ学生のうちはたいてい校則で禁じられている「いけない行為」だ。

それが高校卒業した瞬間から突如「マナー」「しなくてはならないこと」に変わる。世間から圧力を受ける。正直気持ち悪いなあと思う。

「化粧をすることが非常識」な文化圏出身の者より。

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