2015-09-24

夫婦別姓論に伝統を持ち出す馬鹿等について

夫婦別姓化を国連から勧告されたという本当か嘘かわからんニュースについてネット上で議論が起きているようである

主に夫婦別姓賛成派が使用している主張の一つに「夫婦別姓日本の伝統ではない。明治時代に云々」というのがある。

お前は馬鹿か、と。夫婦別姓論に伝統がどうの言い出すのは極めて不適切である

なぜかと言うと、ではこのまま夫婦別姓が1000年2000年続いていたらお前は伝統から夫婦別姓に賛成だ、と意見を変えるのか

ということである伝統から伝統じゃないからというのは主題本質とは極めて無関係だ。

それにもし伝統として続いていけば賛成だというのであれば、伝統になる過程夫婦別姓を今潰すべきではないだろう。

逆に反対派が伝統からというのも同じ理由根拠にならない。賛成派も反対派もまず思い出さなければならないのは

日本では明治3年まで多くの国民苗字を持っていても表立って使用しなかったという事実である

そうであれば夫婦別姓も同姓もありようがない。

私は夫婦別姓論に反対だが、その大きな理由子供苗字が両親と統一しないからという感情論である

の子供の苗字問題は選択的であっても夫婦別姓を導入した場合に付きまとってくる問題である

なぜ妻が夫の名字に合わせなければならないのか!人権侵害だ!などという方がいるようであれば

からは「別に夫に合わせる必要はない、現時点でも認められているのだから

妻側の苗字に合わせて結婚すればいいのではないか」という他無い。

この私の意見に対して論理的反論不可能であろう。なぜならこれは論理ではなく私が感情的に嫌だと思っているかである

嫌なものは嫌なのだ。そして多くの夫婦別姓賛成論を支持する方々もそうなのだろう。現在夫婦が同姓であることで増加する

社会的コストなど、私には容易に受諾可能なように思える。

そして子供の別姓の他に生じる私が思う社会的コスト増大についても、賛成派の方々は瑣末なことだと感じているのだろう。

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