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はてなキーワード: 明治3年とは

2024-03-23

anond:20240323072707

どこまでさかのぼってるのか知らんけど三菱前身九十九商会の設立ですら明治3年なんだけど

2019-02-03

anond:20190203103053

略歴

渡辺重石丸(渡辺重名の孫で栄太郎の従兄弟にあたる。)に師事して国学水戸学を学び、尊王攘夷思想をもっていた。福澤諭吉の再従弟に当たり、住まいも近所で親しい交際があったが、明治3年1870年)、福澤が帰郷した際、寝込みを襲おうと暗殺を企てた(同学の同士に、獅子文六父親岩田茂穂がいた)。福沢邸に乗り込むものの、議論する内に福沢の価値観に魅せられ、その後、慶應義塾入学

2018-07-12

人口減で村や森を維持できないとか言うけど

明治3年人口が三千万人いたわけだ

。今の1/4とかでしょ?1/4で村や森を人力で維持してたんだから機械化された現代人日本で維持できないわけがない。

2018-06-30

日本資本階級ってさ

明治3年統計

皇族 28

華族 2251人 (0.01%)

士族 109万4890人 (3.64%)

卒 83万0707人 (2.76%)

神職 14万6950人 (0.49%)

僧尼 22万7448人 (0.76%)

平民 2726万5638人 (90.62%)

穢多 44万3093人 (1.47%)

非人 7万7358人 (0.26%)

合計 3008万9429人 (死刑1066人を除く)

これくらいの比率収束するんじゃないの?

2016-11-23

[]国が興るも滅ぶも人にあり。小林虎三郎

長岡藩支藩であった三根山藩現在西蒲原郡巻町峰岡)が長岡藩の窮状を察し、米百俵を寄贈したが、分配されることを望む藩士らに向けて虎三郎は、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物養成するのだ」と教育第一主義を唱え、その米百俵の売却益を元手に、学校必要書籍器具の購入にあて、明治3年6月15日1870年7月13日)に国漢学校の新校舎が坂之上町(現大手通2丁目)に開校した(現在の市立阪之上小学校ルーツでもある)。

小林虎三郎 - Wikipedia

興学私議について

国を興すは教育にあり―小林虎三郎と「米百俵」 | 松本 健一 |本 | 通販 | Amazon

One Hundred Sacks of Rice : A Stage Play: Yamamoto; Keene, Donald (translator) Yuzo: Amazon.com


金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上。

2015-10-26

日本の製糸技術歴史経緯について

NHKドラマが叩かれ気味なので、擁護してみようと思う

ちょっと調べた程度で専門家ではない

背景

もともと日本蚕糸業は国内向けだったため、品質価格国際標準に届いていなかった。

しかし、蚕病により海外生産量が減っていたこから日本生糸世界の注目を集めることになる。

また、高品質生糸よりも安価な物が求められていて、日本の低品質生糸でも十分に需要があった。(日本の糸は、海外では横浜での相場の2倍ほどで取引されていた)

品質な糸の使い道は、織物の横糸など。

織物は縦糸と横糸で構成されている。

機織りの工程では縦糸は強く引っ張るが、横糸は縦糸にくぐらすだけなので品質の悪い糸でも問題なかったりする。

年表

1840年フランスで蚕病が発生
1853年フランスの蚕病がピーク
1860年横浜港開港 生糸輸出開始 蚕病の影響で日本の輸出増
1868年明治元年イタリアで蚕病ピーク
明治3年藩営藩営前橋製糸所を開設(日本で初の洋式器械製糸所)
明治5年富岡製糸場操業開始 "官営で"初の洋式器械製糸を導入した(日本で初とは言ってない)
明治6年星野太郎前橋製糸所を参考に、水沼製糸所建設民間洋式器械製糸所)
明治11水沼製糸所製、パリ万博で一等賞金牌を受賞)

ドラマでの描かれ方

ドラマでは富岡製糸場を視察に来た星野太郎

日本生糸世界一品質」なのに

「諸外国に不当に安く買い叩かれている」

発言

水沼村に器械製糸所を作った」と紹介されていることから明治6年~の場面だろう。

・「日本生糸世界一品質

日本全体で見れば嘘。

品質であっても安いから売れていただけ。

・「諸外国に不当に安く買い叩かれている」

これは本当。

前述したとおり、海外では2倍で取引されていた。

擁護してみる

日本生糸品質が悪かったのはどうやら事実らしい。

しかし、外国人技師を招き、洋式器械をそのまま導入した「前橋製糸所」「水沼製糸所」「富岡製糸場」においては品質世界にもひけをとらなかったのではないか、と推測している。

事実星野水沼製糸所は建設からわずか5年でパリ万博でのお墨付きを得るほどだ。

あの発言星野太郎が「せっかく高品質生糸を作っても、日本の糸というだけで外商に買い叩かれてしまう」という状況に苛立ちを見せたセリフであって、(そして現地で直接取引という話につなげるためで)

脚本家が「日本の製糸技術は昔から世界一ィィィィーーーー!」という認識を与えたかった、と考えるのは少々うがった見方ではないか。

参考文献

NHK大河ドラマ花燃ゆ」(群馬桐生市 水沼製糸所跡) 生糸輸出切り開いた2人の兄弟

産経新聞ウェブ版)

http://www.sankei.com/premium/news/151025/prm1510250007-n1.html

桐生市周辺3(群馬県ホームページ

http://www.pref.gunma.jp/07/p20210002.html

富岡製糸場ホームページ

http://www.tomioka-silk.jp/hp/index.html

藩営前橋製糸所跡 - 日本すきま漫遊記

http://www.sukima.com/35_maebashi_ito/08hanei.html

星野太郎とは【日本人による日本製生糸の輸出を実現した先駆者

http://www.jpreki.com/hoshino-c/

「なぜ、日本は高品質生糸提供することができたか?」

http://c-faculty.chuo-u.ac.jp/~hjm_kwmr/9/spring/anma.pdf

2015-09-24

夫婦別姓論に伝統を持ち出す馬鹿等について

夫婦別姓化を国連から勧告されたという本当か嘘かわからんニュースについてネット上で議論が起きているようである

主に夫婦別姓賛成派が使用している主張の一つに「夫婦別姓日本の伝統ではない。明治時代に云々」というのがある。

お前は馬鹿か、と。夫婦別姓論に伝統がどうの言い出すのは極めて不適切である

なぜかと言うと、ではこのまま夫婦別姓が1000年2000年続いていたらお前は伝統から夫婦別姓に賛成だ、と意見を変えるのか

ということである伝統から伝統じゃないからというのは主題本質とは極めて無関係だ。

それにもし伝統として続いていけば賛成だというのであれば、伝統になる過程夫婦別姓を今潰すべきではないだろう。

逆に反対派が伝統からというのも同じ理由根拠にならない。賛成派も反対派もまず思い出さなければならないのは

日本では明治3年まで多くの国民苗字を持っていても表立って使用しなかったという事実である

そうであれば夫婦別姓も同姓もありようがない。

私は夫婦別姓論に反対だが、その大きな理由子供苗字が両親と統一しないからという感情論である

の子供の苗字問題は選択的であっても夫婦別姓を導入した場合に付きまとってくる問題である

なぜ妻が夫の名字に合わせなければならないのか!人権侵害だ!などという方がいるようであれば

からは「別に夫に合わせる必要はない、現時点でも認められているのだから

妻側の苗字に合わせて結婚すればいいのではないか」という他無い。

この私の意見に対して論理的反論不可能であろう。なぜならこれは論理ではなく私が感情的に嫌だと思っているかである

嫌なものは嫌なのだ。そして多くの夫婦別姓賛成論を支持する方々もそうなのだろう。現在夫婦が同姓であることで増加する

社会的コストなど、私には容易に受諾可能なように思える。

そして子供の別姓の他に生じる私が思う社会的コスト増大についても、賛成派の方々は瑣末なことだと感じているのだろう。

 
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