2013-06-04

からつま先まで矛盾している

俺がいくら必要とされたいと思おうと、他人である相手は俺を必要とするとは限らない。

当たり前。そんな要求は通らない。

そのために、いくら付け焼刃努力しても、何の意味もない。これまで積み上げてきたもの全てで判断をくだされる。結果、自分不合格。それで終わり。なこうが喚こうが、事実事実

俺は何一つ、人の見本になんかなれないのかもしれない。

なりたいと思っているかどうかは別として。

誰かに頼って生きている。頼られることはもっと嬉しいのか。

俺は自分だけに拠って生きていくことは出来ない。それだけ弱いし、それだけ酷い。

結局お前はなんなの?って言われたときに、何も答えられない。ごまかしごまかして生きてきている。なんなの?お前は。そのくせ、人に対してはあなたはどんな人間ですかなんて尋ねる。自分で答えられないくせに。いや、自分では答えられないからこそ訊くのかもしれない。ほら、自分のことを棚に上げているんだ。(←何が悪い

こうやってネガティブになっても仕方がない。そりゃそうだ。そもそも俺はネガティブになっているのか?何かに絶望したのか?うん、ちょっとはしてるはず。今回は、それがまだ早くてよかった。これ以上崩壊しようがないってくらいのとこまで行き着く前に、分かってよかった。これで良かったんだ。これで、いいんだ。

自己矛盾。大いなる矛盾自分ではない、自分にとって大切な誰かのために自分を使うことを第一原理に置くことの矛盾自分はないがしろだ。それが自分にとって素晴らしいことで、嬉しいことだっていうのは、その相手に固執している状態では成立しない。

俺がコミュニケーションを取りたい相手が、それ以外の相手とより親密な関係になりつつあるのを、俺はどうするのか。第一原理に従うならば、その関係に対して俺は何もすべきではない。そして、俺からは相手にコミュニケーションをとってはならない。[俺のしたいこと<<<<<相手の望むこと]。相手が俺とコミュニケーションを取りたい場合は、いいんだが。そうとも限らない場合は、まず話しかけることすら叶わない。今の状況はまさにそれだ。矛盾している。俺はないがしろになっている。

でも、どうしたらいいかからない。自分を優先した結果の、大体の結果は見えている。経験からもわかる。たいてい上手くいかない。望みからはどんどん離れていって、最後には崩壊する。そこでようやく俺は気づく。ああ、俺はなんて大きな間違いを犯していたのだろうか。よくある悲劇パターンだ。

逆に、他人を優先した結果どうなるか。まだわからない。’本当に’そうした経験がまだ少ないからだ。だがこれだけは言える。俺が他人のためと思ってやるとき仕事の質は高くなる傾向がある。自分のためだけの’仕事’なんかあるのか、と言われてみれば、ないのかもしれないけど。自分の評価よりも、他人が他の人によってなされる評価のほうが気になる。そちらを優先する。そういう時ほど、仕事の質は向上する。これは何故なのか。「わからないけど、とりあえずそういうことになってる」らしい。

矛盾しているよね。自分ひとりの範囲で出来ていないことが、他人に伝達できるわけがないよね。なんでそんなことを思うのかね。なんでそうなるのかね。よもや自分のためにそうやって自分を納得させているわけでもあるまい。結局は自分のためなのかもしれない。俺のする全てのことの主体は自分だもんね。自分がないがしろになったら、正直なところ辛いし、泣きたくもなる。弱いね。恥ずかしいね。今まで、よく自信を持って歩けてたよね。って思うくらいなんとも言えない気持ち。胸が痛い、わけでもなく。泣き出したいわけでもなく。なんとなく、でもとても悲しい。バツが悪い。取り返しのつかない感じ。

こんなこと、つらつらと書いているのも、自分のため。そう、人に見せるため。見てもらって、色んな反応をしてもらうことを、心のそこから期待している。「こんな情けない僕ですけど、みんな、どう思うかなぁ、なんか言ってくれよ」みたいなね。『甘えんな』。徹底的な甘え。他者依存自分がそうであるように、誰か一人分の重みを全部受け入れて生きていくことなんて、願っても叶わない。要するに俺は、誰かに’自分のすべて’を話し、理解してもらい、受け入れてもらいたいのだ。願っても叶わないことなのに。自分にはできないことなのに。いい加減にしろって話だ。でも、いい加減がわからないんだ。上手くできないんだよ。多分。

「人は一人で生きられない」ってよく言われるけど、俺は特にそうだという自覚がある。「○○は、話に付き合ってあげなかったら死んじゃいそうだもの」と、心優しい先輩は言っていた。本当にそのとおりだと思う。しっかりしてるように見えるのかどうかはわからないけど、内実はまったくもって不安定で、ひとところに留まることなんてない。

自分ひとりでは、何かの課題をまともに仕上げることなんて絶対出来ないという自覚がある。必ず、意見コメントを(快く)してくれるパートナーがいて、とりあえずのプロトタイプを俺が出して、意見をもらって、それを元に修正して、またコメントをもらって。その繰り返しで、ようやく仕事が形になる。逆に言えば、誰かのコメントがなければ、もう本当にどうしようもない質の結果になる。

なんでこうなるんだろうか。わからん。けど、やっぱり何故かそうなってしまう。

この文章に結論はない。ただ、思いついたことを書き連ねただけ。

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