多数派に服従することがコミュニケーションだ。
言葉を変えれば、「いてもなくてもどうでもよい異性」だろう。
更に突き詰めて言えば、いてもいなくても変わらないのであれば、いないほうが良いに決まっている。
まて、改変物はいつから女の専売特許になったんだ?
捨てるくらいなら始めから持ち帰らないのが賢い人の選択
■ コミュニケーション能力は能力の一部。劣っているからといって人間性まで否定するのは疑問
コミュニケーション能力万能主義的な現代社会にあっては、コミュニケーション能力と人間性はほぼ同義語。
■ 上記のことをいう人は一部であって全部ではない
一部ではあるが単なる一部ではなく、多数派である。
多数派の意見が尊重されるのが世の中だ。
「いい人」に該当しない、普通にモテてる人にやってもらえば済む話。
ただ、告白とかしないでね、ってだけのことだ
結局のところ、これが世間一般の意識というもの。
人間関係や恋愛関係に(自分に都合の良い)法則を求めようとするのはコミュニケーション障害者特有の症状です。
つまりその場の空気や相手の感情、思考、意思を聞き取ることも読み取ることも出来ないので、それをしなくても良いように最初から自分のマニュアルを作成して自分で当てにしたいのです。
と言う女に対して、
リアクションを返すのが苦手だ。
「うん、かわいいね!」
って言うのがたぶん正解なんだろうけど。
「え、これがかわいいの?微妙wwww」
とか答えてしまう俺おわっとる。
押しかけ女房がやってくる話は昔話や民話から現代の萌えストーリーまで多数あるわけだが
押しかけ旦那がやってくる話は聞いたことがないなあ。サモンナイトのどれかを女主人公でやってたときにエンディングでパートナーが主人公の世界に無理して来ちゃったぐらいだ。
女の人は自分の生活圏に男がやってきても嬉しくないんだろうなあ。
王子様が来るってのは相手の生活圏に向かってさらっていくという意味合いを含むんだろうし。
だれもが面倒を見てもらいたがっている、ということなのかな?
30代。女。非モテです。合ってるかどうか、ちょっと聞いてください。
昔から自分がブサイクだってことには気付いてた。小中高と、典型的な非モテ女が通るような道を歩み、外見でちやほやされるかどうかが決まる世の中への歪んだ鬱屈が形成されていったと思う。
道が開けたのは大学時代。パソコン通信というものの存在に触れてから。
私が知ったのは、インターネットへとバトンタッチしかけている最終期ではあったが、そこで、外見に左右されないで済む居心地のよい世界を初めて知った。今で言うネトゲ廃人などとは違うが、むさぼるように夜ごとモニターごしの世界を堪能し、失われた自分の居場所を回復していったものだった。
たまにおそるおそるオフ会などに出席してみても、その時代のそういったところには美人などまずおらず、女性であるというだけで大事に扱ってもらえるような雰囲気が、私のそれまで完膚なきまでに破壊されていた女としてのプライドを徐々に持ち直させてくれた。主流の場がインターネットに変わってからも、早くから場慣れしていた私にとってそのデジタル社会は、住み慣れた安住の地に他ならなかった。モヒカン族に刈られることもなく、刈る側に回るほどではなくとも、お気に入りのテキストサイトや2chなどを泳ぎながら先住民として快適にすごしていた。
状況に異変がおき始めたのはここ数年。
「パソコンを持っているのはネクラなオタク」という前時代の雰囲気は完全に一変し、ケータイでネットにアクセスすることも徐々にできるようになりつつあったその時代。一億総インターネットの社会に、SNSが追い討ちをかけた。
もちろんネット上でのアンテナをそれなりに伸ばしていた私は、そういったSNSにもいくつか参加し、頭ひとつ抜けることになるmixiにもその成長に寄り添うかのように依存するようになっていった。今思えば先住民気取りかつ外見差別のなかったネット社会の居心地のよさに平和ボケしていたのだろう私は、それまでのオフ会のような感覚でmixiのオフ会などにも参加してゆくことになる。
はじめは小さな違和感にすぎなかった。mixiの人口が右肩上がりで増え始め、mixiこそ私にとってほぼ失われていた親友を作る機会というものを補完してくれる強力なツールと錯覚しはじめた頃に出席したいくつかのオフ会が決定的だった。
仰天した。もはやそこにいるのは、これまでのオフ会で会って来た様な、いかにもネットの住人という、どこか安心させてくれるある意味カタワ的な容姿の者などではなく、颯爽と街を歩くイケメン、美女らそのもの(私の目から見たら)。
これまでのオフ会ではむしろ場違いだったそのような人らが普通のコンパのように幅を利かせ(普通のコンパ知らないけど)、むしろ場違いだったのは私(の顔)だった。当然のごとく、そのような環境での私の扱いは、自分がただのブサイクであることを思い出させられるものとなる。別にオタオタと挙動不審だったとかではない。情報過多なネットの住人だったこともあり、それなりにどのような話題にもついて行けるし飲むこと自体は好きになっていた私は、その場では分け隔てられることなく楽しく過ごしたつもりでも、終わってからのメッセージのやり取りなどではいつの間にか無視され、次の飲みの機会(オフではなくあえて飲みと書く)があっても、顔を見られた後では誘われることはなかった。おなぐさみのように女性と打ち解けてみたりしたが、中身を知ればとても恒常的関係を築けるような相手ではないと(たぶんお互いが)感じて立ち消えたりディスコミュニケーションに陥って喧嘩別れしたりした。
リアルの世界ではとても近寄りがたく避けていたそのような人らが、ついに私の楽園だったネット社会にまで侵略してきたのだ。
彼らの侵食は苛烈を極め、もはやそこにあるのはリアルな社会と何ら変わらない、外見差別とそれを隠すおためごかし。いたたまれなくなった私はmixiから撤退するに至った。
そしていまや私は、最後の砦であるはてな村に追い込まれている。ここではまだ、自分の中の女性性を否定し尽くさないで済む程度にはちやほやしてもらえる。でもここもいつか現代のスペイン軍によって、陥落させられる時が来るのだろうか。
それは「見えない敵と戦う」という症状
恋愛のできない人間を非モテだのコミュニケーション能力が低いだのと非難してるのはどこの誰だ?