はてなキーワード: 変人とは
ペニス出す話は積極的に恋愛がしたい人間や、アプローチする対象がいる場合のテクだよね
そもそも普通にコミュニケーションが取れていないから普通に接することができるようになれば偶発的に恋愛イベントが起こるんじゃねという話とは前提が違う
後者の方法だと意識してない相手から好意を持たれたりするので本当に受け身で別に好きな相手もいないという人間には良いという点と、自然に起こる恋愛なので非モテにとってのそれは結婚までまとまりやすく、その後の結婚生活までうまくいくパターンが多いという印象があり、それはとてつもないメリットであるといえる※あと女性にとってどう転んでも害にならないという打算的なメリットもあるね
そして、それらのアドバイスは前提として経験がないために異性を意識しすぎてしまってうまくいかないという人間や、拗れた感情があるため非モテになってしまっている、実は普通の人間向けのアドバイスであり、ガチで誰にとってもただいるだけでは性的対象にされないという魅力の乏しい人間には向かないというデメリットがあるのだと思った※ここは学生時代にモテなかったという自意識をそれなりの人間が持ちやすいという点と、年齢を重ねるごとにハードルは下がっていって恋愛は特別なことじゃなくなるという現実との認知のズレが多くの人間に存在していると思った
ポイント:若いうちに普通の距離感やコミュニケーションが取れる普通(ぐろいけど、まんなかぐらいってこと)の人間の範疇に入れれば、恋愛はかなりの確率で偶然に発生するということだ、若いうちは心配するな、はたまたその年まで何をしていたと厳しめに言われるのはとにかくそれが動物として紛れもないアドバンテージだからだ※性的魅力と関係のない変人はまた話が変わってくる、たまにいるよね※というか普通の人間の範疇に入っているのに非モテという自意識を持ったことで近づき方がわからないという人間が相当数いるのでは?
学生時代の、周りがまだうまく異性との距離をはかれないなか、強制的に恋愛イベントに巻き込まれていく〝モテる側の人間〟の数はインターネットで語られる恨みつらみほど多くはないと思った
今回の一連の流れはアプローチしたい相手がいる、しかし非モテとして自意識を拗らせているという、実は相手がいない人間より一歩先に進んでいるような、むしろ抱えた問題の数が一つ増えて後ろにいるような、本当に需要がなくモテない人間の嘆きに隠されて見えなくなっていた層への具体的なアドバイスが出されてとても有益だったと思う
しかもただ普通にいるだけでは恋愛対象にされることはない人間にとっても積極的にアプローチして選ばれるための行動として有効らしい(じゃあ今までの話なんだったんだよ、自意識を拗らせた人間は恋愛対象にどうアプローチしたら良いかわからないって部分が九割だったのかよ、そうかもしれない)
最後にじゃあ人間として関係性を築くことができ、その上でアプローチを試行錯誤して、本当に魅力が乏しくて誰にも相手にされない人間はどうしたら良いのかという問題が残されるが、これに対してはだいぶ前に人間的魅力を磨くというエントリがあったのでそれで補填とする、終わり
pixivやXに流れてくるのは現状だと単なるドMに酷いことしてる作品ばかりなんですよね。
「体を張ってなんでもやる輿水幸子に対して腹パンをして分からせる」とかやってた頃から1ミリも成長してない。
当時でさえあんなのは単なる悪ノリばかりでリョナとして見ても三流の下品な遊びだと批判されていたのに、また同じことを繰り返そうとしているわけですよ。
何も分かってない。
広はただ辛いことが好きなだけの変態ではない。
自己効力感のあり方を拗らせきった変人であって、破滅願望に染まった変質者ではないのだ。
そこを理解してないなら適当にオリジナルな銀髪ロリでも作っとけ。
あと広は貧乳スレンダーだけど身長は159cmとそこそこあるということを忘れて汎用ロリで描いてしまっている奴もちょくちょくいて許せん。
そこを活かして竿役を普段ロリと絡ませるときより大きめに設定している作者はまあちょっとは信用できる気がするんだが、それでもまだま広というキャラクターへの理解が浅い。
まだまだ時間があるから取り越し苦労というか、本気で篠澤 広と向き合おうとしている人間ほど自分がまだ咀嚼を終わらせておらず出力出来る状態になってないことに自覚的な段階である可能性もあるな。
夏コミまで様子を見るよ。
まあそこは中間試験程度に捉えて落第レベルじゃなかったら冬コミまで待ってもいいかな。
そこまで言っても篠澤 広というキャラクターを全く理解することない作品しか出せないようなら俺はオタクを見限るよ。
単なるイナゴの群れに落ちぶれたんだなって。
手の混んだことをやる人はどんどん減っていく
ゲームもクリアに時間がかかりすぎるようなのは誰もやらなくなるし、小説も手の混んだ文学手法を使ってるようなのは誰も読まない
例えばチェスについて考えると、「チェスの地元グループに参加して、そこから練習して、大会に出て、レートを上げて」というタイプのめんどくさい道を通る人はいなくなり、
オンラインでテキトーにゲストとして参加して気晴らしにやる人が増える
あるいは数学を趣味にする場合も「コホモロジーとはなにか」みたいなめんどうくさい理論を理解しようとする人は減り、組み合わせ論のアルゴリズム問題のように、前提知識がそれほどなくても取り組める題材を選ぶ人が増える