はてなキーワード: 多分とは
元ますだです。
仕事は好きです。今の会社は絶対に辞めない。条件いいですからね。
ただ上級管理職となるとやはり女性は少ないですから、どこまで昇進できるのか不安ではありますね。
仕事は金のためと思って割り切れるけど、結婚は愛情があるからこそする意味があるんであって、
愛もないのにする意味があるのかって思う。
結婚する以外に生きる道がないってんなら完全に金のためと思って割り切ったか、
どうしても相手とセックスしたくなかったら自殺してたと思うけど、別にそうじゃないからねえ。
彼のことは人としては好きですよ。
でも「セックスしたくない」んです。
多分私の遺伝子が「あの人の遺伝子と交配するのはやめて!!」って指令を出しているんだと思う。
好きな人とは「セックスしたい」と思いましたよ。打算抜きでね。
でもそういうふうに思える男性には、美人が割り当てられるんです。
男の人には性欲があるので状況さえ整えば私のようなブスでもセックスだけはしましたけど、
本命にはなれないですね。
俺さあ、ロリコンなのよ。
どうしてロリコンになったのかがふとわかった。
俺はね、母に性的な視線を向けられてたんだ。
もちろん実母ね。
詳細の話は書くのも辛いし、読むのも嫌だろうから控えるけど。
そういう視線はなくなって、そんなことなかったみたいになってる。
俺は、だからロリコンなんだ。
だから、同年代とか、年上とか、無理なんだ。
あの時のことを思い出すのかもしれない。
あの、おぞましい感覚。
性的に汚された自分を、性的に汚れてない女の子で補おうとしてるんだろうか。
これは血なのかもしれないし、負の連鎖なのかもしれない。
でも今気づいた。
ほとんど全てのロリコンにこんなことはないだろうけど。
興味持ってくれるのはうれしいんだけど、その聞き方からして既に多分言っても伝わらないと思うんだよね。
というか、最初から実用的だと感じない人は、「そういう」括りでおそらく見ているのだろうから、ちょっと言葉で伝えたところではおそらく伝わらない。その「括り」自体を外すことが非常に難しいから。
別に「こういうところがだよ」って言って、「あーなるほどね!確かに言われてみれば!」とかそんな「意外に役立つ哲学!」みたいな、「意外と身近で役立つ心理学」的なノリの話じゃなくて、哲学そのものがある意味で役に立たざるを得ない、という存在ですらあると俺は思っているんで、つまり哲学ってものを想定したときに即座に「ああそりゃ実用的だよね」という考えが浮かばない人には言っても意味がないっちゅーか。実際それで今まで意味がなかったからこその、先日の増田でのぼやきだったわけで。
こういうのが後々セックスレスの原因になっていくのかも。
貴方は母親になろうとしている。けれど、旦那は夫のままなんだよ? セックスしたいのは当たり前。自然のこと。
オナニーとセックスは別物だよ。セックスがしたいんだから。旦那は。
多分このままセックスレスが続いて、子供が生まれたらなおさら育児で大変になり、ますます旦那は苦しむこと
になるかもしれない。旦那とこれからのセックスライフについて話し合わないとだめかもね。めちゃくちゃ言いだしづらい
ことだけど。
妻が母親になっても、夫は夫のままだったりするケースは多いと思う。
自分は子供が居ないので読んだことはないが、育児雑誌とかに妊娠中のセックスライフについての話があったりした
ときいたことがるけど? そういう本とかネットでの体験談とか検索して読んでみたら?
しかし。いくらなんでもhttp://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20090110/1231533283は酷いよな。
凄い好きな漫画があって、最近続編が始まったんだけど、ふたを開けてみたら話が進むごとにバックグラウンドで旧作の主人公とヒロインがダメ人間になっていく。
2の本スレは定期的に現在のヒロインについて議題が持ち上がる。そして、ヒロイン庇護派VSヒロインダメ派で紛糾する。
現在のところ、続編のヒロインを擁護できる的確な情報がない。悲しいほどない。な…なんでこんなことになってるの…ヒロイン何してんの…的な。
凄いこの漫画が好きで、思い入れがあるけれど、今現在のヒロインと主人公はもう「カス」とか呼ばれても仕方ない気がする。
悲しいのは、多分作者が続編はじめたことで主人公とヒロインをダメ人間にしていることに気付いていないこと。というか、旧作の時に比べて今はいろいろパワーがなくなりすぎてて凄く見てて悲しい。細かいところが適当になってたり、ミスも激しい。連載当時は贔屓しまくっていると叩きの対象だったとあるキャラを適当にかいていて、死ぬ程驚いた。一時的にヒロインの座を奪わせるほど好きだったんじゃないの?
話も昔の焼き回しが多い。続編だからかもしれないけど、設定も展開も旧作と酷似。別に新しいキャラで同じ展開を読みたい訳じゃない。このあとこうなるんですよね分かります、ってそんな馬鹿な。
だから本当はファンレターでも出して指摘したいんだけど、きっと攻撃的になっちゃうから出さない。今書いたらきっと好き<気に食わないになってしまう。きっと作者の気力を削いでしまう。折角のX年ぶりの連載なのに。
この漫画好きなんです。だから過去キャラの扱いが悲しい。すごく悲しい。
どうにもできないのでここに吐き出し。懐古厨乙って感じ。全てを気にしないで表面だけ見てればきっとあの続編はすごく面白い。
あーそう。去年のクリスマス前くらい。雪は降っていなかった。
うち九州だから雪は滅多に降らない。
>今の時期に女の子が降ってきたなら、雪女の可能性が高い。
これは考えたことなかった。結構怖いな。
実態は知らないけど、日本においてのユーザテストが少なそうだよなぁ。一方的に面白そうだから実装して、評価してない感じ。
「簡単に」を多分理論的に突き詰めて行こうとすると哲学っぽいしなぁ。ただ今その辺歩いてる人に声をかけて触ってもらうっていう実験はできると思うから、それと理論の二本立てでやると面白いかと。
うんとね、努力しない人に苦渋をなめさせようと罰を与えるかわりに、努力する人たちを今よりももっと応援しようということなんだ。
他人の役に立つことや、人生や世の中を充実させるために、無償で行われる努力というものがこの社会にはある。
なのに大きなことをしようと努力するほど、そこには経済的なリスクがともなってくるのが現状だ。
そういう大きな不安を前に、自分の生活をなげうってでも、より一層努力できるような人間はごく少数なんだ。
普通の人よりはるかに努力した人が、衣食住も足りない環境での生活を余儀なくされるような社会を、君は望むのかい?
いま君が努力しない人といっている人たちも、多分1度は社会に対して努力しようとしたはずの人たちなんだよ。
君が苦渋をなめさせたいといっている人たちは、努力しようとしたけれど負けてしまった敗者たちなんだ。
どんなに負けても最低限の生活は保証される。
いやあの、もうしゃべらないほうがいいと思うよ。
じゃあ、逆に「派遣村擁護者って下流が使えば経済回復すると本気で主張するような層」として捕らえていいの?
多分、どんな人も君に賛同しないと思うけどね……
いっそ、「はてな」っていうネーミングを変えたらどうだろか?
「はてな」という言葉の一般的なイメージはおそらく、そのまま「?」だろうし。
そんなに、よいイメージではないと思う。
「よくわからない。」「なにがしたいんだろう。」
こういう意見に繋がってしまう。
発展的な、「なんだろう?」っていうイメージでは少なくとも無いと思う。
あと、「名前空間」
うんうん、多分あなたみたいな人だ。
いい加減理解出来ないフリをして揚げ足とるのはやめたらどうかね
うーん。
(一人かもしれんが)
わざとじゃなくって、本当に「分からない」「想像できない」んだと思うよ。
無理なんだと思う。
増田がどうがんばっても体験できない
楽しい事、美味しい事を一杯してきたんだと思う。
短絡的に「可哀想」と表現すべきかどうかは難しいんじゃなかろうか。
今の男はそんな懐も、懐の中身もない。
平気でその辺にある「自分のものではないもの」を、「見苦しい」というだけで捨てることが「正義」だと考えてる人間はいるから、多分関われば関わるほど空しいと思う。ちなみにゆとり関係ない。
話聞こえてないのか、この女?って笑われてよし。
とはいえ、そういう聞き方してくる面接は取る気もないと思うから、
どう返そうが大差ないよ。
そして、大なり小なり、女は面接時にそういう言い方される。
心から同情する。…とはいえ解決策は全く浮かばない。すまない。
多分その状況を解決する手だてを合法的に作れるのはあなたの結婚相手ただ一人だと思う。
だからこそ、あなたのその『自分が愛してやまない「一人でゆっくり息抜き」の時間がこのままではゼロになってしまう』という悲鳴に近い思いを、彼氏になんとかして分かって貰わないといけないね。まあそういったことを相手に伝えるのが苦手だからこそ今があるのだとは思うけど。
まあそういう色々をそれはそれで子どもができたらまた変わるのだろうかとか思いながらそれでも実はそれほど変わらなかったり悪化したりあるいはあきらめたりしながらみんな暮らしてきたので、同じような辛さを味わってる人はいる。ペットだって、結婚を機に泣く泣く手放したという人だって何人も知ってるし、その辺りの件についての「分かって貰え無さ」その「解決しがたさ」というのはどうしようもなく澱のようにこの世界に溜まっているのだと思う。昨日も今日も明日も。
技術的、時間的に本当に無理な場合、「無理です」って素直に言うのは女性が多い。
男性の場合、「無理です」って言わない代わりに、
平気で締め切りを超えたり、自分の度量を超えた仕事を受けて滅茶苦茶にする人がいる。
多分これって、女性のほうが会社に「どうしてもしがみつかなくてはいけない」度合いが低いから
本音トークができて、男は「無理」って口にした場合のリスクが怖くて負えないんじゃないかと思う。
なんでも無理です、ってやらない人間も問題だけど、
自分可愛さに無理なもんを無理って言わないのも問題。
男でも女でも、無理な物をどうすれば受けられるのか、
そうじゃない人間は、受けるのも受けないもの、
悪い結果を残すって自覚が足りない。
精神の問題を持ち出されると、個人的にはその「公正さ(フェアネス)」という概念にも少しケチをつけたくなる。「公正さ」という概念は、何を基準にその「公正さ」を論じるかによって非常に恣意的に結果を操作できる概念だから。そしてその「基準そのものの公正さ」を論議することがしばしば置いてけぼりにされがちだから。
格闘技の世界では、かつて「『最強』とは何か」論議においてこれが問題化した。「何でも有り(ノールール)」の競技を作って最強を決めようとすると、その「何でも有り(ノールール)で一番強い競技(いわゆる総合格闘技)の選手」が優勝してしまったから。「何でも有り(ノールール)」という事自体が実は一つの『ルール』でありうる、ということを、大会が終わるまで(終わってからもまだしばらくは)みんなが気づいていなかった。つまり「何でもあり(ノールール)」というルールは実は公正(フェア)ではなかった、というワケ。
確かに1対1で「タックルから寝技、打撃」という総合格闘技の戦略は最強に近いコンボである。だが1対2や刃物有りの状況ではあまりに無力なことは自明だ。浜辺で決闘(つまり完全に相手が丸腰だと一目瞭然で分かっていてかつ1対1が保証されている状況)なら総合格闘技スタイルは最強だが、新宿の裏通りで自分の身を警備して貰うなら多分『空手界最強』とかの方が頼りになる。「不浄を避ける神事(血の出る打撃は不浄、地のつく足で上半身攻撃も不浄、足の裏以外の場所が地につくのは不浄=ナックル禁止、上半身への蹴り禁止、ダウン即敗北)」の世界では、当然ながら横綱の体型・能力と相撲の闘い方が最強ということになる。現実の世界というのは「何でも有り(ノールール)とは限らないという意味で何でもあり」なのであって、ノールールというルールの公正さは実は怪しいものだったのだ。
とりあえず現代社会で「男」と「女」は闘いの条件が違い、ルールが違う。どちらが大変、とか最強とかいう議論には意味がない。家庭という異種格闘技の場においては、闘う双方が納得できるルールを策定する以外の「一般的に公正(フェア)なルール」など無いからだ。増田氏が「男100くらいでやっと公正」だと考えるのは自由だしウチの家では双方がそれで納得しているんだとただ主張したいだけなら問題無いが、それが一般的で普遍的な異種格闘技ルールなんだと主張したいのだとするとそれは反発を受けるだけで意味がないだろう。多分そんなルールで「フェアにゲームをプレイしよう」と言っても、誰も乗らないと思う。
『モテ』という価値観自体が『レンアイ』という古典的な性別役割主義観に基づくものだから、男女平等価値観を学ぶ前にすでに増田の頭にはそれが刷り込まれていたんだなあ、とまあ、フェミニズムをきちんと学べばそういうことが理解できると思う。フェミニズムの偉大さや利益というのは多分そういう風に人を「楽」にして幸せにするところにあるんじゃないかな。
そんなわけで
まあ実際男女ともども、自分自身も、どうすればいいのか分からない。自分はとりあえずモテ競争から降りたことで大分楽にはなったけど。中島義道が「半隠遁」を唱えていたけど、正直それに憧れている。
という増田の対応は大変正しかったと思う。
役割主義・恋愛主義のような人を勝者敗者に分ける考えは、少なくとも万人を幸せにすることはない。はてなに横行する『非モテ』論壇人というのが、本質においてフェミニストにもっとも近いのではないだろうか。
人員減らされる
↓
↓
作業効率、製品の精度下がる
↓
残業さらに増える
↓
赤字
↓
人員また減る
この数年、この繰り返しで、もう後がない。
離職率高いし、新しく人入れても使い物にするような余裕なくて、悪化するばっかり。
多分、もう手遅れ。
これを読んで思い出した。
私も同じような事を思った事がある。
といっても私は女性なので、そう思い始めたのは大学に入る前からなんだけども。
いつごろから男女平等だとかそういったことを考え始めたのか、記憶にないが、中学生の時には既に考えていた覚えがある。
やはりこのエントリを書いた人のように、素朴に男女平等を信じていた、という感じだった。
しかし高校へ進学してから、妙だなと思い始めた。周りの女子たちの男女観が、意外と古風なのだ。その頃の自分は女=料理って何じゃそりゃ!と普通に思っているような感じだったが、女子たちは案外「女=料理、家事」「やっぱり女だからいつかは結婚したいし子供もうみたい、それが女の幸せ」みたいな事を考えている、というか、受け入れている、というのか。成績がいつもクラスで5番以内には入る子が何故か「私は女の子だから勉強が苦手」とか「女の子だから数学が苦手」とか言ってるのである。意味が分からなかった。だって実際あなたはこの学校のほとんどの男子より成績が上じゃん?数学だって寧ろいい方じゃん?なんでそんなに自分を卑下するの?と思い、実際そういうような事を言ったこともあった。しかしそう言っても笑って返されるだけか、「へー、○○ちゃんって結構、そういうタイプなんだね」(どういう意味だよ)みたいに言われるだけだった。何だか知らないが、男尊女卑をナチュラルに内面化しているのだ。
大学へ行くと、私と同タイプの子も増えたが、やはり高校のときと同じような女子たちもいっぱいいた。
高校のときは単純に不思議だな不思議だななんて思っていたが、大学に入ってからは、自分はそうなろうとはやはり思えないが、そういう価値観に染まる女子の気持ちが分かるようにもなった。
やはり、要は「得しない」のだろう。
このエントリを書いた人もいっているが、まあ、私のような考えを持っている女子ってのは、やはりモテにくい。モテるのはやはり基本、「女の子らしい女の子」である。私の場合モテは様々な理由から既に放棄したため、それはいいのだが、ほとんどの若い女子にとってはそうそう簡単に捨てられるものではないだろう。(男子にとってもそうだろうが)
またこのエントリでは「もっと女子も発言したらどうか、と言ったりした」と言うような事が書いてあるが、多分その女子たちは単に女の子だから大人しくしていた、というより――たとえば強く発言したところで、このエントリを書いた人はそのまま純粋に議論を続けてくれるかもしれないが、当然ながらそういう男子ばかりではない。ナチュラルに女性蔑視的な考えを持つ人も未だ多いため、発言をしたところで最初から「女の言ってる事」などとフィルターをかけられ最初からバカにされたり、運が悪ければそれをその場の過半数からされるかもしれない、しかもそうなった場合同じ女子たちは助けてくれるとは限らない(というか多分無い)、そういった事を考えると「それでも尚一人でも女性蔑視の視線に対しても戦い続けて議論をする」という覚悟のある者しか発言できない、という状況に結局なってしまい、そしてそんな覚悟のある者というのはたとえ男子であろうが何だろうがそうそういる者ではない→結果、ほとんどは大人しくしている、ということになる。
またそういった女子同士の態度が更にお互いに拍車をかける。
たとえばこのエントリに書かれている、学園祭での出来事。一人の東大女子が東大女子たちに「料理まだ作ってないの?」と声をかける。そこで、「え、ていうかなんで私たちだけに言うわけ?料理の担当は女子って決まってるの?男子には言わないの?」などと発言したらどうなるか。もしかしたら女子たちもどちらかというと「なんで女子=料理?別に料理したくないし」と思っている人ばかりかもしれなくとも、ここで一人そこに異を唱えたところでそれに賛同してくれる女子はどこまでいるのか、それを皆が考える。男子がいる手前、モテたい子はわざわざモテなくなるようなことを言わないだろうし、別にモテたいわけじゃなくても、他の男子や女子に「なんかめんどうくさいやつ」と思われるかもしれない(今は「フェミ」というだけで蔑視語になっているほどだし)、フェミ的な主張をすることにはリスクが伴ってしまう。孤立するかもしれないというリスクが。だったらとりあえず料理くらい別にしておいてこの場はなじんでおこう、という選択をする。そういう子もおそらく多数いるのだと思う。(そもそもナチュラルに女=料理とか思っている子もいるんだろうけど)
「男にモテない」どころか、多分、フェミニズムは男女どちらからも孤立しやすいのだ。孤立した上「なんかあいつ面倒くさい奴だよ」とレッテルを貼られたりする。そういった状況下にあっても尚持論を曲げずに歩み続ける、とかいう結局かなり強い人じゃないと、進んでいけないのだろうと思う。大抵の女子は、それに気付いて、途中で早々に適当に古めの男女観に擦り寄って「女の子」しておいたほうが、トータルで楽だし幸せになれるんじゃないかとそちらへ行くのだろう。多分ほとんどの人は無意識的にそれを行っている。上野千鶴子のような色んな意味で強い人じゃないと結局その道を進んでいけないのだろう。今は。
最近「男は年収○円以上ないとダメ!」とか「男は荷物持つべきだし、通路は当然車側を歩くべき」といった種の主張をする一部の女子がいて(まあ、実際どのくらいそんな人がいるのかは知らないが)それに一部の男子が怒るといった構図がネット上で見受けられるけど、ああいう女子の反応は、「結局フェミに走っても孤立して損するだけ、普通に幸せに暮らすには結局古風の男女観に追従していかなきゃならない。だったら、どうせそうなら、「女なんだから料理しろ」とかそういった価値観を飲む分、こっちだって男に「男らしさ」を求めたり、「男なんだから○○しろ」っていう要求をさせてもらう」みたいな反発なのかなという気がしている。(意識的にそんなことやってるわけじゃないだろうけど)
まあ実際男女ともども、自分自身も、どうすればいいのか分からない。自分はとりあえずモテ競争から降りたことで大分楽にはなったけど。中島義道が「半隠遁」を唱えていたけど、正直それに憧れている。
間違いない。
二十歳くらいの男がわめいている。その先には、同年齢くらいの男数名のグループがいた。
わめいている男を彼女と思われる人物がいさめている。結構キレイな女の子。
わめいている内容は、「なに見とんじゃ!」とか「かかってこんかい!」とか「やったるぞ!コラァ!」とか。ちょっとアルコールも入っているような感じ。
はた目から見て「何このキチガイ?」という感じ。
特に気にすることもなくコンビニに入っていつものように雑誌を立ち読みしてたら、わめく男が「ふざけんな、てめぇ!」とか言いながら警察に抑えられつつも暴れていた。というか、抑えられ&暴れながらコンビニに入ってきた。おいおい、こっち来るなよと思いつつも俺は立ち読みを止めない。
間もなく警察に押しやられて、コンビニからわめく男は退出した。外を見ると、からまれていた男グループが別の警察に事情聴取?を受けていた。男は抑えられつつも相変わらずわめいている。
まぁわめく内容もアレで、事情聴取?を受けている男グループに対して、「殴ってみろや、キンタマついとんか!」とか挑発している。かかってこいや的なジェスチャーをしながら。それをたしなめる(多分)彼女。警察は相変わらず抑えつけている。
ということがあった。前フリが長くてすまん。
俺が思ったのは、「なんでこういう赤の他人に理不尽な因縁つけてケンカ売るようなDQNに彼女が居るの?こんなんでもあんなカワイイ彼女ができんの?」ということ。それで、ちょっと考えてたのだけど答えが出たので増田に書いてみる。
思うに、DQNにほぼ共通する特徴として、
ということがあると思う。ここで重要なのは、前者の「コビを売る」ということ。
自分よりも強者に対してコビを売ることができるのと同じように、やつらは気に入った女にはコビを売ることができる。「気に入られよう」と行動することができる。
そしてそういうアプローチを受け入れる女の子がいる。コビ(だけじゃないだろうね)を売られて、気持ちよくなって、「多少欠点あるけどまぁいっか」となって、DQNとくっつく。
そうだよ。DQNは女の子を気持ちよくできるんだよ。DQNですら。女の子にとって、マイナス(DQN行動)があっても、プラス(気持ちよくしてくれる)があるんだよ。
それにひきかえ「おまいら(敢えてこの表現を使う)」はどうよ?女が欲しいくせに、セックスしたいくせに、女の子を気持ちよくしようとしない。童貞のくせにプライドが邪魔して女の子に対してどこか見下した態度をとる。童貞のくせにプライドかよ?
そして女の子と話をすればボソボソ小さい声。自分本位の会話。その段階を超えることができたヤツでも女の子の気持ちを揺さぶるなんて到底不可能な稚拙な褒め言葉を出す程度。女の子を気持ち良くさせるように会話するって意識したことないだろ?
だからね。おまいらと同じ時間を過ごしても女の子にとってプラスが無いのよ。
おまいらね、女の子にとっては空気。無害かも知れないけど、女の子にとって全くプラスは無いのよ。居ても居なくてもいっしょ。だからおまいらは女の子に選ばれない。いいこと無いから。
…あれ?ここまで書いたけど何で俺、童貞ヲタに対して敵意むき出しなんだろ?あぁ、アレか。童貞ヲタだった昔の自分を嫌悪してるのか。あと、それと「そこ」から抜け出ることができた優越感に浸って、「そこ」から抜け出せない奴らに説教モードのオナニー増田垂れ流しか。いいだろ、もっとオナニーさせろよ。まぁ、年を食うってのも嫌なもんだ。
というわけで、だ。「なんでDQNですら彼女ができるのに、俺にはできないんだ?」と考えている童貞ヲタ達よ。会話でも何でも、女の子と同じ時間を共有するときは、女の子を気持ち良くさせてやろうぜ。できるなら、会話で濡らしてやれ。さらにできるなら、イかせてやれ。
ネット上だと「相方」と書くな。自分の性別をことさらに明らかにする必要がなくて便利。まあリアルでは使わないけど。芸人が自分のパートナーを呼ぶ呼び方を転用してるわけだろうから。でも、こういう一種のジョークから来る呼び方って、過去にさかのぼるとむしろ普通なんじゃないかな。
高度成長期の「(ウチの)山の神」[*『山の神』は「女性で嫉妬深くて醜女」というのが定説。昔から田舎で女性が山に入れない理由=入ると祟る(山の神さまが自分よりキレイな女性に嫉妬するから)と言われたりした。多分そこから転じて、自分の妻を自虐的に卑下して他人に言う一種のジョークとして通用。]、「お内儀(かみ)→カミさん」[*本来は店屋や旅宿などの主人の妻でその家の内向きを取り仕切る人。他人の家及び妻に対して大げさに敬意を表明するジョークとして。]なんて言い回しもそうだし、一般のコトバとして使われてる「奥さん」だって「奥(=武家の妻)」からの、「女房」だって「皇室のメイドさん」からくる『過剰な美称』としてのジョーク、「ヨメ」だって語源が「弱女=ヨワメ(or手弱女=タオヤメ)」から来てる美称だとすると意外とジョークの一種だったのかもしれない。たぶん、古い古い日本語で言うなら「ツマ(=側にいるもの)」が唯一の、おそらくはジョークでない呼び方じゃないかな。でも大昔はこれ男女ともに相手に対して使ったんだけどね。