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はてなキーワード: 信頼関係とは

2007-06-05

http://anond.hatelabo.jp/20070605122242

最初そういう事を言ってるのかとも思ったけど、

これは、女性コミュの中で、「友達沢山つくる」「敵を減らす」事が、「信頼できる友人のみと付き合う」よりも、利得が多かったことを意味しているわけですが。

理 由 が わ か ら な い

こういう事も書いてあるからやっぱり女性は「褒め褒め」で男性は「ファック」と言ってるんかと思った。

というのは、私の女性コミュニケーションに対する感覚からするとこの疑問が出てくる事自体有り得ない。私はとにかく、褒め言葉も貶し言葉もケースバイケースで使い分けているだけと思っている(男性もそうだと思っていたが)。だから、「友達たくさん作って敵を減らすことが、信頼できる友人のみと付き合うよりも利得が多かった」とかじゃなく、単に、「敵は無駄に作らず、且つ、信頼できる友人は無論作るし、そこまででもない友人も作る」って感じなんだけど。しかしそういう疑問が出てくるってことはやはり、女性は主に褒め褒めでーとか思ってるんじゃないかと思った。まあ違うなら違うでいいんですが。その方が私の考えと合うし。

ていうか、逆に、男性は本当にそんなにファックコミュニケーション中心なのか?って思う。男性も、普通に、使い分けてるだけだとおもってたから。身内の男性なんかを見ても「よう!フニャチン野郎!」的な会話は見受けられない。勿論隠れてしてるかもしれないしこいつらだけかもしれんけど。悪口言い合うにしたって、「お前馬鹿じゃねーのw」レベルで。だから、男女問わず、気があってきて親しい友人になってきたら、彼らにはふざけ半分の悪口を言い合って遊ぶ、そこまで信頼関係が構築されていない友人には、まあ、あたりさわりのない、かといって嘘でもないくらいの会話をする、みたいな感覚だったんだけど、……全然違う風に考えてる人もいるもんだな。

まあ、だから、男性がファックコミュ中心だとしても、その対極として女性は褒め褒めコミュ、みたいなのは違う……気がする。ファックの対極として褒めがくるんじゃなく。

性的な話はたしかに男性に比べりゃあんまりしない。が、それは性的罵りをしないのではなく性的な話全体をしない(罵りじゃなくてもしない)だけで。その他の話題で、褒めたり罵ったり色々しますって感じ。図に描けたら表しやすいのだが……

2007-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20070528174058

最近近隣諸国が危なそうなので、防備はきちんと固めて欲しいと思っている

現在の水準で充分。

それよりは外交をなんとかしてほしい。

現代において戦争は2つの国家間でおきるとは考えにくい。

そんななか、

北朝鮮有事の際には韓国と共同戦線を張れるか?

韓国有事の際に中国と共同戦線を張れるか?

中国有事の際にはロシアと共同戦線を張れるか?

有効な信頼関係を築くようにがんばってほしい。

・上に関連して、憲法が変わっても別にいいと思っている

日本を攻め落として属領にするよりも蒙るコストの方が高いぶんには心配はいらない。

なので軍備強化のために憲法を変える必要はないと考える。

ただ、解釈がまいど分かれるのは問題なので戦争の放棄を再表記する旨であれば反対はしない。

韓国には殆ど興味がないが、中国との領海問題や日本海の汚染問題には関心がある

韓国には一応興味があるがキムチ焼肉として。

中国との領海問題は深刻。

経済的に蒙るコストも大きいので経済的に優位な現段階において日本が権利を買い取るのがいいのではないか。

いずれにしろいまのままではあやふやすぎる。

海洋汚染、黄砂の問題などは深刻。根強く改善の指導にあたるよりない。

・上に関連して、中国よりは米国と仲良くした方がいいんじゃないかと思っている

米国米国中国中国。どちらも重要

ただあまり米国に頼りすぎるのは問題。

君が代日の丸問題を見ると、いいじゃん国歌くらい歌えば、と思う

「愛する態度」とか、「尊敬する態度」を国や政府が指導しようとすることに強い違和感を覚える。

国旗国歌法など不敬罪を立法化したようなもので思想表現の自由を著しく奪うものだと思う。

国旗国歌を規定するのは悪くないが強制、義務化するのは問題だと思う。

君が代不起立で処罰は右傾化だ云々、と見ると、公務員なんだし仕方ないんじゃないかね、と思う

東京都のことだとおもうが規定された以上従うべき。つまり起立しておくべき。

規定された以上理不尽でも従い、それと平行して活動していくべきで処罰されてから対抗したのでは無法者ほかならない。

これでは不良生徒の言う「制服なんてダサいもんきてられっかー」と私服で登校するのと同じ。

・フェミの問題は地雷が多いから近づかない様にしている

たじまようこと議論はしたくない。

だが問題とはなんだろう。問題となるほどの主題は果たしてあるのだろうか。

そこに議論すべき内容があるのであれば議論に参加するのに抵抗はない。

外国人参政権の必要性は理解出来ない

外国人である以上参政権は必要ない。帰化したのであれば別。

すこし問題だなとおもうのは日本でのビザの鶏肉コケッコーさ。

有能な人材の獲得は積極的におこなっていくべきだとおもうので、一定の技能がある人間はもっと積極的に受け入れるべきだと思う。

現在は受け入れ先が先に決定していないと就労ビザなどがとれなかったりする。

博士クラスなら無条件にビザ発給してもいいのではないか?などと思ったりする。


・・・最近ネットの風潮をみてると、

こういう考え方はサヨ認定なんだろうか?


http://anond.hatelabo.jp/20070528174952

政治的な右・左度 -0.8(保守リベラル度)

経済的な右・左度 2.59(市場信頼派・政府介入派)

あなたの分類は リベラル右派 です。

うは、右派なのかっー

2007-04-27

http://anond.hatelabo.jp/20070427142750

うーん、もし「プライベートの話はお前さんとしたくないです」パターンの生返事だったとしてもさ、なんかの拍子に仕事でものすごい信頼関係ができちゃったらまた状況変わるかもしれないしね。がんばってね。

2007-04-25

転職

転職活動をしている。

■今直面した現実は自分にとって酷く悲しいことだったのだけど、だれにも同情なんかして欲しくないから誰にも話していない。友人からの同情じゃなくて、そんなことより可能性が欲しいのが切実。職場ではプライベート仕事は分けていて自己防衛している。

なわけど、ちっぽけなプライド保護しつつ、人材紹介業者に利用する前の心構えを3つ。

  • 友人に具体的に相談を求めるべきではない。相談するべきは第三者を利用しあるがままに相談すべき。
  • 採用に際しての負の要因も、正直に伝え相談すべき。
  • 理想像・夢など描いているビジョンと現状をあいまいでもいい、相談すべき。

要望を伝えれば、客観的にもギャップを教えてくれる。

正直に転職理由を話せば、きっと真摯に対応してくれ、信頼関係が気づけてなんでも相談できる。

履歴書・経歴書・ビジョンを伝えれば、客観的な評価を得られ、具体的なアクションが分かる。

■俺の客観的に社会的にちょっと難有りな経歴を人材紹介屋さんに見てもらったら、やはり客観的に社会的に難有りだと指摘していただいた。それは改めて認識できてコレからを対策を打っていけばいいと思うんだ。でも、その話を友達にできない浅はかなプライドが、どうしてもプライベートで壁を作ってしまっているように感じる。取り繕った嘘が重なって、自分が潰れそうになっている。信頼が壊れてしまうんじゃないの?結構がんばっている俺だったんじゃないの?って小ざかしくも見られていた自分に対して、それなりにいい加減にしてたしわ寄せが今来ている。最も健康的な理由から、そうなってしまったのだけど。それで同情をされるのがすごく重い。知らないでいて気にしないで欲しい。そうして晴れて復帰したいってのが一番の願望で、今思っているんだ。

なので、逆に人材紹介屋さんにはすべてを話すべきである。と、今日痛感した。

■だから、これから転職を考えている人へ。

積み重なったり欠勤はものすごく不利であるってことを伝えたい。もしあなたが(遅刻はともあれ)5日以上欠勤していたり休職していたらばらば、それを取り返すには少なくとも10倍の成果と信頼を勝ち取らなければいけない。責任もそれに伴うプレッシャーもあると思うけど、できることは誠実に無理をしないペースで取り組むことだと思う。

「いい加減に見られる職歴は本当に門前払いなのだ。」

|きっと楽観的に自分をケアしてくれる人がいる。同情して欲しくないけど、それが重くなってのしかかって来るんだって感じている。友人ともし話す機会があれば、本来なら照れ臭くても言うべきだとは思う。でもそれは必ずしも友人である必要はなく、個人的には客観的にみてくれる人材派遣屋さんを利用するのが(プライベートのかかわりもないので)多分ベストだと思う。正直に現状を伝えればきっと真摯にアドバイスをくれる。|

正直、俺の場合、今までの失態・信頼を取り返すのに多分一年かかる。

■いいかい、ビジネスにおいて(相談時を除き)同情はしてはいけない。それはその人のためにもならないことで、突き放したところでもそれが現実である。もしもあなたが今うまくいっていないのだったら、余裕が持てる職場に入ってスキルを磨いて、客観的社会的に信頼を勝ちとることが最善策だとおもう。俺はそうしようと思うのです。今までは正直しくじったと痛感している。信頼の回復に一年費やさなければいけないから。

ここを読んだいい加減な人は、どうか考えを改めて少しまじめに働いて見てくれると俺は嬉しい。

2007-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20070423035452

撮ってるほうの悩みでもある。

カメラって異物なので、ある程度は仕方がないとも思う。

だから撮られるほうとのコミュが必要なんだけど、ここであまりがっついて話したりするとそれもまた不自然

結局、両者が自然に話せる関係を地道に築くしかないのかも。写真って、撮るほうと撮られるほうの信頼関係が大事なんだよなぁ。

2007-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20070406201443

そこについてたコメントが興味深かった。

面白いですね。「言っていること」と「考えていること」の乖離具合は京都人達と同じです。この記事では、会話は彼女限定なので比較的裏を読みやすいのですが、京都では信頼関係が稀薄な人との間でもこの調子です。そのため、日常会話で返しの言葉は観点を変えた真意を探る質問が混ざります。この所作、京都では日常茶飯事です。他府県の人は日常ではこれを絶対やりません(ビジネスシーンでは普通にやっていますが)。なので、京都の人は性格が悪いとよく言われますね。あっ、私京都の人です(笑)

こんなわたしは京都のお家に嫁いだ人。こっちがお客さん(学生一人暮らしの若年社会人)の間は優しかったけど、シビアな場面じゃやっぱりコワイよ京都人

2007-03-16

死にたくなくなった

生きたかったことは一度もない。を読んで、そういえば自分も20年近く「早く死にたいなあ」と思っていたんだっけ、と思い出した。

僕も彼(彼女?)と同じように、保育園(幼稚園には行かなかった)の頃から、死にたくて仕方がなかった。その頃からつい最近まで、暗澹たる気持ちで日々「死にたい」と思い続けてきた。

大学生になって落ち着いてきた頃、「何かバイトでもしてみようか」という気になった。特に何も考えずに、「大学生なら家庭教師塾講師だろ」と勝手に思っていたので、塾講師を始める事にした。

ところが、自分はコミュニケーションが苦手。にも関わらず、生徒と会話をしなければならないと気づいたのは、初めての授業を受け持った時だった。ただ勉強を詰め込もうとしただけじゃ、生徒はついてきてくれるはずもなかった。とにかく生徒との信頼関係を築く為にも、生徒と会話を通じてコミュニケーションを取るしかなかった。

全然うまくいかないまま、3ヶ月が過ぎた。担当した生徒の中には、辞める子も出始めてきた。

夏休みになると、夏期講習の為に、普段受け持たない生徒とも接するようになった。その子たちの中には、コミュニケーション能力の高い子も居て、そういう子は休み時間にも積極的に話しかけてくれた。そうすると、今まで様子を見ていた子達もだんだん話しかけてくれるようになってきた。

そのうち、受身でコミュニケーションを待っているだけじゃダメで、自分からもコミュニケーションを積極的に取っていく必要があることにも気づいた。これも最初のうちはうまくいかない。場の空気を読めなかったり、一方的にしゃべってしまったり、逆に全くしゃべれなかったり。試行錯誤するうちに、「今の授業よかったですよ」と言われるようになった。「先生の授業が受けたい」という子も現れるようになってきた。

ある時、ふと気づいた。今まで「早く死にたいなあ」と思っていた気持ちが、どこかへ行ってしまっていた。自分の成功体験がそうさせたのか、コミュニケーションにそういう力があったのか、何が原因なのか分からない。高校からずっと理系人間の自分にとっては、理屈で説明できないこの気持ちの変化が、何によってもたらされたのかは未だに分からない。

今でも、生徒とのコミュニケーションはあまり取れていない。もっともっと生徒との信頼関係を築く為にも、どうしたら相手にとって感じのいいコミュニケーションが出来るようになるのか、試行錯誤していくつもり。そうしていけば、今は単に「死にたくなくなった」というだけの気持ちが、積極的に「もっと生きていたい」という気持ちに変化していくんじゃないかと、期待している。

2007-03-10

Re: 友達を縁切りしたorされた人いる?

http://anond.hatelabo.jp/20070310144826

自分は大学1年生のとき。

3人グループで一緒に行動してたんだけど、うち1人が夏休み明けから口をきいてくれなくなった。

心当たりはひとつ。自分は当時失恋で結構独りがイヤで周りに依存して愚痴を言う日々が続いてたんだけど、その流れで寂しかった夜にその1人の家に行って少々無理言って泊めてもらったこと。(勿論同性です)

3人グループのあと1人とはその後もちょこちょこ立ち話はしてたけど、その1人に遠慮して一緒に授業受けることはなくなり。その話をすることもなかったな。

直接相手にした何かの行動が相手を怒らせたわけじゃなくて、普段の自分の態度とかから「こいつは付き合うに値しない」という判断を下されることもあるだろうし、自分の場合それに相当した可能性はある。

でもさ、他の人から見ても「付き合うに値しない」と判断されるほどの常識外れなことをしたかどうか、

縁切りされるほどのことをしたかどうかは実はさほど問題じゃないと思う。

なにか相手に不満があった時にそれを話し合えるような間柄だったか、またはそれほどの付き合いを望んでいたかどうか。

そういう関係の2人じゃなかったら、

どういうところで機嫌を損ねて関係が切れたとしても何もおかしくない。人がどういうところで腹を立てるかなんて分かるようで分からないじゃない。自分はそれを慮る姿勢がありますよってのを見せて信頼関係築いていくことはできるけど、ほんとに理解することはできないじゃない。

……と、今はそんなことも思うようになったけど。

当時は見事に人間不信になって授業出なくなったな。

2007-03-07

プレゼントの楽しさ

プレゼント

最近プレゼントするのが楽しくなった。通り一遍の花とかでも、彼女が無邪気に喜んでくれるとうれしいし。

これは信頼関係なのかなあ。おれがそれなりに考えてやれば、彼女は絶対に喜ぶってわかってるっていう。

最初は、元ネタの人みたいにびくびくしてたし、偽善だとか言い訳もしてあげなかったりもしたけどね。

気持ちだけあればいい、っていうのはプレゼントを断る側がつかう台詞だ。

2007-02-15

程度問題かもしれないけど

http://anond.hatelabo.jp/20070215133411

非モテの人が求めてるのはお付き合いする女性じゃなくて、自分の存在を肯定してくれる都合の良い存在だからね。

それって非モテだけに限定できるんかいな。

恋人を求める行為の中には、そういう自己肯定を求める心というか、自分を無碍に否定しない安住の地を求める心って少なかれあると思うんだけどなあ。「好きになる何かを持っている人」を「他人」じゃなく「恋人というポジション」に置く/置きたくなるのは、恋人ならではの言動をぶつけても自分を(少なくとも簡単には)否定しない、っていう相互認証みたいなもんだろうし。そこを「非モテだから」と切り捨てるのはちょっと哀れだ。

「内面を見てくれ!」に走ってしまう理由は、単純に途中のステップを知らない/踏むのが面倒/怖いからではなかろうか。自分が欲しい欲しい欲しいと思ってるポジションにまっしぐらになってしまうというか。

あとさ、非モテのみならず俺らの使うコミュニケーション方法に、ブログとかその他コテハン系の掲示板等があるけど、これって対象の周囲人格全てじゃなくて、コミュニケーションしたい部分=欲しい部分だけをピンポイントで話せるっていう面があるよね。増田好き同士なら増田の話だけをすればよく、相手の日常の人格なんて見なくていいし、見えないし。増田好きが集まってる場所にいるという一点だけでお互いが認証されている。

そういう世界に慣れきってると、その相手の日常人格を一つ一つ攻略して信頼関係を築き、それから目指す欲しい部分に手を伸ばす(伸ばしても良いという相互認証を構築する)って感覚が薄れてしまうのかもしれない。その薄れ度合いが、確かに非モテな人は高いのかもしれない。ま、この辺りは完全に憶測なのだけど。

http://anond.hatelabo.jp/20070215123530

私の彼はこういいます。「●●が別のことをしたい時は、いってくれればそっちを優先していいよ。でも自分は●●のことが1番目だし、●●の1番目になりたい。だからたまには、自分を1番目にしてね」って。お互いの認識(恋人が1番目・3番目)が違う事を認め合って、譲歩しあうのも恋愛醍醐味ではないでしょうか。


キチンとした信頼関係を築けてるがゆえの、その相互認識ですよね。素敵だ。

流れ的に、女性不信に陥ってる非モテから見れば、

「男が1番なのに、女は3番だと!? やっぱり身勝手だ! 恋愛なんてするもんじゃねぇ!!」

みたいに捉えてしまうのか。それはそれでどうなんだろう。

2007-01-30

なんで下請け構造がもてはやされるかっていうと

単純に値下げ圧力があるからだね。

内部製作にすると製作に必要な人間を常備しなきゃいけないから人件費が増大する。

人件費=原価の業界ではコスト削減には要らない人間を自由にクビにできる(雇用流動性)必要がある。

日本労働法制下ではレイオフは簡単にできないから

下請け構造を利用して雇用流動性を確保するというのが常態化している。

仕事が発生したときに社員を増やすのでなく、下請けを取り込むことで処理能力を補填するわけ。仕事が終われば下請けを切り離すだけで済む。

 

ただ、下請けに外注するようになると品質の制御が難しくなる。発注側の見てないところで作るわけだから。

品質チェックを厳密にすればいいのだけど、チェックだってコストは掛かるので限界はある。

だから有る程度下請けを信用するしかないわけだけど、その信頼関係確立されてるかっていうとこれがかなり怪しい。

下請け構造は基本的に上位についた側が力関係でも上になるので、条件交渉では発注寄りのほうが有利、というか決定権はほぼ発注側にある。

 

ここで発注側が下請けを「パートナー」と見るか「奴隷」と見るかで条件設定が変わる。

 

パートナー」であれば品質は要求するけれども、要求をクリアすれば許容する範囲内で相応の報酬をを与える。アメとムチを程よく使い分ける。

奴隷」には要求は際限なく、報酬は死なない程度に与えればいい。もし死にそうになったら捨ててしまえばいい。ムチムチだ。

 

奴隷は追い詰められて死の間際になれば暴動(モラルハザード)を起こす。そうしなければ生きていけないからだ。暴動が飛び火して発注側の信用(ブランド)を傷つけることもある。

 

あなたの会社の外注先は「パートナー」ですか?それとも「奴隷」ですか?

奴隷」を飼っているならそのリスクも覚悟しておきましょう。

http://anond.hatelabo.jp/20070130015714

2007-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20070118224317 の「親密フラグ」について。

まず書いておくが別に私はパーソナルスペースについて無知なわけでも否定したいわけでもない。

むやみに男性になつく女はアホかと思うし、それで襲われたとしても(力にものいわせた男性が悪いのは当然としても)「あなたにも原因はあるよね」くらいは思うだろう。

だからと言ってヘテロセクシャルの場合の異性間友情、あるいはホモセクシャルな場合の同性間友情を否定したいわけでもない。

私はそれでも、親密フラグ理論 には納得がいかない。

なぜなら、なぜ「親密フラグ」が立つとされるパーソナルスペース内に存在していても「家族」とはセックスしないで、「男女」なら友情が成立せずセックスすることにつながるのかという記述がないからだ。

恋愛文化のドグマについて語るのであれば、そもそもそれ以前のタブーについても考えるべきではないだろうか。

私は別に人類学社会学を専門に習ったわけでもないので、ここから先の記述がおかしい場合は申し訳ないがどなたか訂正していただけると助かります。

さて。

人間同士のセックスについての基本的なタブーといえば、やはりインセスト近親相姦タブーを第一にあげるべきだと思う。。

http://anond.hatelabo.jp/20070118224317では「家族はセックスしない」というのを当たり前の前提としていえるが、セックスだけを考えたら血のつながりなどたいした問題じゃない。

例えば私(生物学的には女性)には弟がいる。

私にも彼氏がいるし、弟には嫁と息子がいる。お互い仲がよく、いままでセックスをしようなどという話題は一度ものぼったことなどない。

でも私と弟はある特定の状況下に入ればおそらく9割以上の確率でセックスするだろう。

それは例えばこうだ。

私や弟の家族、友達がそろってどこかに閉じ込められている。

そして私と弟だけが別室に呼ばれて、見知らぬ人間がむごたらしく殺されるのを見る。

この状況で「あなたたちがここでセックスすれば家族は助けてあげますよ?」と言われたら?

このような類の限界状況を考えれば、行為としてのセックスに、不可能はあまりない。

目の前で二人、三人、と殺されていけば自らを狂信的異性愛原理主義者だと言っている人でも、同性とでも家族とでもセックスする方を選ぶことが多いだろう。

肉体的にセクシャルな関係、など所詮その程度のものなのだ。

そもそもインセスト近親相姦タブーや制度としてのエクソガミー(外婚)が存在するのは、我々人間が血のつながりなど関係なく、手近な人間とセックスできてしまうからだ。

原始社会においては乱婚が当然だったし、社会によっては未だにエクソガミーを禁止していないところもあり、そこでは近親婚が当たり前のように行われている。

それでも現代日本に住む私達は家族とは普通セックスなどしない。

ヘテロセクシャルな例で言うならば、娘にべったりされた父親は「親密フラグ立ちまくりたまったものじゃない」はずなのに、裸で一緒に風呂に入ってもセックスしないのだ。

なぜなら私達は、そのようなタブーや制度を『お互いが暗黙のうちに受け入れているものと信頼して』家族という集団を形成しているからだ。

ちなみに私は一度だけ、男性の友人の布団が敷かれたままのワンルームマンションに、終電がなくなるのを承知の上で、ひざ上のスカートで入っていったことがある。

なぜなら「翌日提出の卒論PC以外で受け付けないっていうんや!」と泣きつかれたからだ。

終電がなくなるまでにパソコンを運び込むことに気をとられていて、洋服のことなんてまるで考えが及ばなかった。

お互い顔をつきあわせて「こんな文字、手書きじゃ教授だって読めないよ!」と叫んだり、私のすぐ横でパソコンの画面を覗き込んでは「打ち間違えとるで」「うっさい!!」とか大騒ぎを繰り返し、半分に折り重ねた布団を横にしたまま、作業は3時間ほどで終わった。

つまり、親密フラグを3時間くらいかけてたてまくったあげく、朝までセックスをするだけの余裕は十分にあった。

それでも私達は「じゃあちょっとついでに乗っとくか」みたいなセックスはしなかったし、今でも普通の友人だ。

そして、その状況と同じことになっても、世の中のほとんどの男女はセックスしないと私は信じたい。

「親密フラグ」のコントロールは確かに大事だと思う。

でも、「親密フラグ」のコントロールができる人間にのみ、性的欲望の対象となりうる関係性での友情を得ることができると考えるのは、信頼を前提とした社会に生息する人間としては、原始的な欲望を優先させるものの見方にわりと近いような気がしてならない。

肉体の距離を第一の判断基準として、精神を劣後させるような記述は、相手が一人の人間である以前に物体だという考え方をとる人間が増えていることのような気がして、あまりにも哀しい。

私達人間は、ある概念を共有しているという信頼関係の上で社会を築いているのに。

2007-01-12

談合って地産地消じゃないかなー

http://anond.hatelabo.jp/20070112140856

みんながやっていたことなのに、なぜ自分たちだけが処分されるのか」といった内容で、談合業界全体で行われていたことを認め、不指名をやめるよう求めていた

地産地消論の矛盾

「地域内」循環を推奨すると自ずと「地域間」循環を否定することになるでしょ。グローバル規模の相互依存信頼関係あっての取引関係は素敵なことではないのか。「循環」はどのレベルまでなら善なのか悪なのかはっきりして欲しいものだ。

談合はこっそりやっているからダメなんであって「地域の豪商を優先しますよ。」を明言しちゃえばいいんでないかなぁー。((政策としては、英・独・仏とかあの辺りっぽいけど。ただ規制緩和真逆ってのが問題なんだよなー。))

格差マンセー搾取ドンと来いとかにも一貫して追従するならグローバリズム肯定の立場で納得するんだけど、学者id:fuku33)に立場の表明を求めても無駄だよな。

ところでぜーんぶを一般公開入札にしたらどういうことになるのだろうか。悲観的な結果になると思うんだよなー。

たとえば某自治体○○○○○○制作の業務委託については、年々落札額が下がっている。過去落札価格も公開しているのだから翌年に落札したかったら当然それより安くしないと落札できない。((これって実は運用業務のことね。システムの開発やらの美味しい部分は大手が持っていく))

発注する側の立場としてはとても良いことなのだが、受注する側からすると毎年身を削っていることになる。その分は案件数でカバーすることになり、儲けようと思ったら派遣会社派遣登録者数を増やしてピンハネの頭数を増やしていくという作戦に出るわけだ。

ということは、結局そのシワ寄せは現場で作業をおこなう派遣社員なりバイト君ということになる。いわゆる下流市民が圧迫されるということなんではないかなー、と不安になるわけです。

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