テクニックがあってテーマのない人間は哀れだ。彼らにできるのは対象物を微妙に損ねたかたちで表現することだけ。それは実に精密、そして意外な仕掛けが施されていて、見るものすべてがひと目でその力量に惚れこむだろう。これは素晴らしいと感嘆し、陶然としたひとびとは我先にと商品に売約済の札を貼りつけ熱狂の渦に叩き落とされる。
そうして彼らは瞬く間に幾許かの名声と、それなりの現金を得て懐があたたまる。だが、それで終わりだ。何も変えられはしない。聞こえてくるのは賞賛の声と、いくらかの妬み嫉み。彼らが血反吐に塗れてつくりあげた精巧なレプリカを誰もが正しく理解し、受容しているのだ。彼らに実現可能な高みとは完璧な世界の表現でしかない。正確にいえば「わずかに欠けた現状」である。そんなありふれたものを誰もが買い求めた。苦渋や、浮き立つようなしあわせが掬い上げられているかに見えるそれを欲した。そして陳腐な空想に浸るのだ。もしかしたら存在したのかもしれないかわいそうな自分を幻視し、涙した。そうしたひとびとから圧倒的な支持を受けていた彼らは、その事実に慢心することはなく、むしろ常に脅えていた。彼らは自身を他人事のように見つめるのに長けていた。これこそが唯一にして絶対の力点だった。彼らは自分の存在意義と限界をしっかりと弁えていて、立ちまわり方を誤った際の自分の末期を見とおしていた。自分の地位を脅かす存在を想定していた。
それは散漫な人間だった。自分を制御する術を持たず、学のない、道理を知らない愚か者だった。己の境遇を恨んでは憎悪の腐海に沈み、海底から虎視眈々と世界への復讐を果たそうと構想を膨らませていたがしかし、その奇想を実装する能力を持たない人間だった。零れる言葉は誰からも理解されず、あきらかに奇異。おそろしく、不気味な、妄想の片鱗を垂れ流すことしかできない異常者。ようするに逃げ場のない人間だった。殺されるか、殺すか、二つの選択肢しか持たない。だから、そういうものが死なないのであれば、確実に自分たちのもとに到達して、かならずや復讐を果たす。彼らはそう考えていた。いや、仮に志し半ばで野垂れ死んだとしても、結果は変わらないのだ。今世紀中には無理でも数百年をかけて間違いなく殺される。歴史の隙間に葬り去られる。この世に蒔かれた憎悪の種は水を遣らずとも芽をだし、突如としてシステムに痛手を負わせる純粋な悪意の表象となる。それはやがて黒々とした花をすべての人間のこころの中に咲かせるだろう。今、もしもそれを目にすることができたところで、誰ひとりとして正当に評価できないのはわかりきっている。彼らですらあれは花ではないと酷評するのが関の山だ。あの花は決して枯れないのだから。花は枯れてこそ花である。だとしたらあれは花ではなく……。
彼らは行き過ぎた妄想を止めた。完全に未来を予測するのが不可能であると知っていた。失望に足をとられて転ぶのをよしとはしない。すぐさま構想を練り始めた。愚か者には枠を与えるべきだ。今すぐにでも教育を受けさせなければならない。きちんと枷をはめ、思考は決まった円環上で堂々めぐりするように仕向けるのが最善だろう。生活に困って妙なことを考えないように、みな同じだけの富を持てる社会にすればいい。すべての人間を同じ高さに引き上げコントロールする。それができればこともなし、だ。さぁ、選挙に出る準備を。
すっかり夢中になっていた、いや、恐怖で混乱したのかもしれないが、彼らは重大なことを失念していた。彼らにはテクニックはあった。しかしそれだけだ。