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はてなキーワード: 運動エネルギーとは

2009-07-06

その通りかと

手元でちょっと動かすと、その動きのほとんどは、隣接する鉄原子間の電磁気力を介して鉄棒の先端に伝わるかと。

直線のままなら先端が光速になるような角速度で手元の鉄棒を回すと、その動きが先端に伝わる途中で、次第に

伝わるエネルギー運動エネルギーに変換されつつ減衰し、かつ、より先のほうを動かすのに必要なエネルギー

急速に増大していく。先端付近を動かすのに必要なエネルギー光速以上ならば無限大に発散してしまう。

真っ直ぐな鉄の棒を振り回しているつもりが、しなるムチを振り回しているような感じになる。

http://anond.hatelabo.jp/20090706031258

2009-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20090630181708

突き詰めれば人間の活動なんて化学エネルギー運動エネルギーという変換プロセスにすぎない

コメデンプンを分解したエネルギーで指が動いて増田を書く)。

それを踏まえると、すべての人間意識を持たない生化学ロボットで、

それでいて巧妙に設計されたピダゴラスイッチの仕掛けにより、

この地球と全く同じように人(のような生化学ロボット)が『淡々と』メシを食ったり眠ったりする世界

その方が自然に思えてくる。その世界であれば全ての事象が物理学で説明できる(不確定性の範囲内では)。

君の住んでいる世界が、まさしくそういう世界なのかもしれないよね。

君以外の人間に、君と同じような意識があることをどうやって証明できる?

なぜ人間脳みそピタゴラスイッチじゃないのか?

最初に確認しておく。人間意識は脳が作り出している。

ちんちん気持ちいい!とか、あらゆる思考は脳が作り出している。

そして脳は当然のことながら物理法則によって支配されている。

だって脳っていってもCとH2Oの塊だもん。

物理学的には意識現象はリンゴの落下やピタゴラスイッチと同じことだ。


ここでふと疑問が起こる。でも俺ってピダゴラスイッチと違って意識あるじゃん

これはなかなか不思議だ。同じ物理現象なのに

リンゴピタゴラ装置意識が生まれてるようには見えない。

誰の意識も介せずにピダゴラスイッチアルゴリズムは『淡々と』進行してゆく。

こうして見渡してみると、宇宙の現象の99.99999999%以上は『淡々と』進行している。

太陽内部の核融合、蛇口から流れる水、宇宙の膨張。振ってくるオタマジャクシ。

ほとんどが誰の意思でもなしに『淡々と』進行する。ここでひとつの考えが浮かぶ。

人間(場合によってはイルカイヌカラスなども)だけが『淡々と』動かないのはなぜだろうか?


突き詰めれば人間の活動なんて化学エネルギー運動エネルギーという変換プロセスにすぎない

コメデンプンを分解したエネルギーで指が動いて増田を書く)。

それを踏まえると、すべての人間意識を持たない生化学ロボットである方が自然に思える。

巧妙に設計されたピダゴラスイッチの仕掛けにより、

炭素ロボットがあたかも意識を持っているように二足歩行する世界

その世界であれば全ての事象が物理学で説明できる

だらだら書いたけど、結局上手い締めが思いつかなかったので終わる。

2009-06-25

環境問題

http://slashdot.jp/hardware/article.pl?sid=09/06/25/0043254

どんな発電方法でも、

何らかの自然エネルギー(風力、水力、熱等) → 運動エネルギー → 電気エネルギーとか → ・・・ → 鉄とかプラスチックとか安定した物質

になると思うんですよ。

人間が作った安定した物質がまた自然エネルギー還元されるとは考えにくい。

ってことは、自然エネルギーをどんどん安定した状態に変換して、自然界のエネルギーの循環を人間が止めてるように思うんですよ。

ってことは、どんな発電方法をとっても最終的にはエネルギー不足になる気がするんですよ。

ものすごーく長い目でみるとね。

直感的にそんな気がするだけで、専門家ではないので戯言だと思ってください。

ただ、このへんの説明も含めて「エコだ!」って叫んでほしいだけです。

2009-06-15

http://anond.hatelabo.jp/20090614184503

「弾丸の運動エネルギーは米粒のエネルギーに換算するとどれくらいか」ということを真剣に議論していた。

米粒議論の二人は「弾丸一つにつき米粒半分」という結論に達し

これがどうしても納得いかないんだが。

なにより「米粒のエネルギー」ってのが理解できない。

質量エネルギーのこと?核分裂反応等で取りだせるであろうエネルギーのこと?

仮に前者だとして適当計算すると、

米粒の重さ=0.0022g

弾丸の重さ=10g前後

弾丸の速さ=300m/s前後

光速=3*10^8m/s

なんで、弾丸の運動エネルギーは米粒約1/10000個分程度になる。

「約半分」に対して1/5000、0.2%程度しかエネルギーが得られないことになるが、

これはまぁ核分裂反応のエネルギー効率と同程度かな?という気がするので、

そういう話だったのかなあとも思う。

どうなんだろう?

2009-06-14

プライベートでも仕事のこと考えてるとか馬鹿なの? 死ぬの?

http://anond.hatelabo.jp/20090614184503

久しぶりに行った大学はどこか違う世界のようで、時間が限りなく薄く感じた。

食堂に入ってコーヒーを飲みながら資格勉強をしてると、横に座っていた大学生2人組は

「弾丸の運動エネルギーは米粒のエネルギーに換算するとどれくらいか」ということを真剣に議論していた。

最近、「上司に怒られないようにどうやって仕事しよう」とか「次の資格試験に落ちたらまた上司にドヤされる」などとばっかり考えていた俺は、

久しぶりのどうでもいい話に感動した。俺もそんなことを四六時中考えていたいな、と思った。


社会人になって、通勤時間にかわいい女の子を観察するとか、社内の恋愛ゴシップネタくらいにしか楽しみを見いだせなくなった。

会社人間としか接点がなく、家に帰っても仕事の事ばかり考えている。

事務ミス上司に怒られないようにとか、上司との飲み会でどうやって上司の機嫌を取るか、などとくだらないことばかり考えている。


自分社会人3年目だけど、プライベートはくだらないことしか考えてないよ!!

仕事中だって手が空いたときはくだらないことしか考えてないよ!!


はてダホッテントリ入りしたネタ記事はだいたい仕事中にネタを暖めたものだし、イベント前だと一日中ずっと同人誌ネタをひたすら脳内でこねくり回してる。

自分にとって会社は、プライベートでのオタ活動に必要な資金を稼ぎ、公的な身分保障を与えてくれるだけの場所ってかんじ。

平日の朝に会社の門をくぐった瞬間に「社会人自分」というアバターを被り、退社して門を出た瞬間にそれを脱ぎ捨ててid:○○に戻る感覚とでも言えばいいのかな。

上司とか同僚とか、みんな「平日昼間にアバターを着てプレイする『社会人』というゲーム」のNPCのような存在。目の前にいるときは対応をきちんとしようと心がけるけど、プライベートの時は頭に思い浮かべることすらしないね。

……ここまで書いてきて思ったのだけど、もしかして世の中の人はみんな自分自身の実存と「仕事」をそのまま接続させていて、だから四六時中仕事のことばかり考えていられるの? 

何その単線人生

社会人大学生

社会人1年目。金融機関サラリーマン

仕事で嫌なことがあって、この前の日曜、久しぶりに大学に行った。

久しぶりに行った大学はどこか違う世界のようで、時間が限りなく薄く感じた。

食堂に入ってコーヒーを飲みながら資格勉強をしてると、横に座っていた大学生2人組は

「弾丸の運動エネルギーは米粒のエネルギーに換算するとどれくらいか」ということを真剣に議論していた。

最近、「上司に怒られないようにどうやって仕事しよう」とか「次の資格試験に落ちたらまた上司にドヤされる」などとばっかり考えていた俺は、

久しぶりのどうでもいい話に感動した。俺もそんなことを四六時中考えていたいな、と思った。

社会人になって、通勤時間にかわいい女の子を観察するとか、社内の恋愛ゴシップネタくらいにしか楽しみを見いだせなくなった。

会社人間としか接点がなく、家に帰っても仕事の事ばかり考えている。

事務ミス上司に怒られないようにとか、上司との飲み会でどうやって上司の機嫌を取るか、などとくだらないことばかり考えている。

こうやって人はくだらない人間になっていくのか、と思った。弾丸と米粒の議論の方が、生きていて楽しい気がする。

米粒議論の二人は「弾丸一つにつき米粒半分」という結論に達し、アニメの話に移っていた。

僕は明日が月曜であることに吐き気を催しながら、帰路につくことにした。

2009-06-01

サクラダリセット

2008-11-23

http://anond.hatelabo.jp/20081123112154

なるほど。

それなら、「そもそも学校現場に「罰」が必要な場面ってあるのだろうか?」ということから話が必要だと思うな。たとえば9×9ができないことは「罪」なのか?罪じゃないとしたら罰が必要なのか、という。

「罰必要だろ常考」という発想の人がイメージするのは多分

宿題やるよう命じられた→やらなかった→必要な指示に従わなかったことに対する罰

・授業中騒いだ→静かにするように言われたが従わなかった→必要な指示に従わなかったことに対する罰

なんだろうけど、軍隊の上官と部下じゃないんだから命令に対する従順さを訓練してるわけじゃない。前者に関しては、「それが本人の学力を向上させる上で必要かつもっとも適切な(かつコスト的に優れリスクの低い)手段か?」が問われなくてはならないし、後者についてもそれが本人及び周囲の……という点が問われなくてはならない。その際「罰」が身体的なものであるか無いかは本当はそれほど大きな問題ではない……たとえば純粋精神的な罰(首から札を下げて玄関口に立たせる…みたいな「羞恥刑」とかだって、大いに問題はあると思うしね。

まあ、いずれにせよ「罰を与える」「指導に従わせる」というのは教育のための手段であって、目的ではないんだよね。それに対して

「目上の者に従う、という社会常識を教えるのも学校仕事だろ!」

考える人に対しては、それは必ずしも社会常識とは限らないだろう。学校は「集団生活のルールを学ぶ場」ではあっても「封建社会の身過ぎ世過ぎを教える場」ではない、と反論しておく。学校目的学問を習いに来る人間学力を付けることにある、というその本道を一歩踏み外すと、やはり訳分かんなくなると思います。だから「罰」自体が必要か否か、というのは考える値打ちがあると思う。

ちなみに「有形力の行使」と「体罰」は、本当は混同されてはならないです。自分個人の意見として言いますが、、もちろん『差し迫った命や身体の危険がある場合、有形力を行使してもそれを止めなければいけない場面』は当然あると思います。「話して聞かせてる状況じゃないだろ!」という場面。ものすごく比喩的に言えば、子供が崖の上で遊んでる場合、「そこは危ないから降りた方がいいんじゃないかな?そこから転落して地面に激突する際の運動エネルギーはこれこれで、それは人間の肉体を構成している骨や筋といったものの耐久限度を…云々」などとやるのは馬鹿の所行であって、そういう場合に腕をひっぱって無理矢理ひきずりおろすのは最善で唯一の対処だと思います。一見すると体罰と誤解されやすい『有形力の行使』は、そういう非常に限定的な局面で許されるもののことを言うのであり、罰や懲戒として『有形力を行使』することとは分けて考える必要があると思います。

2007-07-03

anond:20070702224919

おしえて」を書いた元増田です。みんな、反応ありがとう

4.風についてエネルギー保存則で説明するのは誤り。風の運動エネルギーは摩擦や熱としていずれ失われていくが、太陽光によって不断に供給されているから止むことがないのである。

5.星の光、離散的という言葉意味を誤解して使っているようである。

お見事。

結論から言うと、6だけデタラメを言っているように見えて、1から6まですべてデタラメを書いています。

  1. 周波数が高い。このため、回折したり拡散したりすることがなくとあるが、周波数が高い波は波長が短く、回折は起こりにくい。起こりにくいということは、いろいろな障害物にぶつかってしまうので遠くまで届きにくいことになってしまうが……
  2. 「くも」が「わたしをまってる」という現象をどうとらえるかによるが、一般には遠いところの物が遠近感の関係でついてくるかのように錯覚する現象(夜の月とか)を考えるのが自然だろう。だとすると、低い方ではなく、高い方の雲について説明するのが妥当
  3. 波長の短い赤色の光とあるが、赤色光は可視光線の中では波長が長い方にあたる。
  4. 上記別増田の解説の通り。第一「エネルギー保存則により、運動量は一定である」って、エネルギー保存則と運動量保存則をごっちゃにするんじゃねーよって話。その保存則も成立していないし。6つの中で一番わかりやすいよね。
  5. 光子の話とか離散的とかは全くの目くらまし。元の問いがどういう意味か分からんので、適当に書いてみた。
  6. ごぞんじの通り。

というわけで、6を見て笑っていたけど1から5までには気がつかなかったという人は、より巧妙ななにかに引っかかってしまいませんようお気を付けくださいませ。といいつつ、自分も適当なので上記ネタバラしすら間違っているかも知れず。

2007-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20070523084624

いい線行ってる。

地熱と原子力を除いたほぼ全てのエネルギーは、(化石エネルギーを含め)太陽がなければ地球上には存在し得ない。

水力も、太陽熱で暖められた水蒸気が上昇して凝結することによって太陽エネルギー(熱エネルギー)→位置エネルギーの転換になっているし、風力ももとは太陽熱の暖めかたのムラによって起きる、空気運動エネルギーへの転換だ。

>あ、溜められる電気がもしかして植物なのかな。

2007-03-29

人間関係は損得なのか、損得以外のファクターもあるのか

http://anond.hatelabo.jp/20070329014921

このへんから伸びている話題だけども。

たとえば、

  • キリン(の祖先)は、木の高いところにある葉っぱを食べるために、長い首を持った動物へと進化した。
  • より長い首を持った個体が生き残り、短い首を持った個体が淘汰され、その結果キリンはあんな動物になった。

と、二通りに記述できる。あるいは、

と、記述できる。んで、

  • 親が子に注ぐ愛は、理屈を越えたものである。
  • 親が子を愛するのは、種の保存という目的のためである。(もちろん無意識レベルで)

と、記述できる。

まあ、例がイマイチだが。

要するに、どのレイヤーに着目するかによって、記述の仕方は変わる。

ぜんぶ「損得勘定」に還元して記述することもできるし、

そうしないで、「愛」だの「善」だのってファクターを取り入れることもできる。

実際的なのは、後者記述方法でしょうな。

ちなみに、ぜんぶ損得勘定で説明しようとすると、究極的には

「得なことを追求することには、いかなる『得』があるのか?」という自己言及に至るね。

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