はてなキーワード: 絶対値とは
あなたの現在の状況には、あなた自身の実力よりも景気の影響の方がずっと大きいんだ、ということは前提として。
スキルっていうのは、何でもいいからたくさん身につければ戦闘力がアップするアクセサリじゃないんだ。
自分がやりたいことをこなすために、不可欠な土台となる力のことだ。
「就職面接ですごいと思わせるため」に身につけようとするのは、アクセサリってことだよね。
その時は真剣に取り組んだんだろうけれど、そんな飾りのようなスキルと、「これを身につけなけりゃ次が無い」と思って得たスキルって、なんとなく区別つくんだよ。
例えば、遥かな高みへと続く道の一里塚としてスキルをとらえてる人は、「自分にはどこまでできて、どこからできないか」を知っている。
その道を見上げれば「すごい」人はいくらでもいて、自分の実績なんて塵のようなものだということを分かっている謙虚さと、自分はゼロからは確実にこれだけ登ってきたんだという自信を同時に備えている。
雇う立場としては、よっぽど飛び抜けた天才でもない限り、新卒のスキルそのものの絶対値にはあまり期待しないよ。けれど、「道」が見えていて、自分がどこにいてどちらに向かっているかを知っている人とは、一緒に仕事したいと思うね。
でも、あなたはただの飾りのために1年の時から頑張ってきたんじゃない、と信じたい。
書く仕事、あるいは編集する仕事に、魅力を感じていたから、頑張って来たんだろう?
この世界は、どう転んだって書くことから離れられない、そういう病に憑かれた人が来るところだ。
そのつもりなら、これまでやって来たことが無駄なわけ、ないじゃないか。
30の男なんてカネ持ってて喋れて細身の筋肉質ならモテるんですよ、正味な話。こんなもんちょいと努力すりゃ達成出来る。
若いうちはそうはいかない、周囲のレベルの絶対値が高いからね。あるいは将来底辺確定の夢見がちバンドマンがモテたりするのが
ほんとそう思う。男は、努力がやがて実ることを期待できる。
勿論、実る保障はないが、それでも真面目に努力しておけば、可能性は低くはない。
それに対して女の方は、そういうのは、まあ、期待できない。この点で女って、ほんと可哀想だよ。
そーでもなくないか、いや個人の価値観だけども。
子ども作るに男の年齢ってそれほど重要なファクタじゃないし、35でもそんな焦んないと思うけどなぁ。
35歳の女性が35歳の稼げる男性の心情を想像するのはムリだと思う。
結婚って市場では女性の労働面での努力はほとんど勘案されない。
しかし、男の場合はルックスなんて年とともに低下するし「落とさない」努力さえしてれば
30過ぎ時点でごく僅かな例外を除いて大差なくなってるわけで。
30の男なんてカネ持ってて喋れて細身の筋肉質ならモテるんですよ、正味な話。こんなもんちょいと努力すりゃ達成出来る。
若いうちはそうはいかない、周囲のレベルの絶対値が高いからね。あるいは将来底辺確定の夢見がちバンドマンがモテたりするのが
オブジェクトのシリアライズツールであるプロトコルバッファについて書きます。
Protocol Buffers 本家
http://code.google.com/apis/protocolbuffers/
XMLはもう不要!? Google製シリアライズツール「Protocol Buffer」
http://journal.mycom.co.jp/articles/2008/07/18/protocolbuffer/index.html
Protocol Buffers (Protocol Buffers の内部解説記事。とても参考になります)
http://dodgson.org/omo/t/?date=20080712
プロトコルバッファは異種言語間でオブジェクトのやりとりをするための規格です。
独自の言語によりオブジェクトのインターフェースを規定することで、多言語対応を行っています。
例えばこんな感じ。
package tutorial; message Person { required string name = 1; required int32 id = 2; // Unique ID number for this person. optional string email = 3; enum PhoneType { MOBILE = 0; HOME = 1; WORK = 2; } message PhoneNumber { required string number = 1; optional PhoneType type = 2 [default = HOME]; } repeated PhoneNumber phone = 4; } // Our address book file is just one of these. message AddressBook { repeated Person person = 1; }
以上のようなprotoファイルから各言語のソースコード、または何らかのデータ操作ライブラリを使いオブジェクトの処理を行います。
googleによってC++, Java, Python用のライブラリが作成されましたが、他の言語に対応したサードパーティー製のライブラリがいくらでもあるので、実質的にほぼすべての言語で使えると言っても過言ではありません。
数字が多きければ大きいほど、長いバイト長で保存されます。ただし、負数の場合は符号ビットが立つ関係で、ほとんど常に変換後のバイト数が最長バイト数(10)になってしまいます。フィールドの型をsint32, sint64で宣言しると、各数値にzig-zags変換が行われるため、負数であってもその値の絶対値で使用バイト数が決まるようになります。
バイナリに保存されるデータは各メッセージのID/型/値のみです。なので、同じ定義の二つのメッセージ型は、プロトコルバッファ上では全く同じように扱うことが出来ます。例えば、片方からシリアライズしたデータを、もう片方の型でデシリアライズすることが可能です。
またオブジェクトを連続でシリアライズ/デシリアライズすることもできます。
すでに存在する継承関係のあるクラスを、Protocol Buffersでシリアライズ/デシリアライズしたい場合は次のようにします。
(ソースコード中になぜか日本語が書けないので、コメントはすべて英語になっています)
message PbBase { require int32 id = 1; require int32 value = 2; require Derived derived = 10; // - Point !!! } message PbDerived { require string string_value = 1; }
継承元のメッセージの定義に、継承先のメッセージを持たせます。Baseを継承するクラスをシリアライズ/デシリアライズしたい場合は、PbBaseメッセージを中心に処理を行うことで、比較的簡単に処理を実装することが出来ます。
例えばこんな感じ
Base *Base_DeserializeFrom(PbBase &pbobj) { // Arrange the classes which inherits from Base. if (pbobj.has_derived()) { return new Derived(pbobj); } else ... } class Base { ... virtual void Base::SerializeTo(PbBase &pbobj) { // Set the fields of 'pbobj', } ... }; class Derived { ... virtual void Base::SerializeTo(PbBase &pbobj) { PbDerived *derived = pbobj.mutable_derived(); Base::SerializeTo(pbobj); // Set the fields of 'derived', ... } ... };
protoファイルを以下のように書くと、メッセージの扱いが非常に難しくなります。
message PbBase { require int32 id = 1; require int32 value = 2; } message PbDerived { required PbBase base = 1; // - Here is the point !!! require string string_value = 2; }
このシステムに則り始めた日本の経済はどうなった?一人当たりGDPは?労働生産性は?景気は?購買力平価は?
絶対値で横ばい、他国との相対比較では、圧倒的に負けってとこだな。
だからといって経済的には「総中流万歳」にはならんだろ。アンタ自身が指摘してるが、日本はアメリカやシンガポールみたいに優秀な移民を
活用する体制になってないんだから、そもそも「突出的に賢い奴らがその少数だけで回して凄くいい仕事、馬鹿は切り捨て」が出来てない、
まだまだ「総中流コース」寄りだ、ってだけの話だろ。格差拡大してるのか統計的には微妙、ってだけでも「総中流コース」の範疇に収まってる
って考えた方が妥当だと思うぞ。
横ばい&相対的低下なのは、その「総中流コース」が駄目駄目、ってことではなくて、「総中流コース」(なんなら「総中流コースの残り火」でもいいけどさ)は
そこそこのパフォーマンスを出してるんだけど、グローバル経済下だと、「最強生産性」の連中には勝てないってだけだろ。「総中流コース」を
極めたとしても(今よりましだろうけど)、結局は「最強生産性」連中には届かない、ってのは認めないと。
繰り返しっぽいけど、俺は「移民ばんばん、馬鹿切り捨て、最強生産性目指して頑張ろうぜ!」は個人の幸福面でのデメリットが多すぎると思うから
反対だし、実現性にも難があるとは思ってる。ただ「総中流路線」がマクロ経済的には既に「負け組コース」なのは認めなきゃあかんだろ、と。
ま、何が言いたいかと言うと、「一億総中流」から悪化した主原因は、「優秀者活用」を狙って「総中流コース」の生み出す価値を毀損したことじゃなくて、
「総中流コース」よりもっと凄い奴らが、ばんばん出てきて国際競争に負けた、って所にあるだろ、と。
よくわからない外人が日本のあちこちに中華街みたいなのを作る社会が嫌なら、経済を捨てるしか無いわな。経済だけ見てたら移民マンセーになるだろうけど、それは頭の悪い結論だ。
は賛成だけど、これを主張する同志が「総中流コース」に戻れば経済もなんとかなる、なんて経済音痴な認識してるのは気に入らんのだよw(内ゲバだなあw)
今更総中流コースを極めたところで、国際環境が全然違うんだから、経済では「昭和の勝利」は戻って来ない、という認識してないと、経済成長万歳厨に
鼻で笑われるだけだろ。
ふむふむ、これについては「~いる職業の方が」ってことはないけど、そうでしょう。「~、女性に向いている職業が多くなっている」が正しい。
2 そして、これは推測でしかないが、絶対値で見た場合、コミュニケーション能力が高い人が多い女性の方が、現代において向いている仕事が多いといえるのではないだろうか?
3 現代の女性労働の問題は、あたりまえのように定年まで働くことが出来ないこと。
女性に投資したコスト云々の話は、誰が払ったコストなのか?また、なにをもって回収とするのか?がよくわからない。「仕事の場における女性の地位」の意味もわからない。仕事の質・クオリティについては女性男性関係なく結果でしか見ることができないはず。
急に定年まで働こうってなんで?上の文とつながってるの?女性が定年まで働くことが社会全体にとっていいことだっていいたいの?だったらその理由は?
またまた急に!なんで専業VSワーキングマザーの足の引っ張り合いの話が出てくる?上の文とつながってるの?
8 コミュニケーション能力、つまり同調能力が高いという事は、いい面にも悪い面にも働きうるということだろう。
え?え?それで?それがなに?当たり前なんだけど。
結局なにが言いたかったんですか?なにかのコピペの寄せ集めですか?
横だけど、
社会全体の職種からしたら、今のところは女性に向いている職業もあるけど少ししかない。男性に向いている仕事のほうが圧倒的に多い。
理解できない。
むしろ逆なのでは?
肉体労働の価値が低下している現代では、過去と比較して、女性に向いている職業の方が多くなっている。
そして、これは推測でしかないが、絶対値で見た場合、コミュニケーション能力が高い人が多い女性の方が、現代において向いている仕事が多いといえるのではないだろうか?
現代の女性労働の問題は、あたりまえのように定年まで働くことが出来ないこと。
よって、教育に対するコストが十分に回収できないということだ。
この問題をどこかで解決していかないと、仕事の場において女性の地位が上がっていくのは難しい。
結局のところ、女性が連帯意識をもって、みんな定年まで働こうよということをやっていかざるを得ないんじゃないかな?
つまり、働く女性の足を引っ張るのは、男性じゃなくて、働いていない女性なのだということ。
コミュニケーション能力、つまり同調能力が高いという事は、いい面にも悪い面にも働きうるということだろう。
うーん、変な営業さん(詳細は適当に変えています)
相場とくらべて、高いので、よく値切られていて、定価を上げてXX割引とかいう話をしていた・・・
いやー、世間には相場って物があると思うけどね。まともな企業のまともなリーダーならXX割引とか、割引額じゃなくて、絶対値でみているので
類似品が100万円で買えるものが、 定価の50%ダウンで150万円です!って・・・通販じゃないんだからかいません。
逆に、究極、定価の5割増しでも、絶対額が50万円なら買うでしょ。必要なら。
で、そういう話をしていると、いやー、お客さん、いくらなら買ってくれるんですか?って話になって、人によってはそこで交渉するのかも知れないけれど
高い買い物や、保証が重要な買い物だと・・・いや、そういう数字のマジックのビジネスをする人は信頼できないから、値段によらず買わないって話になるよねぇ・・・
愚痴を言わせて下さい。
期待しているよって言われるのが本当にイヤ。
絶対値の結果としては、周囲より良い結果を出しているのに、
期待した結果より低くてガッカリするとか、ヤメテ欲しい。
欲しいのは期待じゃない、協力だ。結果を出すために協力してくれ。
いや、むしろ、あなたが私に期待される人間になってくれ。私の方が他人に期待したい。
いや、高い結果を出したところで、所詮、普通に頑張っている人と大した差がつくわけでも何でもない。
所詮はどんぐりの背比べ。
もう、ほんと、期待しないでもらう、平凡に生きる。それが一番だと思うよ。
だれも、他人に期待しない、自分が伸びる。それが束になって良い結果になる。それが、いいよ。
徹底した思想をお持ちなのであれば、なぜにそこで「知能指数100」だなんて、ぬるい基準を出すのか、ということを問いたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0
の解説を見てもわかるとおり、
齢が違う人同士の知能を直接IQで比較することはできない(たとえば、IQ200の5歳児とIQ100の10歳児の知能は同じである)
…
IQは万能ではなく、主に左脳の機械的な演算能力のみを測っているに過ぎず、この検査の対象が知能のすべてを含むわけではない。記憶力などはIQとは関係がない。
…
精神年齢は12、13歳を過ぎるとそのままの定義では不自然なIQが算出される
…
「従来のIQ」の数値は、あくまで知能の発達の早さを意味するものであり、異年齢の他人との数値の単純な比較によって直ちに天才的であるとか成人より高知能であるとかを断定することはできない。例えば、5歳の児童が、10歳の平均的な児童と同じ知能を示せば、IQは200になる。そして、IQ100の11歳児とIQ200の5歳児を比べれば、平均的な児童であるIQ100の11歳児の方が、IQが突出して高いIQ200の5歳児よりも知能は高いことになる。この例からも分かるように、IQの数値は、知能の高さの絶対値ではないのである。
また、5歳でIQ100の人が7歳になったらIQ90であった場合、一見すると数値が低くなったので知能が退化したかに見えてしまう。しかしながら、5歳時のMAは5歳0ヶ月であり、7歳時のMAは約6歳3ヶ月である。このため実際には知能水準は伸びている。
…
外国人などの非ネイティブ者、言語障害者、非識字者などの場合は、言語面に重点を置いた検査で著しく低い数値がでる場合が多い。
…
IQはその測定のために便利な表記法として編み出されたものでしかない。このためIQは知能全般にわたる能力を示す数値と考えるべきではなく、知能検査の内容に含まれる言語的能力や論理的能力をはかることができる目安程度のものと考えるべきである
とか。
コレ読むだけでも「知能指数100以下」という基準があんま使えないとおもうのだが。
センター受け終わってリサーチも返却されてそこそこ行きたい大学にそこそこ行けそうで、2次に向けて頭切り替えて勉強しなきゃしなきゃしなきゃと思いながら、最近、自分になんにもないことに気づいてもう本当に馬鹿馬鹿しいし情けないしで恥かしくて泣いた。進路のこと話してると無性に泣きたくなるのだけど、その理由を考えたら、なんか私の人生軽くってさぁあぁ、人が好きーとか言ってみるも別に、なんか、逆に人が嫌い、なんてないんじゃないかとか、人に対する好き嫌いを人と比べることなんてできないし、だから比べる必要もないのだけど、人と比べてより大きな愛情を抱いていて貢献したいと思っていて、みたいな、そういうものしか評価されない風潮と、それに流されたり甘えたりで見失っちゃった自分と、本当に馬鹿みたい。人が好きっていうかね、無趣味だから、小学生の時の社会の授業で習った戦争についてが私の人生で最大の刺激だったんだよ。被害も加害も酷いから、なんか、ぐわーんとアタマなったのがそれくらいだから、時々考えて、パソコンあったから調べたり、して、多分、血を見てなにか思うのも感じるのも誰だってそうなのにね。
勉強が半端にできるから、しっかりしてるね頑張り屋さんだねって言われて育ったから、なんか、そうなんだと思ってたんだよ。それなりに考えててヴィジョンを持ってるんだと、本当に、思いこんでたのに、ふと気づいたら勉強に疲れて、大学なんてどこでもいいし学部だってどこでもいいし、入学後の勉強はそれなりに楽しみなんだけども、ひどく無気力になってしまって、私は、なにがしたいのかなにが欲しいのか考えるのだけど、時間がないし、求めたところで手に入らないかもしれないし、明らかに今はそんなことしている場合じゃないの、分かってるんだけど、どこでもいいなら確実な国立を前期で抑えた方が学費的にいいんじゃないかとか、自分で払えるわけじゃないから申し訳なさで思ったり、だけど勉強はそれなりにしたいし就職のことも考えなきゃいけないし、社会、広すぎて、国際関係からでもメディア関係からでも政治・経済・法・心理・言語、どこからのアプローチでもいいと思ってしまうからどの大学でも構わないしどの学部でも構わないし、できたら都会から離れたくないからーとか、就職で有利って言われてるからーとか、そんなことを思ったり、で、申し訳なさを思い出す。泣く。
こんなに短く頻繁に泣いたのは初めてだ。ぐちゃぐちゃと泣くことは稀にあったけども、最近はぱたぱた泣く。ぱたぱた涙流してそれを拭いたら終わりで、また少しして急にぱたぱた涙が出る。昨日か一昨日、ばらばらと泣いたら泣き顔があまりに幼くて笑えなかった。小さな子供みたい。もし私の背が高かったり顔や身体や雰囲気が大人びていたりしたら泣き顔の滑稽さに笑えただろうかと考えて、目と鼻と唇がやけに赤いのを、赤鼻のトナカイの歌を思い出しながら、見て、目と鼻はともかくなんで唇が赤いんだろうなぁなんて、考えて、大学のパンフレットを投げようとしたら手が滑ってポスって可愛い音たててベッドに落ちるから、もうあまりにも、ばかばかしい。
なにがしたいのかなーって考える。熱いお風呂で本が読みたい。高校生にさぁ、さぁ決めろなんて迫らないでほしいよね、自分の将来なんて。もしかしたら皆そんなにしっかり考えてないのかもしれないよな、とも思う。「とりあえず経済学部」という人も多かろう。そうしたらやっぱり私は真面目なのかもしれない。馬鹿馬鹿しく思うだけ冷静なんじゃないかとも思う。思うのも馬鹿馬鹿しい。卒業後になにをすべきかなにができるか今の自分に言えるべくもないので社会を知ろうと思って社会学部です、と、担任との面接では言った。ふぅん、と言われた。嘘じゃないのに全然違う。嫌な面接だった。個人的なことを話すのはあんまり好きじゃない。口に出すのは嫌い。キーボード叩くのは癖。ごめん。
日記を読ませろと強いられてるような感じ。あるいは今すぐここで脱げ、とか。担任相手なら脱ぐ→面接→日記の順にやる。貧乳なのは明らかだけど頭の中まで貧しいことは私の秘密なんだよ。傍目には胸並みに明らかなことかもしれないけども。それでもさぁ、なにもないくせに、プライドはあるじゃん、18年も生きたら。だから恥かしくて情けなくて何も言いたくない。何も言いたくないときに数式解いたり英文読んだりはまだましな行為で、なにか優しく語りかけてもらってるような気になる。そういうわけでまた考えるのを止めて勉強する。多分どこかに受かって張り切って、夏休みくらいまでがっつり勉強して飽きるんだろうな。大学の講義楽しいといいな。
勉強って嫌いじゃない。と、小学生の頃から思ってた。だけど趣味でもない。
受験が終わったら一人旅をしようと思う。青春18切符で。いつか体力つけられたら屋久島に行く。読みたい本がたくさんある。それから、学びをまとめてサイトを作ろうと思う。
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おそろしくなにも考えてない文章だなぁ。
ハイチ地震の被害を伝える写真をネットで見てたらいつの間にか気晴らしになっていて自分にがっかりした。人が号泣しているのを見て痛ましく思うのは気分のいいことかもしれないけど、そうありたくはない。絶対にないし、気分をよくするなら泣く人たちに近づいちゃいけないと思う。だけど一緒になって悲しくなっていたらなにもできないのかもしれない。痛ましいと思うなら、その痛ましさが自分にとって快ベクトルであっても、絶対値の大きさで動けばいいのかな。愛よりお金が、労働力が、とにかく助けが必要なんだったら、同情されたくないんだったら、私でもいいかな。道に死体が転がっていて回収されなくて腐って衛生問題が、なんて、ちょっと信じられない話。ハイチの空気、今、どんな臭いがするんだろう。