2007-05-05

友達に両親が病気で死んでしまった人が居る

そいつも誰の死も見たくない

知り合いは死なないでみんな幸せいてほしいに というような事を言っていた

そこでわからない事があるんだけど

なぜ身近な人、顔を知った人の死を知ったとき

みんな幸せに」っていう発想になるかわからない

自分はじーちゃんばーちゃんの死は経験してきたけど

みんな幸せに」っていう思いにはならなかったんだよね

ただただ別れの辛さみたいのと悲しいとか後悔とかしかないんだよね

この差はなんだ?

「死」→「みんな死なないで幸せに」っていう発想になるのは正直気持ち悪い

どこかメディアに植え込まれたものか?

それとも誰かの死を経験した時期の差か?

単にそう思えない俺がおかしいだけなのか

って

http://anond.hatelabo.jp/20070505221807を見て思った

記事への反応 -
  • 親友の恋人の母親の身体の具合があまりよくないらしい。と親友から聞いた。 親友の恋人自身とも自分は知り合いなので、身体の調子が悪いことは簡単に説明されてたのだが、癌が身体...

    • 友達に両親が病気で死んでしまった人が居る そいつも誰の死も見たくない 知り合いは死なないでみんな幸せいてほしいに というような事を言っていた そこでわからない事があるんだ...

      • 元を書いた者ですが、私は「皆死なないで幸せに」とは思ってないよ。 死ぬのは摂理だもの。死ななかったら人が溢れるし、 人の命に限りがあるからこそ命の存在が美しくなるんじゃな...

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