はてなキーワード: 優生とは
優良種を選ぶシステムが女の(本能的な側面も含めた)「計画性」で、数的優勢を得るためのシステムが男の「無計画性」な気がする。
ならば、必要なのは劣等種的男のジェノサイドではなく、重婚の容認と、それを支えるための社会的システムではないだろうか。主にキリスト教的な倫理観からは反発したくなるだろうが、民主的に優生思想的社会を実現出来る可能性がある。
恋愛までも二極化してしまった現代、無理に一夫一妻システムを貫くよりは、多夫多妻のシステムとしてしまった方が幸せになれるだろう。愛し合う二人が二人だけで家庭を築くもよし、イケメン男を複数の女で共有するも良し。逆ハーレムも良し。劣等種的な男もまた、システム的に弾かれるので、恋愛や結婚の重圧を感じることなくもてない生活を送ることが出来るようになろう。実現のための壁は大きいかも知れないが、一度実現してしまえば良いことづくしではないか。
これみてふと思ったんだが、
91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2009/05/01(金) 19:38:56.92 ID:7LwtpECw0
どこからが人間かって話になるだろうけど
猿が性行動をするように
理性ではなく本能でやってしまうんだろ。
男の性器が長くて先が傘みたいになってる理由は知ってるか?
あれは女の性器に入った他人の精子をより奥から掻き出すために傘がついて
より奥に発射できるように長くなってる。
男視点で、処女の方が他の男と経験がないため、より自分の子を為す確立が高くなるのだから、
処女信仰というのは当然の成り行きではないだろうかとふと思った。
また、女視点で、自分にだけ精子を持ってくる存在の方が都合の良いように思い、
つまり、お互いにあばずれで独占的でわがままにあるべきなのかと思った。
しかし、
7 : ななしのよっしん :2009/03/04(水) 23:46:14 ID: TUIP9heyo8
城どうこうより単純に生物として考えるとよろしい。
あちこちに種ばら撒くほうが子孫繁栄的な意味で優秀なんだよ。
女は一度受胎してしまったらたった一回の出産に
凄い労力使うんだから種選びと性行為には慎重になった方がいい。
以上の理由で
12 : ななしのよっしん :2009/03/10(火) 14:04:23 ID: VO78SGCTR5
経験人数が少ないほうが良い印象持つのは特殊なことではないだろ。
顔とか他の要素との強弱の差は大きくあるだろうけども。
個人的な中傷をしてなければ、貞操を守る人を男性が求める意見も咎められることではない。
は一理あるな。
より魅力的なステータスのある異性を恋人に欲しいのは当然だろうし、そういう人物を異性に求めることになる場合が多くあるだろう。
性行為の経験で、特に女性は中絶経験・不妊症、貞操観念が存在する社会においては教養不足という負の面が絡んでくるからね。
15 : ななしのよっしん :2009/03/10(火) 22:25:46 ID: pPZrXO2tpw
>>10
おおサンクス。
いやだから、ひ弱な男が死ねばいいだろがjk
>>男は自分が子供産むわけじゃない。つまりノーリスクなんだから
あちこちに種ばら撒くほうが子孫繁栄的な意味で優秀なんだよ。
男は種を「無計画に」待ちきらす方が良いと言っている傍ら、
>>女は一度受胎してしまったらたった一回の出産に凄い労力使うんだから種選びと性行為には慎重になった方がいい。
女は男を「計画的」に選べという。
女だけに「計画性」を押し付けて、男全般を正当化する詭弁だな。
この「子孫繁栄」の意味がイマイチ分からんのだが、生めよ増やせよって事ではないのは確か。少なくとも>>7の論では。
数の増殖が繁栄であるならば、女も男もヤリまくって産みまくるのが最善だという結論になる。
となれば、ガードが硬い女は邪魔者。「慎重」になる女は邪魔者。
どんな男にも股開いて、どんどん孕んで、どんどん出産する女が良いという結論になる。
よって>>7の言う「繁栄」は種の個体数の増殖ではないだろう。
遺伝子的に劣等種的な男が全員死に去り、優良種的男児だけが女とヤって、子作りに励むのが一番だろう。
16 : ななしのよっしん :2009/03/10(火) 23:10:55 ID: pO4jeNIPQ9
>>15
ファシズム正当化のネオナチ君は現代社会に必要ないからさっさと消えてくれ。
17 : ななしのよっしん :2009/03/22(日) 09:12:17 ID: Ti8Z6eSJiN
・貞操ってのは同時に不特定多数の異性と性交しないことで処女とは違う観念。
・実際には処女ってのは痛がるばかりで男性側は気持ちよくも何ともない。元々は処女趣味ってのは加虐趣味のことだ。
・童貞というのはつき合う女性の側からは基本的に好意的に評価される(男に負けず過去の女性関係というのは嫌がるもの)。童貞を馬鹿にするのは他人の場合だ。
しかし、やりすぎると性病などリスクが上がってきて、やらなすぎはもとより、しかしやりすぎより、
結局はほどほどが良いということか。
また、今の人間には経済など要因も含まれるから、生物学の繁殖的な面からだけじゃ言い切れないのか?
うーん、難しい。
何が言いたかったって、男の処女信仰は当然のことだと言いたかったが言い切れなかった、終わり。
http://anond.hatelabo.jp/20081130144046
笑ったw。
「みんなはひとりのため」を外した「ひとりはみんなのため」が暴走するとアレなことになる、という話です。
暴走したときの危険を根拠にして元のものに倫理的な問題があると説くのはどう考えてもフェアではない。大抵なものは暴走したら有害に決まっていて、それは有用なものほどそうだ。問題は暴走のリスクがどれだけあって、それをどのようにすれば抑制できるかということであって、暴走の理論的可能性ではない。
これを度外視したこの批判は、類型的なレベルの低い原子力批判のようだ。原子炉が暴走したら確かにチェルノブイリのような悲劇が起こるには違いないが、チェルノブイリには機械系にも人間系にも、日本では存在しないような構造的な問題があって、それがあの事故の発生に不可欠だったこともわかっている。しかしこの種の原子力批判はそういうことを考慮した上でリスクを定量的に評価しようとは考えず、ただただ情緒的に危機を煽る。
率直に言って、今回の件でトリアージ批判をしている人たちには同様の危うさを感じる。有り体に言えば、数式や統計が苦手な人が、定量的な判断を回避して情緒に頼るという反知性主義的後退だ。
そして現実に、倫理的な二重拘束において自身の選択や行動にひいては存在に過剰に苦しむ人が、ことに若い人にあるとき、その枷は解き放っていい、時に無用な苦しみでしかないのだから、と私は言いたくなることがあります。少なくともそれは学問するとき無用な枷でしかないこともあります。しかし、資源の有限性を前提とする経済的な合理化がそのダブル・バインドを倫理的な枷を解き放ったとき、かつてSSの無法がまた関東軍の専横が横行したことも事実です。
学問やってる人間をなめないでほしい、と正直思う。学問をやる上で基本的なことは、自分が何を前提においているかを意識することだ。仮に、倫理的な前提を度外視して最適解を求めるのが経営学だとするなら、そのこと自体は価値中立的なのだ。その解を無批判に現実に適用しようと政治的に動いた時点で、はじめて問題が生じる。
このことは進化論と優生学の関係を考えればすぐにわかるだろう。進化論を安直に理解すると(事実記述と価値判断を混同すると)直ちに優生学的な判断に至る。そして、優生学を嫌う人道的な気持ちが創造科学という反動を産む。まさに悪夢だ。本当の悪は「事実記述と価値判断の混同」であって、進化論じたいではないのに。
実際のところ、こういう「最適解」を現実に直ちに適用するのは学問的手続きとしても粗雑なものとしてしか扱われない。学問上の前提の倫理的判断という必要な手続きが省略されているからだ。
HALTANさんを「あたまがわるい」とは、多くの人がまず思っていない、むろん私も思っていない。fuku33さん個人が叩かれて然るべきであったとは私自身は思いません。
それが正しいと思う。だが、実際に福耳氏やHALTAN氏の上に降りかかったリンチはいったい何なのだろう。これこそファシズム、軍靴の足音と考えるのは私だけだろうか。
裁判長「母親としてあるべき愛情が見いだせない」検察側「自己の欲望や幸福を満たすためには子供の命を犠牲にしても構わないという、母親としては考えられない自己中心的で身勝手極まりない動機」懲役14年
「障害児として生まれない権利」確立を回避するための法律を可決
CiNii - 日本におけるwrongful birth訴訟と障害胎児の妊娠中絶
CiNii - 障害胎児中絶は是か非か : 人は自然を「主」とすることなしに正しさを主張し得るか
heartbreaking. レイプされて出来た子供を堕胎するか否か
Amazon.co.jp: なぜ人を殺してはいけないのか―新しい倫理学のために (新書y (010)): 本: 小浜 逸郎
<幼児性愛犯罪>「投薬去勢」も視野に規制強化…仏大統領 | エキサイトニュース
サルコジ大統領は強硬な犯罪対策論者として知られており、先の大統領選挙戦中も幼児性愛者などについて「生まれつきの性癖。(10代の自殺者も)生来の悲観性から自滅しやすい」と優生思想を展開し、心理学者らから批判を浴びた。
優生思想って、誰でも持ってる差別の根源となる思想だな。表に出したら問題になるが、持ってない奴なんてほとんどいないだろう。持っていないのは、優生思想に於いて劣生扱いされる立場の人間だけだろうな。
そしてこの思想こそが、核兵器よりも生物兵器よりも化学兵器よりも、人間の命を奪って来た代物だ。ダーウィンの進化論が人類の命を最も奪ったと言われているようにな。嫌韓・中・朝主義者の思想もこれだ。
山形氏も書いてるけど
その後本書は、優生学の歴史をたんねんにたどり、生物学的な差や先天的な差という議論がどのようにこれまで優生学に利用されてきたかを克明に描き出す。どういった論調には気をつけなきゃいけないか、そもそも科学的には何が言えて何が言えていないのか。これを著者は、ダーウィンまでさかのぼって説明する。一方では、反差別論者の極論についても、本書はためらわずに指摘してゆく。ここらへんのバランス感覚が、この本のすばらしいところ。
頭の良さは生まれつきだ! 男女の脳は違う! なんてのはバカでも直感的に賛同しやすいから本も売れるわな。
それがマイノリティのパフォーマンスを評価する時のバイアスになってきた歴史があまりにも長いから、
フェミニストの人とかマーティンルーサーキングとかがそれぞれ戦ってきたわけですよ。
ところが、こういう人たちの主張が行きわたり過ぎると今度は別の抑圧になる。
いつまでも賠償謝罪を求める国や、部下を飲みに誘った上司がセクハラで訴えられる国とかね。
たまたま自分の直感に近いからといって元の極論を正しいと思い込んだり反対者を自己欺瞞呼ばわりするのは、
なんつーか周回遅れなわけ。
ただ、短絡的な人が「そうじゃん生まれつきで頭の良さ違うに決まってるじゃん」
と勘違いする余地を(たぶん意図的に)残してるところが山形氏の人の悪いところで、
だから「あまり真に受けないほうがいいですよ」と一応申し上げたのですよ。
http://anond.hatelabo.jp/20070325222834
出生前診断は必要だ。生に際してこそ意志の確認を。
未・胎児に「この世に生まれて人生を歩む意思はありますか」と訊くんだ。
うん、そうだね。もし確認ができるなら、してみたい。
ただ、少なくとも私はできないんじゃないかと思う。
あなたがもし「生まれ変わり」とか「身体に縛られない魂に意思が宿る」とか
信じている/知っている人だとすると、たぶん意見が相容れなくなってしまいそうで
残念なんだけど....。
私は、脳の発達があってこそ心が生まれるんだと思うんだ。
いや、脳っていうと限定的かもね。脊髄とか臓器とかも快・不快に関連して
くるはずだから。まあ、いずれにせよ、ある程度身体ができてこそ、と
思ってる。
じゃあ、身体がある程度できた状態の胎児に堕胎してもいいか尋くか?
どうだろう。Noじゃない? まず技術的に。子宮外にいるわれわれと
胎児が意思疎通できるかっていうと、今の科学レベルではそうじゃないよね。
ひょっとしたら、あなたやあなたの周りにいるだれかはそうできるのかも
しれないけれど、世の中の多くの人はできないと思う。私も含めて。
だから、現実問題として、「胎児に生きたいか、生まれたいか確認すること」
は運用不可能だと思う。(合法的に堕胎可能なリミットの問題もある。)
あなたに譲って、仮に意思の確認ができるとして。
もし胎児に確認を求めたとしても、果たして生まれ落ちるはずの世界を
選べるだけの判断力というか、判断のベースが胎児にあるのか、というのも
問題じゃない? まだ生きたこともないし生まれ落ちることもしていない
胎児に、「生まれ落ちる苦しさ」「生きる苦しさ」「死を待つ苦しさ」
「死ぬ苦しさ」がわかるかな? ニュートラルな状態じゃ、意見の持ちようが
ないんじゃない?
これについても、あなたやあなたのまわりの人が「生まれ変わり」とか
「前世の記憶の保持すること」を信じる/知っているのだとすると、
「いや、わかるはずだ、判断できるはずだ」と言えるだろう。でも、
世間の多くの人は「わからない」って言うと思う。例えば、ぴったりって
わけじゃないけど、こんなデータもあるよ。
参考) 図録「神の存在・死後の世界に対する見方(世界55カ国比較)
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/9520.html
そんなわけで、「生きるかどうかの意志の確認」は、胎児に対しては
できないと思う。
以下は余談。
ちなみに、ある程度の年齢に達した場合でも、意志確認はできるようになるだ
ろうけど、問題はあるよね。例えば「心神耗弱」な状態にあるときの意志確認。
「うつで無気力」な場合は、死ぬことしか考えられないときだってあるよ。
(個人的に経験してるけどね。)でもそれって、(たとえ家庭とかの事情がある
にせよ、そこまでになるのって、)心的な病気の症状としての希死念慮とも言える。
だから、精神科救急とかいのちの電話がある。一時の気の迷いで死のうとして
しまうのを止めるために。(統合失調症や薬物依存の人の経験なんかも参考に
なるよね。妄想に追いつめられて死にたくなる。そんな場合は意志確認は
意味をなさないんじゃないかな?)
逆に、尊厳死とか脳死とかの場合は、そういう「死ぬたくなってる状態」での
意志確認は行わない。正当な方法での、「ハズレくじ」対処法だよね。
超低体重児出産とか、出産直前まで障害がわからなかったとか、そういう
「親も子どもも『ハズレくじを引いた』と思いながら生きる期間が長く
なりそうな状態」
を避けつつ、
「優生思想に凝り固まってデザイナーベイビー作りしちゃうとかいうような、
ようにする。で、しかも、
「医療・福祉の費用で、赤字国債が600兆円なんていう日本のダメ国家財政
を悪化させない」
とするには、どうしたらいいのかね。
自分的には、
・増税、
・障害者雇用(そして、ちゃんと生活できる給与体系)の確保、
を国がやるしかないと思うんだけど(だいたい、法整備とかしない限り、
民間企業とかが資金援助とか雇用提供とかするはずない=法による強制が
ない限り、どんなに福祉行政やNPOが啓蒙活動したってだめ)、どうなの
かな?