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2007-01-20

我々は如何にしてエセ科学教徒と戦うべきか

血液型占い水からの伝言等のエセ科学の精緻な議論はここを読んでいるおまえらがやるとして、私は現実的にどうやって彼らエセ科学教徒(以降、彼らと呼ぶ)を改宗させるか、というのを論ずる。

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論座」では足りない。メーカー、電力系の会社が金を出してまでやるべきことではないか?マイナスイオンを冠した製品を作っているところはお断りだが。

物語を使って感情に訴えかける

彼らに対して、感情という面で訴えかけることは納得できないものもいるかもしれないが、目的のためならば仕方ない。おまえらの中にだって、ハヤカワ文庫SFもの、スターウォーズブレードランナーなどのSF映画攻殻機動隊ガンダム等のアニメに傾倒しているものがいるだろう。それらを本気で科学的でないといって馬鹿にするのか?しないだろう。フィクションとしてのエセ科学(超科学と言ったほうがいいか)と社会的、優生学的な問題を含む血液型性格診断や、安い道徳のために「科学的な事実」として紹介される水からの伝言等、様々な問題を孕むエセ科学の違いなんて彼らに理解できるもんか。彼らには適当物語を与えといて、とりあえず引き離すほうが得策だ。

例えば「世の中の血液型性格診断(差別と言い換えてもよい)に人生を狂わされながらも、果敢と立ち向かっていく物語」とか「水からの伝言を証明しようと奮闘するマッドサイエンティストと戦う科学者たち」とかそういうのがいいね。痴漢冤罪映画化される時代なのだから、エセ科学の問題が社会問題になっている昨今、上に挙げたような物語映画化されてもおかしくないではないか。

エセ科学教徒よ。道徳を説くならば、神話童話プロジェクトXでも使えよ。科学のようでそうでないエセ科学物語なんか使うな!

無理やり社会問題化する

去年、福岡飲酒運転による事故が起きてからというもの、飲酒運転に対するバッシングは苛烈を極めている。これを使えばよい。

たった一つの事件が世の中の流れを大きく変えることだってあるのだ。暴論だが、小中学生自殺したとして、遺書には「血液型で性格を一方的に決め付けられ、傷ついた」とか、「水からの伝言を否定したら、仲間外れにされた」とかって書いてあればよい。こうして社会問題化すればエセ科学は一種のタブーとなるに違いない。マスコミが大々的に報じれば完全にこちら側の勝利だ。これも一種の社会的な物語であり、道徳的な科学者連中は承服しかねるだろうが、了承してくれたまえ。だが、現実的にこのような事件が起こってもおかしくないとは思わないかね?

地道に広める

この手は今すぐできるのだが、現実的にはかなり難しい。おまえらがどういう学校職場にいるのかは知らんが、雑談としてエセ科学チックな話題を振ってくる人間の一人や二人はいるだろう。そのときに反論できれば有効なのだが、おまえらが「血液型で性格が決まるわけねーだろwww。なぜなら……」と言っても、彼らは(夢のないやつだ<フィクションとしての「夢」と区別されなければならないのは前述したとおり>)とか、(空気読めねー奴だ、話題もないし、別にいいじゃん)とか(まじになってんじゃねーよ。頭かてーな、そんなんだから彼氏or彼女できねーんだよ、科学的とかどうでもいいの)とか思うに違いない。これらの思考に対して我々は有効な反論ができない。彼らと物語を共有できない以上、反論することそれ自体がタブーなのだから。結局スルーするか、付き合い上ノッてあげることしかできない。

結局のところ彼らの言論を「シュード・サイエンティフィック・ハラスメント(Pseudo Scientific Harassment)」、エセ科学ハラスメント略して「エセハラ」としてセクハラ並みの扱いにするしかない。だが、認知までに長い時間がかかりそうなので、これには道徳科学者諸君の啓蒙活動がたいせつになってくるであろう。

しかし、これをやってしまうと彼らから我々が「サイエンティフィック・ハラスメント」と逆批判を受けてしまうことになってしまうので現実的には使えないだろう。やっぱりこの手法は無理か……。

本筋とは関係ないがカナダでは"Scientific Harassment"が問題になっているようだ。民間の医薬品メーカーが公的な研究資金をもらいながら研究結果の一部しか公表しなかったり、科学的な議論を法廷に持ち込んで意見を阻害したりしているのが問題らしい。

閑話休題、最後に私のエセ科学に対する意見を述べる。

世の中にはUFO宇宙人が乗っているだとか、マイナスイオンとかいろいろエセ科学はあるけれども、血液型性格診断はその中でも性質の悪い猛毒だ、と考えている。

正直言って最近問題になっている「水からの伝言」は、たいしたことではないと考えている。小学生程度の人間にわかりやすくて、道徳的な物語として使えるというメリットがあるし(科学的な事実として受け入れるかどうかは別にしてだよ)、芸能人有名人事実として広めたとしても、TVで「幽霊超常現象存在するんですねぇ」と発言する位のレベルであり、笑い話として通用する。小学生に教えたとしても「サンタクロース存在する」ぐらいのレベルで受け取ってもらえるかわいいものなのだ(今は、の話なので芽は摘み取っておくべきだが)。

だが血液型性格診断は違う。人間として生きてゆくには、「性格」というアイデンティティが必要だが、血液型性格診断はそれを生まれながらに決定付けるという非道な行為を恥ずかしげもなく行っていおり、教育的、社会的な弊害が大きい。環境的な要素をまったく無視しており、一部の青少年の心を傷つけることは必定である。居酒屋の笑い話としてならばまだいいが、幼少期の性格形成に影響を与えることは間違いない。最近格差社会がどうとか騒いでいる割には、生まれながらの血液型人生の性格が決まる性格格差社会を推奨しているといってよい。

その他の弊害は適当に検索してくれ。

最後に、小中学校で教員をしている人たちは、圧力やしがらみによってゲーム脳水からの伝言などの授業をするかもしれない。だが血液型性格診断だけはやめておくれよ。もちろん反面教師としてならば、どしどしやっておくれ。

2006-12-28

続・科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由

前回、

追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!

と、定義してしまった場合の科学脆弱性について書いたのですが、コメント欄や、トラックバックの反応を見れば解る様に到底容認出来ない!って思う人がどうしても出ちゃうんですね。

私個人的には、この定義が一番すっきりして好きなんですけど、この定義では、進化論心理学歴史の分野なんかもニセ科学なっちゃって困る人がいっぱい出るわけですよ。(相対性理論は違う…)

そこで、トラックバック先にもある『反証可能性』と言うものをニセ科学との判別に使えばよいというのを哲学の偉い人が言ったわけですが

実はこれもそうとう厄介な代物でして

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%BC%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7

反証可能性の判定の困難さ

ある仮説が反証可能性を持つかどうかを判定することは難しい。次のような実験を考えてみよう。降霊会を開いて霊を呼び出す実験が失敗した。心霊現象に否定的な学者は、少なくとも今回用いた方法(条件)によって霊を呼び出せるという仮説が反証されたと考える。これに対して、心霊現象に肯定的な学者が「霊の実在を疑う者がいたための失敗」と反論する。ここで、もし心霊現象に肯定的な学者が「霊の存在を疑う者が降霊会場に立ち入らず、遠隔のビデオカメラによって撮影するならば、降霊は成功する」と付け加えるならば、この降霊理論は全体として反証可能性を持つものになる。つまり、メイン実験が失敗した後で主張者がそれに補助仮説を付け加えたとしても、その補助仮説が反証可能である限り科学的検証の場に立つことができる。反証可能性が否定されるのは、例えば、「心霊現象は科学的に分析できない」と主張するような場合である。したがって、安易に「この仮説には反証可能性がない」「これはアドホックな補助仮説である」と断定するのは危険である。

上記の『反証可能性の判定の困難さ』を読んでもらえれば解るように、ニセ科学のような学会とは違うフィールドで議論したい方に納得してもらうのは相当難しい考え方なんですよね。

時間を置いてしまいましたが、これが私の考える科学ニセ科学を糾弾することの難しさを簡潔に纏めて説明したものです。

◆後書き

さて、前回の文章を読めばわかると思いますが、私はインテリジェント・デザイン否定派でございます。

そんなものを科学と認めてしまえば

僕、ゼロが分母の割り算の答えがわかったよ!

 …答えは『神のみぞ知る』だ!

 

みたいなことを言い出す生徒が出てきても不思議ではありません。

私に進化論に代わる理論を求められる方も居られるようなのですが、科学とは別に対案を出さなければ語る資格の無い場ではないのです。解らないものは解らない、納得できないものは納得できないと言ってしまえば良いのです。

別に生きていく上で解らなきゃ困ることもそんなありませんしね。

あー、他にナチス優生論絡みで、突然変異奇形は大事にすべきだ。というネタとか

相対性理論でも否定されずに生き残ったボーアの理論について書こうと思っていたのですが、ちょっとやる気がなくなったので気になる人は調べてみたりあれこれ推論してみたりしてください。(伏線未消化宣言)

その代わり、最後に私から皆さんにぜひ読んで欲しいお勧めの文章があります(コメント欄含)。

道徳しつけの根拠を自然科学に求めるべきではない

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1164299987

もう読まれた方も多いとは思いますが、科学道徳精神論を絡める必要は無いと思うのです。

2006-12-27

[]増田における科学ニセ科学考察まとめ

久々に興味ある話題なので転載してまとめるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20061226222936→これを【A】とするよ。

巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。

確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!

と、定義できればこれほど簡単なことはない。

実際、そのような定義が正しいとは思う。

しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学脆弱すぎる。

科学ニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。

なぜ進化論ニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である。

進化論ニセ科学的側面

現在科学では動物の種の壁を越える手段を持ちえていない

人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない

猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。

豊富な状況証拠から導き出される陳腐な結論

進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様化石存在がある。

時代ごとに明確に異なる形の生物存在したのは事実である。

そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである。

クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。

恐らく多くの人間遺伝子が同一なクローンオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう。

私もそう予測した。

しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。

つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。

科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。

しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。

更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。

例えば、中国政府北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)

進化論の背景

現在進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。

このような証左を求めることが出来ない存在現在科学では入り込む余地がない。

しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。

実は科学とはアインシュタイン相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。

それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。

しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。

これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。

しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。

(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)

さて、話は戻るが進化論アインシュタイン相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。

はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタイン科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。

◆本文を書こうと思った背景

ちょうど大阪大学菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学ニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。

伝えたいことは進化論科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。

最後に、この進化論の生み出した悪夢について書いておく。

進化論流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。

既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、

この考えが根本となり、ナチス優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。

淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。

(追記)

今回の記事のブックマークコメントを見て欲しい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936

実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。

私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。

タイトル釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方乾杯

07:41:09-12/27(水)/2006

インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正

14:11:45-12/27(水)/2006

ブックマークコメントより、追記の文章を追加

ニセ科学科学http://anond.hatelabo.jp/20061227042214

【A】に対して。

科学の中でも追試が行われ易い分野とそう出ない分野がある。これは、時間スケールが関係しているよ。長い時間をかけて出来るような、天文学進化の関連では検証が簡単ではないものが多いです。

でも、進化でも検証されてきてる分野はでてきてる。たとえば、大腸菌を使った進化を検証したものでしょう。だから、まったく、追試が出来ないかと言えばそうではない部分も持ち合わせているようです。それ以外にも社会性の昆虫の分野の性比の問題なども進化的な検証から成果を上げていますよ。パルサー天体のようなものもあるくらいだから恐らく、天文も同じでしょう。また、検証が難しくとも現存するデータ理論が正しいかどうかを確かめる為に統計学を利用しているが、20世紀半ばの集団遺伝学を引っ張ったフィッシャーのように統計学へかなり影響を与えたような事も産まれている。

科学ってものは未解決なものをといていく事で知見が深まっていく。未解決な例を上げて、否定する論法は偽科学科学の関連でよく使われてるが、それでは説得力が乏しい。たとえば、進化が関連しそうな未解決なものを進化的な方法を取り入れずに解けたならそれは一つの有力な考え方になるだろうし、進化を否定する事につながるかもしれない。要するに、他の方法で未解決なものを説明する試みをしてみないと行けないです。もちろん、インテリジェントデザインのように、超自然的な存在がそうしたのだ。と一言で言われたら、変わりの未解決問題の解決説なのかもしれないが、ここで大きな問題は、超自然的な存在を持ち出す事によって、ブラックボックスを常に作ってしまう事にある。

このブラックボックスってのは、何か都合が悪い事があれば、超自然的な存在の影響だと言う捉え方も可能だし、逆に良い事があってもです。そうする事によって、それ以上の知見を求めない事に問題があると考えていますね。もし、超自然的な存在がいたとしたら、知見を深める事をタブーとはしないと思うけど。倫理的な問題はちょっと別だが。思考を止めて盲目的に信じる事がどのような事に通じるかそれは書かなくてもわかる人が多いだろう。

ただ、偽科学科学の間にある対立で残念なのは、相互理解が全くないところにある。偽科学だと言われてるものたちが科学(=科学的手法)に対して誤解があるし、科学者が偽科学に対して攻撃的なだけのことも多い。科学じゃないけど、感情的な理解を少しはしていかないと理解はされない。情緒と論理の間の対立のようなものだ。ただし、科学への誤解が解ければ、おそらくニセ科学の多くは科学の顔をしないようになるだろう。

ねこだいすき!」http://anond.hatelabo.jp/20061227044835

【A】に対して。

模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。

そもそも一卵性双生児の性格がまったく一緒かというと、そんなことはないわけで、つまり性格は遺伝要因と環境要因のうち後者の影響が大きいと考えられます(通常は似たような環境で育つので近いものになるとは思いますが)。昔の人はいいことを言った。「生みの親より育ての親」

模様については以下を参照のこと

http://plaza.rakuten.co.jp/kemusiro/diary/200608170000/

つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ。

科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した。


素人考えで性格も模様も一緒になるはずと考えるのは勝手ですが、みんなもそう思ってたと考えるのはどうかと思います。どちらも知識さえあれば事前に予測できたことです。昔の人はいいことを言った。「下手の考え休むに似たり」

以下蛇足。

この手の文章を読むと、だいたいどういう方面の人かというのが分かるのだけど(インテリジェントデザインキリスト教右派の主張の焼き直しにしか過ぎないことがバレバレなように)、この文章はどうも分からない。分からない原因は対立概念が書いてないからだと思うのだけど、「進化論」がニセ科学だとするならば、人間その他の生物はどのようにして発生したと考えているのでしょうか。そこを詳しくききたい。

それともあれかな、信じられないから信じないというトートロジーに陥っているのか、純粋無知懐疑主義者とか。

科学とは「ナゼ」を追求するものではないのか」http://anond.hatelabo.jp/20061227054110

俺にとって「反証可能であるか」「追試可能であるか」どうかなどどうでもよく、

血液型性格判断も、マイナスイオンも、ゲルマニウムも、水への言葉

「ナゼ」「どのような仕組みで」と言う部分をすっとばしているから「科学ではない」ではない。と言いたい。

「理由はよく分らないのですが、こうするとこうなります」

ではただの経験則であって、万人に通用するかは分らない。

B型は身勝手だから」「マイナスイオンは体にいいから」「水が人の心(の波動)を受けるから」

全て「どのような仕組みで」をすっ飛ばしている。

だから『科学ではない』これではいかんのか。

科学が『ニセ科学』を糾弾できない真面目な理由」http://anond.hatelabo.jp/20061227063233

ひとつの理由。

偽者と本物が同じ土俵に立つわけにはいかない。

同じ土俵に立って戦えばピエロになるだけ。

科学とはできないを突き詰めるもの。

可能性を夢想するものではない。

科学は万能などではない。

我々にはできないことの方が多すぎる。

だから前提条件が必要なのだ。

空を飛ぶ為には人間が両手を広げてブーンと言うだけでは飛べない。

人間が両手を広げてブーンと言うだけ」

これは前提条件だ。

人間が飛べない」というものを証明したものではない。

同じ論点で、宇宙人がいないと断言するのは間違っている。

宇宙人は少なくとも確認されていない。」

科学からすれば、それ以上でも以下でもない。

それを「居る」と断じる人たちと戦おうとするのが間違っているのだ。

「居る」「居ない」で戦おうとする人たちに

「いまは確認されていないのでは?」と問う声は届かない。

すべてはおまじない程度の可能性。

すべての可能性は否定はしない。

テレビが映るのを不思議と思わないのに幽霊を見るのは特殊な才能だと思っている。

そんなアンテナ感度の違う人たちと同じ土俵で戦えるわけがない。

「つまり、ニセ科学というのは。」http://anond.hatelabo.jp/20061227081540

仮説にもなっていない言説ということなんでしょうか?

要するに、科学的な根拠がないから、ニセ科学

http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B2%BE%C0%E2&search_history=%B2%BE%C0%E2&kind=all&kwassist=0&mode=0&jn.x=48&jn.y=11

かせつ 0 【仮説】

〔hypothesis〕ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。

科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由

巷で蔓延するニセ科学批判。多くの人間の共感を呼んでいるが、実は問題はそう簡単なことではない。


確かに、追試により証左を求めることが出来ない科学は全て『ニセ科学』だ!

と、定義できればこれほど簡単なことはない。

実際、そのような定義が正しいとは思う。


しかし、科学者自身がニセ科学を批判するには人類が築き上げてきた科学脆弱すぎる

科学ニセ科学を糾弾できない真の理由はを知るには『進化論』問題を見れば解るだろう。


なぜ進化論ニセ科学かは、具体的に事例を出してゆ行けば自ずと結論がでるのだが、これは実に根が深い問題である


進化論ニセ科学的側面
現在科学では動物の種の壁を越える手段を持ちえていない

人と猿は近い種と考えられているが子供を作ることは出来ない。そこには明確な断絶があり、どのような手段で『進化』がこの壁を乗り越えることが出来たかは今だ明確な説明できない


猪から豚が、狼から多種多様な犬が生まれたからといって、進化はあると言うのは紛れも無いニセ科学的な論法である。事、人間に関してはミッシングリンクなどと言う名称までつけて事の解決を図ろうとしているが、これは現在は実証しようがないと認めているに等しい行為である。


豊富な状況証拠から導き出される陳腐な結論

進化論をやっかいなニセ科学にしている理由に多種多様化石存在がある。

時代ごとに明確に異なる形の生物存在したのは事実である。

そして、始祖鳥を筆頭に恐竜から鳥が、魚から両生類が、両生類から爬虫類が…と言うように進化したと言われている。しかし、これを証明できるほど遺伝子工学は進歩していないし、結論は別のものであると考えたほうが遥かに健全であろう。今の段階でこの希望的観測を学校の授業に取り入れるのは間違いである

クローン猫の事例を出せば納得してもらえるだろうか。

恐らく多くの人間遺伝子が同一なクローンオリジナルに極めて近い性質であると考えたであろう

私もそう予測した。

しかし、実際は違った。模様から性格に至るまでそれは明確に別の固体のように振る舞い、一卵性双生児のように極めて近い存在とはならなかった。しかし、同じ遺伝子であることに間違いは無い。細胞寿命に関する機能が原因ではないかとも言われているが、多くの遺伝学者、識者が予想もしなかった結論がでた。

つまり、当時のクローン技術で予測された結果は正しくはなかったと言うことだ

科学とは証左できない存在を排除するプロセスを経て初めて機能する具体的事例をここに出した


しかし進化論では、状況証拠から結論を予測するしか出来ない。これは間違いを必然的に孕む手法であり、何より間違いを正す手段が無い。

更に言えば、進化論を形作る多数の証拠には扱いに困る物も多い。

例えば、中国政府北京原人は実在すると主張し続ければ北京原人存在することになる。(証拠が既に紛失してしまったので検証しようがない)


進化論の背景

現在進化論のような理論が提唱されても学会で否定されるであろう。

このような証左を求めることが出来ない存在現在科学では入り込む余地がない。


しかし、これは当時の時代背景を考慮に入れなければ説明できない問題である。

実は科学とはアインシュタイン相対性理論をターニングポイントにその性質がガラリと変わっている。

それまでは、科学には無限の可能性があり、明らかに出来ない事象は存在しないと信じられてきた。

しかし、このドイツ出身の物理学者が提唱した相対性理論によって、そのことが明確に否定されてしまったのだ。ビックバンと呼ばれる宇宙開闢以前の時間存在しない『モノ』の考証を物理学は放棄した。

これは、当時の科学者には相当な衝撃であり、決して受け入れられないと考えた学者も多かった。

しかし、誰一人、論理的にそれに対抗できる概念を作り出すことが出来なかった。

(その残滓がタキオンやエーテルと言えば理解できるだろうか?)


さて、話は戻るが進化論アインシュタイン相対性理論発表前にダーウィンが提唱した論文が発端になっている。科学が万能であると信じられた時代の遺物。まだ、科学錬金術と近い間柄だった時代に生まれた存在である。

はっきり言ってしまえば、進化論とはアインシュタイン科学の万能性を否定する以前の学会だからこそ認められた存在であり、これは科学というより歴史学といったほうが良い代物である。


◆本文を書こうと思った背景

ちょうど大阪大学菊池誠教授の『水からの伝言』でニセ科学が話題になっていたので常々思っていたことを文章にしてみようかと。それまでは、非常にナイーブな問題で、米国のほうではインテリジェント・デザインとかいう物まで生まれてしまうほど議論にさえならない状態だったこの問題に区切りをつけて、科学ニセ科学を明確に分けたい!という衝動から書かれた文章。

伝えたいことは進化論科学的な証明プロセスはありえない存在であり、進化論科学と扱うことを否定して貰えればそれでいい。


最後に、この進化論の生み出した悪夢について書いておく。

進化論流行らせた最大の間違いは何か?と聞かれれば私は獲得形質を挙げる。

既に遺伝学的に否定された獲得形質ではあるが、

この考えが根本となり、ナチス優生論が生まれ、多くの人間が犠牲となった。

淘汰は自然には起こらず明確な人の意志によって行われたのだ。


(追記)

今回の記事のブックマークコメントを見て欲しい。

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20061226222936

実はこの手の話は感情的になる人間が必ずいる。しかし、大事なことは追試をどう行えば進化論が肯定・否定されるかを彼らが提示することはないという事実だ。

私は進化論が間違いだと言っているわけではない。そもそも進化論は否定する必要さえない段階の説なのだと言っているのだ。

タイトル釣り過ぎという指摘はその通りでございます。賢い貴方乾杯

続・科学が『ニセ科学』を糾弾できない本当の理由 - はてな匿名ダイアリーに続く)


07:41:09-12/27(水)/2006

インテリデザインという不正確な表記をインテリジェント・デザインに訂正

14:11:45-12/27(水)/2006

ブックマークコメントより、追記の文章を追加

15:05:07-12/28(木)/2006

続編リンク追加

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