はてなキーワード: 偽善とは
また戻ってきてしまった。自分は誰からも必要とされてない。
すごく楽しかったんだ。でもそれはきっと自分だけだったんだ。
確かにそこに"あった"と思ったものなんて、全部勘違い。
でも前と違うのは、『仕方ない』って思えること。
そしてあの人のために自分にできることはなんだろうって考えた。
多分今はそれは一つしかないし、それを望んでいるかどうかすらわからない。
でもやってみようって思った。間違いだっていい。偽善だっていい。
もしそれによってあの人に少しでもプラスの影響を与えることができたら。すごくうれしい。
そう思えたってことは、少しは成長できたってことなのかな。わからない。
でも、そんな風に思わせてくれたあの人に、感謝します。
そういう気持ちで。
That's one small step for mankind, one giant leap for "a" man.
興味を持つ持たないは色々あるが
ボーっとした奴ならキレイゴトっぽくまとめれば誤魔化せるかもしれないけど俺全部突っ込んじゃうよ
ナナロク世代という言葉が定着しだして以降、色んな若者がぼくたち○○世代!と年齢で壁を作ってるわけだが、同じ年代で集まって彼らは一体何をしたいのだろう?
最近注目されているハチヨンイズム。 ttp://84ism.jp/
ハチヨンイズムとは?というページにサイトの主旨が書かれているが、どこかの古い会社のファジーな経営理念と言ってる事は何ら変りなくつまらないので、このサイトのライターをしているお方の設立主旨をもとに思うことを列記。
ttp://84dialog.blogspot.com/2010/01/198484ismweb.html
ハチヨンイズム内のどこに苦手なタイプがいるのだろう。まあこの人苦手ですとネガティブな空気をわざわざ作り出しても意味無いけど、メンバー同士が仲良しこよしの似たようなノリの人ばかりではないか。
ラブプラスネタが唯一上記のような他者からすればウザったい空気を一蹴してる点で良いだろう。
ほー、と思い本サイトを見ると、
ノリノリやんけ。
人気トップの記事最下部のアマゾンを押せば編集長のアフィだった。どっちやねん。
もう「営利目的ではない」と人間がメディアを通していってる時点で胡散臭く聞こえてくるもので、本気でそうするなら明文化して徹底して欲しいし、儲けたいなら本気で稼いで欲しい。儲け目的では無いライターさんと儲ける気のある編集長と考え方が違うとしても、ここを統一しないと賎しく見えてしまう。
全体的に言えることは、世代間固有の価値を生み出す事は容易では無いということ。
トップページに並んでるコンテンツを読んでみると、1984年生まれじゃなくても書ける記事ばかり載せて、文末に「ハチヨン世代の自分としては~」と無理やりこじつけたような言い回しで締めくくるのがテンプレの如く共通している。
じゃあハチヨンならではのものって何?と聞かれると、自分としては当時流行ったものとか遊びを棚にあげて自分の年齢±2くらいまでの人らと懐かしむ程度しか出てこない。
とまあ批判ばかりしてしまったが、参加者の皆さんは独立志向できっとご立派な方達だろう。
しかし、このウェブマガジンを通して出てくるものは学生のノリを再現して「ぼくたちハチヨン世代!」と壁を作り、その中で仲良く男女がワイワイ騒ぐコンパに毛が生えた程度のものであり、そういったコミュニティ(死語)を作って楽しむのは勝手だが、1984年生まれの総意のようなノリで進めるのはやめてほしい。
政治家が「国民は○○といっている」といってみたり、故人をソーシャルメディアで復活させて本人じゃない人間が発言したりするのと似たような生理的嫌悪感を抱く。
コンビニでつり銭を募金箱に入れたらレジのおばちゃんに「えらいねぇ。」っていわれたのが発端。今年の正月くらい?
特に善意があったわけじゃなかった。理由は小銭が邪魔だったからに尽きるが、結果としては誰かの役に立ったんだろう。
じゃあ本題。風呂敷広げすぎても収集つかないだろうから募金、特に少額募金に限った話をしたい。
ボランティアの中でも時間をとられないしかなり敷居が低いと思うんだけど、それでもあんまり募金人口は多くない……よね?
ユニセフによれば、100円で抗生物質が5日分*3人分だそうだ。そのまさに今買わんとするプッチンプリンを我慢しないのは何故かというのが質問。
いくつか理由を考えてみてパッと浮かんだのがこんな感じ。
この不況の中、自分自身がいっぱいいっぱいで他人にかまっている余裕はないって人もいるだろう。
そういう人たちは本当に月に百円も捻出できないほどなのか。
仕事を持ってお給金を貰っている大人の人たちは普段どう納得しているのか聞いてみたかった。
「卑しい」と思う理由がいまいちわからない。
“相手のためだけ”にある行動がどう尊いの?
そして、そんな行動が本当にこの世にある?
行きていくうえで本当に大切なものだと、私は思う。
「私は純粋に相手のためにしている!」なんて豪語する人間がいるなら、
その人が自分の欲望に気づいていないか気づかないふりをしているだけだよ。
あなたが、「あの人は純粋に相手のためにしている」と思うなら、
それはその人が周りからそのように思われるようなやり方で行動しているだけだよ。
(嫌な言い方に聞こえるかもしれないけれど、けしてそれは“卑しい”ことじゃなくて)
行動をおこした以上、それがどんな短絡的なものであろうと、「自分のため」である理由があると思う。
それをその「自分のため」をどこまで長く広い目で見るか、どこまで純粋化できるかによって、
その行動がどれだけ自分の中にうまく収まるかが決まると思う。
つまり、どう気持ち良く生きられるのか。
そんなの、びっくりするほど難しいけど。
もっとよーく意識して行動すればいいんだと思う。
自分が何をしたら/された気持ちがよくて、
自分が何をしたら/されたら嫌な気分になるのか?
それが自分の中で見えて来たら、
そうなるように・ならないようにはどうすればいいのか?を
基準に行動すればいいのだと思う。
「見返りはなくてもいいから助けたい」ってあなたが考えて行動するなら、
それは、まぎれも無く自分のためだよ。
それに加えて、
「相手やまわりから偽善と思われたくない」なら、
「まわり偽善とは気づかない」ようなやり方でやればいい。
「見返りを求めてしまうことが不快」なら、
「見返りを求める暇もないくらい、確実に見返りが帰ってくる」ようなやり方でやればいい。
もちろん、そんな「やり方」をするには、
途方もない努力とか、知識とか、要領とか、
たーくさんのものが必要になってくるんだと思う。
でも、本当に気持ちよく生きるってそういうことなのかな?って最近考える。
そして、そんなやり方に違和感を感じ続けることが、
進化し続ける糧になって、もっと気持ち良く生きる手がかりになるんじゃないかな。
だから、あなたがやっていることと感じることは、
行きていく上で全く普通の反応だと私は思います。
あなたの中には、きちんと助けたいっていう気持ちがあって
見返りが欲しいっていう気持ちがあって
それは卑しいなって思う気持ちもある。
どの気持ちもあなたの中に確実に存在するのだから、
あなたはそれをきちんと知ってるんだから、
なーんにも卑しくもないよ。
結局は、人類愛に落ち着かざるを得ないと思うのだけど、
それは私の考えが甘いのかな?
でも難しいよびっくりするほどわかんないよ
最も的確なやり方で行動できたことなんて、
たぶん一度たりともない
でも、このアドバイスをもっと実感を持って伝えられるように私はなりたい
だからまだ、生きる生きる
私がこうやって立ち直れたのは、あのウェブサービスで私のことを気にかけてくれた人たちのおかげです。本当に感謝しています。どん底だったとき、たとえ偽善でも気にかけてくれたあの人たちのおかげで、ようやくキチガイ卒業ができました。
もしかしたら大学の同級生だったかもしれないし、隣のおばちゃんやイトコだったかもしれない事をお忘れなく。
おととしの7月14日、私は首を吊った。原因はいろいろあったけど、就職活動がうまくいかなかったこと、父親が私の奨学金を持ってどこかにいってしまったことが重なったからだと思う。
周りの友人はどんどん就職をきめていて、部活に打ち込んだり遊んでいたりしていた。生きているとどうしてもいろいろ考えてしまうから、とりあえずそれから逃れたい、突発的な行動だった。
幸い吊って何分もしないうちに母親が帰ってきて助かったけれど、その後も地獄のような日々が続いた。過食症からの過食嘔吐で歯がぼろぼろになった。
眠れない日なんてザラだったし、親からキチガイと罵倒され、「娘がキチガイだなんて嫌だ」と泣かれたりもした。(親の中では精神科に通う人はみんなキチガイらしい)
そのころの私はとにかく”精神病になった自分”が許せなくてしかたなかった。もともとプライドが高かったし、まじめなタイプだったから、心の病気=甘えだろ!という気持ちが大きかった。
病気になったことで、人より劣るのが嫌だった。「かわいそうね」という目で見られるのが嫌だった。大学に通う間はなんでもないふりを通した。(今思うと、様子がおかしいことは確実にばれていたと思うけど)
そのころから、あるウェブサービスを使い始めた。最初からかまってちゃん全開の鬱ポストばかりしていた。とにかくはけ口がほしかった。
リアルの知り合いや親には言えるわけがないことを、インターネットにぽろぽろ書いた。インターネットの住人たちは”わたし”を知らないから。そう思うと弱みを見せるというか、思ったことをそのまま書けた。
そうこうしてるうちに、そこで友人とか、知り合いみたいな人たちができた(そう思ってるのは私だけかもしれないけれど、そう書かせてください)。私が鬱で死にそうな時や、しんどい時にReplyなどで助けてくれた。
第三者的にはかまってちゃん死ねよって感じなんだろうけど、私にはそれが救いだった。優しい言葉のひとつひとつが大切なものだった。ああ、私まだここにいていいんだなと思わせてくれた。
過食嘔吐で死にそうな時も、すこしいいことがあったときも、その人たちは本当によくしてくれた。
親から「キチガイは家からでていけ!」と言われ、今家出しているというポストをしたときは、何通か「どこにもいくところがなかったら家に来なさい」というメールももらった。
その中でも特に仲良くさせてもらってる人がひとりいた。共通の漫画が好きで仲良くなった彼女とはちょっとしたことがきっかけで住所交換をし、手紙をだしあったり、誕生日のプレゼントを贈りあったりした。
誕生日の日、プレゼントといっしょに送られてきた手紙には「あなたがつらいとわたしもつらい、しんどいことがあったらなんでも話してほしい。それで気がまぎれるなら、こんなにうれしいことはない」と書かれていた。
おもわず泣いた。見ず知らずの人間に、こんな優しい言葉をかけてくれる彼女がうつくしくみえた。(彼女とはまだ会ったことがないんですけど、いつか一度会ってお礼をいいたいなと思ってる)
そうこうしてるうちに大学を卒業し(奇跡的に留年はなかった)既卒の無職になった時も、「バイトなんて嫌だ。まわりの同期は正社員で好きな仕事してるのに。」といってた馬鹿な私を
「とりあえずバイトから社会復帰してみなよ」「ずっと家にいると楽しくないよ」といろんな人がはげましてくれた。
卒業から半年でようやくバイトが決まり、決まったことをポストするとみんな自分のことのように喜んでくれた。病院にはずっと通ってたけれど、薬の量と過食嘔吐の回数がすこしづつ減っていった。
バイトは接客業だったので最初は本当につらかったけれど、仕入れをしたり、ポップを書いたり、包装をしたりするのは楽しかった。
職場の人間関係がうまくいかなくて挫折しそうだった時も、あのときおめでとうといってくれた人たちのことを考えるとやめようという気になれなかった。
気づいたらいろんなことを楽しめるようになっていた。今年のはじめごろから過食嘔吐をしなくなった。世界がばら色に!とはいかないけれど、自分の調子が戻ってきた。
そして今日、最後の病院にいってきた。主治医に「最初のころは何年かかるかと思ったけれど、治りが早くて驚いた。まわりの人や環境がよかったのと、努力したからですね」といわれ、思わず泣いてしまった。
私がこうやって立ち直れたのは、あのウェブサービスで私のことを気にかけてくれた人たちのおかげです。本当に感謝しています。どん底だったとき、たとえ偽善でも気にかけてくれたあの人たちのおかげで、ようやくキチガイ卒業ができました。
本当にありがとう。ありがとう。あの時、死ななくてよかったと心から思ってる。あの時終わってしまってたら、この気持ちを味わうことができなかった。
フリーターだし、奨学金返していかなきゃいけないし、年金払ってないしでお先は真っ暗なんだけれど、なぜか、不思議とがんばれる気がします。
最近そのウェブサービスには顔を出してないけれど、今でも大切な場所です。直接あちらで書くのは恥ずかしすぎるので、ここに書くことにします。本当にありがとうございました。