はてなキーワード: 中心地理論とは
クリスタラーの中心地理論を見ると、市場原理ですらも中心地にこそ需要供給の巡りがあって、
地方から中央にたくさんの税や物が集中するのだから、市場に集まる人というのは自ずと中心地に近い
首都圏を見れば明らかなのだが、中心地には税や物、人が集中するため、当然交通も会社や学校も逼迫するように林立している。
人間の目とは面白いもので、市場が集中する箇所にだけ目が行きやすい。
それが偶然か必然かはともかく中心部分に注がれるのであるから、分からないのだ。
人間というのは無意識に中心部分を見極めようとする姿勢を取る。
恐らくそれは危険を察知する、動物的感性がそうさせるのであろう。
すなわち市場に人が集中する所に目が行くのは当然の成り行きなのである。
一方、端っこに目が行き届きにくいきらいがある。
人間は端っこに何があるか、という事にさして関心がない。
それはそうであろう、中心に市場の巡りがあって端っこは市場の巡りがないかあるいは、少ないのである。
地図という物がある。
初めて書かれた地図はさして興味はないが、地図は陸地が常に中心にあり、陸地に市場が、国が、人が存在し集中している事を示している。
コロンブスは地図の端っこには何があるのか、真っ先に関心を抱いた人間である。
普通は地図上の中心部分、つまり陸地に市場があり、また人間はそこに集中すると見られてきたが、
彼は地図の端っこにも市場が形成されているのではないか、と考えたのである。
その結果、西インド諸島すなわちアメリカ大陸の発見に繋がったのだ。
コロンブスは人間が中心地にしか関心を持たない事に疑問を抱いた最初の人間であろう。
陸地以外に何もないという認識をひっくり返したのであり、その着眼点を見た人間は目から鱗であっただろう。
つまりそういった着眼点を持つ人、水平線上の端にも目が行く人間も又存在するのであるから、人間というのは実に面白いといえる。
コロンブスの卵理論がまかり通っている背景には、中心にあるものが絶対であるという認識が人間の常識であるためである。
それに異を唱える事が真理である、という認識を持つ事も今では市場原理である。
そこに人間の可笑しさというのがある。