はてなキーワード: まだ子とは
昔、私がまだ子供だった頃、母(当時三十代)が思いつめた顔をして私にこう相談してきた。
「あのね、年取った人って『昔は良かった、近頃の若いもんは』って言うでしょ。でもそう言ってる世代の人もさらに年取った人に言わせれば、『昔は良かった、近頃の若いもんは』ってなるでしょ。ということは、私たち人類って、どんどん劣化してきてるってことじゃない?人類駄目人間ばかりになって滅びちゃうんじゃない?どうしよう!」
多分母は昔「最近の若いもんは」って言われたことがあって、さらに相談する数日前あたりに「最近の若いもんは」って思っちゃうような出来事があって、昔言われた事と今の自分の感情を結びつけて考えた末、そういう結論を導き出したんだと思う。
若い盛りの私に若者けしからん論を真面目に持ち出されても返答に困るよと思いつつ、それは昔の人の視点に補正がかかってるんだよって説明した。当時は私も母もジェネレーションギャップとか既得権益とかそういう言葉を知らなかったから(単語は知ってたかもしれないけど、こういうところで使える語だとは気付いてなかった)、かなり回りくどくなったけど、納得はしてくれたと思う。
もしあの会話がなければ、母は年を経る度に頭の中で、ピテカントロプスになる日も近づいたんだよーとかそんなフレーズが頭をぐるぐるしていたんだろうなと時々思う。
母の仮説に真実がもりもり含まれていたとしても、駄目になって滅びるのは母も私も寿命が尽きた後だと思うから、母や私にしては相当スケールのでかい話をしていたと思う。もっと意識に即して言うと、取り越し苦労だと思う。
ちなみに私個人に向けて若いもんコールされたことがないせいか、未だにこの手の話は全体的に遠い世界の話っぽくて、言及するのもためらわれる。母のことを思い出したってのがメインの話ではあるけど、増田以外でうっかり打ってたら送信ボタン押さずに藻屑にしてたとこだよ。
タイトルどおりの内容になるかどうか。
とらドラ!にはいくつか語られていない部分がある。わざとかもしれないし、筆者の書き忘れかもしれない。9巻で「知られたくないことが、誰にでもある。それはうかがい知ることは出来ない」ということが重要な事として語られているので、ひょっとすると語られていないことはわざとそのままにしているのかもしれない。俺がぱっと思いつくのは次の三つ。
6巻ですみれのところに殴りこみをかける直前。大河が北村のことを「誰も知らない混乱があって、いままた、北村が好き」と想っている。誰も知らない混乱についてはその後語られていない。
これについては4巻のラスト、亜美の別荘で竜児に声をかけられなくなったことじゃないかと思う。3巻の「竜児は私のものだ!」では周りに「私の犬だから」と言っているが、おそらく自分でもそう納得している。それが別荘に行って花火を見ている二人を見たとき自分も竜児を好きなのだとはっきり気づいたのだろう。その後、人知れず悩んだ時期があって、最後に「それでも竜児とみのりを結びつけてあげよう」と結論をだしたってのが俺の解釈。
ちなみに、大河はイブの独り泣きで「竜児への気持ちに気づいた」と解釈している人もいるようだが、俺は違うと思う。大河は自分の竜児への気持ちにはずっと前に気づいていて「それでもいい、竜児とみのりの仲を応援しよう」と決めていた。決めていたのに、それが耐えられないことだとはっきり思い知ったのがクリスマス・イブじゃないか。
殴りこみ直後に拾われて、大河の恋心が他の生徒の知るところになったエピソード。アニメでは能登が大河と北村をくっつけようとしていたが、原作7巻では名前の出てこない生徒までも、北村の録音を渡して大河の気持ちを大事にしてやろうとしている。さりげないシーンだが、あとで竜児の「これまでの17年間を見ていた『誰か』は居なくても」につながる結構重要な場面。
で、2枚目の写真ってなんだ。
これはまぁ、竜児の写真なのかな。竜児とみのりが並んでゴールする写真の可能性も強いのだが、そうならば、あえて語らないより「知らせたい気持ち」としてあえて描いたかも。
あるいは、写真の内容そのものにはさほど意味がないのかもしれない。別荘の花火の夜に、大河の誰にも言わない竜児への恋心を知ってしまった亜美が、大河の「知られたくない」最後の一枚を守ってやった事が重要なのかもしれない。そうすると、語られない写真が語っているのは、実は作品中で「知られたくない心」の象徴として描かれる亜美自身なのだろうか。
10巻、竜児の祖父の家から大河は一人で去り、実母の元に戻る。それは話し合ってのことなのか。そうでないのか。
俺は話合ってのことだと思う。というのは、話されないことは察することが出来ないというエピソードが何度も繰り返されているから。やす子のいない部屋で絶望感に押しつぶされながら、大河の世界のためにみんなを幸せにしてやると決めた竜児が、こんな重要なことを話しあわなかったとは思えない。では、いつか。
学校からの逃亡して祖父宅に着くまでの間なんだろうな、というのが俺の解釈。大河が「泰子が幸せになること」を自分たちの未来に不可欠と位置づけたなら、大河が家族とどうあるべきかについて竜児が説教ではなく大河に気持ちを問うて気づかせるのが自然だと思う。
帰ったのが翌日だったのは、独身の進退問題を漏れ聞いた北村がメールして、電車の中で読んだってあたりだろうか。
で、その前夜。語られてないシーンで大河と竜児が結ばれたと思っているやつもいるのか。おれはそう思わない。竜児はキス以上に進まないと思う。
大河の性的な面に対して竜児が恐怖に近い感情を持っていることは、3巻の初水着シーンと10巻の大橋上のシーンではっきりと描かれている。それは大河の美しさや魅力に引きずり込まれ、おぼれることをまじめな気持ちで抑えたとも解釈できる。また、知らず知らずのうちに、どれだけ竜児が大河に惹かれているのかを表現しただけかもしれない。が、きちんとした大人にならないまま自分を宿した泰子の18年を見てきた竜児が、まだ子供の大河と体を重ねることを無意識に拒んだと解釈するのが好きだ。
イエーイ☆もみもみのチンピラ兄貴である父に対して、竜児は反感を抱いていない。単純に興味があるといっているだけ。だが、泰子と同じ苦労を大河に味あわせる気はないのではないか。無意識であれ。
どうやらこの二人は高校を卒業したら同棲するらしいが、笑いたくば笑え、俺は竜児は自分たちが大人になるまで大河と体を重ねない気がする。大河は積極的なようだが(w
祖父と竜児の間にそんな会話があるなら、いい場面だろうな。
大河が北村に告白して振られるシーン、おれの原作解釈とアニメの解釈がまったく違っていた。
アニメでは「竜児が助けてくれて、だからこうして言える、北村君が好き」と来て、竜児の独白「大河、お前はすごいよ」となる。告白にいかに勇気が必要かが強調されている。北村の「たぶん、ちゃんと正しくわかった」は、「好き」にかかっているように思える。
原作では「好き」と言った後に「でも竜児は嫌いじゃない」と続く。北村に対する気持ちより竜児への気持ちが強調され、竜児はそれじゃあまるで(自分を好きだと言っているようじゃないか、このドジ)とあわてる。大河の中で竜児はすでに大切な人へとなりつつあり、北村はそのことが「たぶん、ちゃんと正しくわかった」と言っている。
アニメのスタッフがなぜこの重要なシーンを変えたのか、よく分からない。順番の重要さに気づかずに単に告白を劇的に盛り上げるための助走として竜児への気持ちを使おうと思ったのかもしれない。あるいは、アニメは別解釈にしようと思ったのかもしれない。俺は原作至上主義じゃないからその点に関してとやかく言う気はない。
でも、「語られない気持ち」「語られない場面」がこの作品では重要で、そして北村は、いつ大河の気持ちに気づいたか語っていない。ひょっとするとそこからくるあいまいさがアニメと原作の乖離を生んでいるかもしれないと思うと、ちょっとだけ楽しい。アニメスタッフも読者なのだ。
それは分かっているけど、それとは別に
30代半ばで子供が居なければ「仕事ばっかりやってないで他のこと(=妊娠出産育児)もしろ」
と親に言われるのは当たり前だろという話じゃないかと。
↓この辺の増田はそういう話をしてると思うんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20090119144130
http://anond.hatelabo.jp/20090119143515
↓こっから始まるツリーの増田見てたら、元増田はまだ子供いないとは一言も言ってないのになんだかな、と思った
http://anond.hatelabo.jp/20090119145541
まぁ皆わかってるなら別にいいけど。
あと一ヵ月で20歳になる。
自分は早生まれなのでみんなと比べて20歳になるのが遅い、だけどまだ心の準備というか整理がついていない。まだまだ子供だ、というのが抜けない。
みんな体が成長するので当然だが、中学生の時と比べて髪が長くなったり、肩幅が大きくなったり、背も高くなったり、見た目がものすごく変わっていた。
でも、中身がものすごく成長したように見えた人はいなかった。
中学生の頃に比べたら自分の考えを確立している人もいただろうけど、自分を含め大人と一括りに出来るものはいなかった。
自分の中で確立している大人とは程遠い自分がいて、大人ではない大人になりそうで怖い。
論理力、文章構成力もないまま大人になっていいのか。
ただ誕生日を迎えるだけで大人と一括りにされるのに違和感を覚える。
色々な民族で成人の儀式があって、日本は成人式が成人の儀式にあたると思うんだけど全く中身がないように感じる。
ただ懐かしい面子で集まってはしゃいで、抽選会して。
どっかの民族と比べたら楽なもので、良かったと思う反面本当にこれで良かったのかと思う部分もある。
僕は大学を偏差値で選んで、数学が出来ないからという理由で文系にいって、勉強もろくにしないで、めんどくさがりで、単位も全然なくて、ものすごく10代を無駄にしてきた。
おれのいきり立つものを見ても、まだ子供だと思うのかい?ふふふ。
結婚って相手に与えてもらうだけじゃなくて与えなきゃいけないんだよ?子供と母の関係じゃないんだから。
なんかすぐ結婚は墓場だ!結婚しない!とかいう男の人って、そもそも結婚に対して「一人暮らしに、「ダッチワイフ」と「家政婦」がついてくるー!」って感覚でしかないんじゃ?そりゃそんなとこから出発してたら、すぐ絶望するわな。精神がまだ子供なんだろうけど。男って本当成長しない人は50になってもまだ子供みたいな精神でいるもんなぁ。逆に言うと、そんな精神でも生きていられるってことで、まあー男ってそういうところ楽でいいっすねと思うんだけど。女は嫌でも大人にならなきゃいけなくなるw。
俺が中3のとき。
女の子にコクられて付き合うようになった。
はじめてだった。
コクられるのも、付き合うのも。
そしてセックスも。
彼女は、それほどマセてたわけではなかったし、特別えっちなタイプの女の子でもなかった。
俺もそれまではずっと野球やってた。夏の大会が終わって、はじめて自由になった頃だった。
付き合い始めて、一緒にいる時間が長くなってきて、部屋でいちゃいちゃしたりしてた。
今思うと、そこで終わっておけばよかったんだけど、若気の至りとでも言うか、ヤっちゃったんだよね。
最初はうまくいかなかったりもしたんだけど、だんだん回数重ねてるうちに、お互い気持ちよくなってきて。
親のいない時間を見つけては、真由美とヤってた。
冬になった頃だったと思うけど、とつぜん真由美が体育の時間中に倒れたって聞いてさ。
どうしたんだろうと心配して彼女の家に駆けつけたわけ。
そしたら、会いたくないって言われて会えなくて。
次の日も、その次の日も真由美は学校休んでて、すごく心配になった。
真由美の家に行っても、中には入らせてもらえなくて。
今みたいにケータイもないし、声も聞くこともできずに、すごい心配した。
そしたら、夜になって真由美のお父さんから電話がかかってきた。
「真由美のことなんだが…」
真由美のお父さんとファミレスで会うことになって、会ったらいきなり、
「なぜ呼ばれたかわかるか?」
なんて聞かれたりして。
真由美のことですよね?それ以外は思い浮かばないんですけど…
なんて答えてたら、お父さんの顔がどんどん赤くなってさ。
えっ、誰のですか?と反射的に言っちゃったら、バカモン!って怒られた。
まさか、15才で、子供ができるなんて、思ってもなかった。
俺と真由美の子供ができたんだって。
生むんですか?と聞いたら、産めるわけないだろう、おろすに決まってると言われた。
「子供は空から降ってくるわけじゃない。ヤることをヤればできてしまうんだ。
私にとって、娘はとても大切で、真由美は空から降ってきた奇跡の女の子と言えるかもしれない。
だが、君たちにとって、望んでいない赤ちゃんは、空から降ってきた赤ちゃんではない」
それで感情的になって、
産ませてください!俺の子なんです!中学卒業したら、働いて育てます!
と言ったけど、ダメだった。
その後、うちの両親に怒られて、先生に怒られて、友達からもひやかされて…。
真由美は学校に来なくなってしまったし、俺はひとりぼっちになった。
中絶するからってことで、やっと1度だけ真由美と会うことができたんだけど、一言もしゃべってくれなかった。
なぁ、育てようよ。俺たちの子供だよ?一生懸命働くからさ。殺しちゃうなんてかわいそうじゃん。
いくら言っても、真由美の耳には届いていないようだった。ずっと泣いてた。
なぁ、どうしたら俺たちの子供生むことができる?
俺、真由美のこと本気で愛してるんだよ。
なぁ?
なんとか言ってよ。
俺が中学生だから?
稼ぎがないから?
なんで?
なんとか言ってよ。
愛してるんだよ!
途中から、泣いてわけがわからなくなったのは俺の方だった。
真由美のお父さんから、もう真由美には会わないでくれと言われた。
嫌です、会いたいです、ずっと一緒にいたいです。
と言ったけど、ダメで、もう会わないでくれと言われるだけだった。
じゃあ、どれくらい経ったら会ってもいいですか?
ダメ元で聞いたら、お父さんは重い口を開いてくれた。
「そうだな、20年経ったら、もうそのときは会ってもいいだろう」
あの日から、20年と13ヶ月が過ぎた。
さっき俺は、真由美と一緒に婚姻届を出してきた。
すごく遠回りをした気がする。
20年待って、やっと会えて、それでやっと結婚することができた。
でもまだ子供はいない。
できるかはわからないけど、これからまた真由美と一緒に、そして真由美と俺の子供と一緒に、生きていくことを決めて、今日結婚したんだ。
早く、空から女の子が降ってくるといいな。
一部の特異な人を除いてコミュニケーション能力は鍛えないと身に付かない。
自分をだめだと思っている人間なら、自身をリセットしてレベル1から上げなおせば良いのに、
昨今のコミュニケーション能力が無いと言っているやつらはなぜそれをしない?
しないのは出来ないから。
出来る奴には理解も想像も出来ないんだろうが、無理なもんは無理なんだよ。
鍛えるにはまず下手でもいいからコミュニケーションの練習をする必要があるが
コミュニケーション能力が無いとその練習の機会を作ることすら難しいんだよ。
俺はもうあきらめた。
この歳になってコミュニケーション能力が無いと誰も相手してくれないから
もう鍛えることもできない。
金が腐る程あればキャバクラでも行って金で相手を買えばいいんだろうが、
そんな金も俺には無い。
リセットする方法があるなら教えてくれ。
結婚(と離婚)にはたくさんのエネルギーを要するという話をよく耳にします。私の場合もまさにそうでした。今になって書けるような気がするのと、今になっても納得できない部分もあるのでまことに自分勝手ながらこちらに書いて見ようと思いました。それと、幸いまだ離婚を経験せずに済んでいます。
私は嫁と結婚する4年前から交際をしていました。しかし、相手の母親(嫁家は何年も前に離婚していたので)にお会いしたのは結婚する1年前くらいからでした。まずは私一人でご挨拶に伺いました。お爺様、お婆様、お母様と嫁で出迎えてもらいました。本当はお兄様もいるのですが、今は自立、結婚されて実家にはいませんでした。私は皆さんに嫁と真剣に交際をしていること、それと近い将来には結婚したいと考えていることを報告しました。
嫁家ではお爺様が全てを決めるような家で、お爺様の仰ることは絶対のようでした。義母は若かれし頃に某音大を卒業後、嫁のお父様とお見合い結婚、二人の子供に恵まれましたが、性格の不一致(しか理由って無いと思う)で嫁が中学生の頃に離婚しました。その後は実家に戻り、申し訳ないのですが自立してる私から見ると「随分と歳をとったパラサイト」に見えました。実際、働かず(今では孫の顔見たさにパート勤めらしい)、家事せず、みたいな人。
簡単な事情はこれくらいにして、無事に最初のご挨拶を終え、いきなり次は私の両親を連れてくるよう言われました。ここで事前に説明しておかなくてはならないのですが、私の家系はいわゆる被爆者の家系で私は3世になります。それと父は視覚障害者です。被爆が関係あるかはわかりません。私は最初のご挨拶の時にそれらを隠さず嫁家の皆様に説明しました。なんとなく、特に義母はそういうのにうるさそうに見えたのと、後でわかるくらいなら今言ったほうがいいだろうと思いました。それと義理の兄の娘さんがどうやら視覚/知的障害を持っていまして、義母は特に気の毒に感じているように見えました。あと、初めての挨拶で年収を聞いてくるのは非常識だと言う人もいるとは思いますが、これから結婚するのであれば、収入を聞くのは当たり前だと思いますし、勿論聞かれましたし、給与明細及び源泉徴収表を見せたりはしませんが、大まかに当時の私の年収をお話しました。
そういうことでしたので私は帰宅するや否や両親(山口県)に電話して、来てもらうことにしました。一応、それなりに軽くフォーマルな服装でいいよ。初めてのご挨拶だし、まだ結婚のお許しをいただいたわけじゃないから。と説明しました。そして当日、無事に挨拶も済み、私は再度、嫁と結婚したい意志を義母に伝えました。しかし、義母は口を濁し、お爺様もいるせいか何も返事をしてくれませんでした。私は(当時)新大阪まで両親を送っていきました。「まぁ、これからだね」と父に言われて両親は山口へ帰りました。両親を見送った後、帰宅してすぐに嫁家にお礼の電話をかけました、するとまたさっきと義母の様子が違い、いきなり「今日は結納金くらい持ってくるのかと思ったわ」とか「あんな目暗(メクラって視覚障害者の差別用語)の家になんか嫁に出せるか」とか「人の家に挨拶に来るのにあのラフな格好はなに?非常識な」とか(3番目は私に責任があると思います)耳を疑うような言葉を聞きました。普通なら心でそう思っていても口に出しては言わないと思うような言葉の数々を言われて、正直かなりショックを受けました。私はすぐに両親に電話をして「あのタイミングで結納金って渡すもんなん?」って聞いてみたけど「普通じゃない」と言われてさらに困惑。
そんな感じで義母は反対でした。しかし、全ての決定権を持つお爺様はなぜか私との結婚をむしろ「やるなら早くしろ」と。披露宴の費用も負担するとまで言ってました。今も当時もなんとなく甘えるのは気持ちが悪いですが…しかし、当時の経済的な状況を考慮して、無い袖を振るうわけにもいかず、足らない部分を負担していただくことになりました。義母とは会話が成立せず困りました。電話、直接お話しに行ってもお爺様がいるときは無言、いないときは無茶苦茶。前述した通り、お兄様のお子様が障害をもっているということで「絶対に子供は作るな」とか。「DNA検査を受けろ」だとか。(というかDNAを検査して異常を検出するような検査は当時も今もまだできないのではないかと思うのですが、義母曰くお兄様とお姉さまも受けられたとか。多分ウソだと思いますけど…)徐々に追い詰められてしまい、とうとう精神科に通うほどになってしまいました。鬱病で寝込んでいるときに私の家のドアを名前を叫びながら叩くだけならず蹴ったり。当時のご近所さんたちは借金取りと思ったと思います。
そんな状況でもなんとか根気強く義母と話し合い、子供は絶対に作らないということを守ってくれるなら結婚を許すというところまで行きました。私は嫁といられるだけでいいのでその時はそれでもいいと思いました。披露宴も近くなり、平日は仕事、週末はホテルで打ち合わせという日々を過ごしていました。お爺様が定期検査のために入院されたと聞かされました。つまり、お爺様が家に不在ということで、義母が早速電話をかけてきました。そしてこういいました「披露宴は中止してほしい」と。理由を聞くと「娘があんたみたいなダメな男と結婚するのに、どうしてわざわざ世間に披露しなくてはならないのか?恥ずかしいじゃないか。」と。そんなこんなでお爺様は大激怒でしたが披露宴をキャンセルしました。結構なキャンセル料も私が負担しました。嫁にはひたすら謝りました。楽しそうにドレスを選んだり、食事を選んだり、あの嬉しそうな笑顔を思い出すと涙が止まりませんでした。後日、記念撮影だけしました。嫁は「私はこれで充分だよ」と言ってくれました。間もなく私たちは入籍しました。
私は鬱病がひどくなり、とうとう生活に支障がでるようになりました。悩んだ末、当時の会社を退職し、両親のいる山口へ引越しました。しばらく療養し、今の会社に入り、まだ鬱病ではありますが、まともに生活できるようになりました。ちょうどこの頃、嫁から「そろそろ子供が欲しい」と言われました。私は仕事の都合上長期間家を空けることがあり、慣れない土地で嫁は一人でさびしいのだろうと思ったのですが(また、寂しいからと言って子供を作ることも間違っているとは思いますし)、嫁に「でも、お母さんがなんと言うか」と言いましたが「それでも欲しい」と。しかし、そう都合よく神様は授けてくださるワケもなく、月日が流れていきました。そしてある日、嫁が実家にひとりで帰省中に近所の病院で「おめでたですよ」と念願の子供を授かることができました。黙っておくわけにもいかないので義母に電話して嫁が妊娠したことを伝えました。すると「あんた種無しかと思ってたわ。あははっは」と。ただし「おめでとう」とは言ってくれませんでした。
嫁は2007年12月10日20:35に3,598gのかなり元気な男の子を産んでくれました。立ち会った私は涙が止まりませんでした。当時はがんばってくれた嫁に感動しましたが、まだ子供が自分の子供だという認識と責任感みたいなのはあまり感じませんでした。義母も出産前日から来ており、初めて世に出てきた和が子を見てこう言いました「指は1,2,3...あるな。うん。」と、しかし、しばらくしてから「おめでとう!」と言ってくれました。
息子の誕生から間もなく1年が経とうとしています。嫁家には2度ほど連れて行きました。お爺様&お婆様は「本当に愛らしい」と大喜び。ご両名が元気とまでは言いませんが、ご存命中に子供を見せることが出来て本当によかったと思っています。
しかし、義母があの時言った言葉の数々(今でも口が悪い)を、私は許せていません。そして一生許すつもりもありません。しかし、どんなに人のいいあるいは悪い両親(片親)であろうとも、言葉が良かろうが悪かろうが、人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。加えて現在の私も義母のことを除けばとても幸せに暮らしています。全てがうまくいく人生も珍しいと思いますし、面白みが無いと思うのと同じだと思います。私が向こうの親に結婚を反対されて、それでも結婚したときにまず思ったのは、嫁も含めて私も幸せになって証明するしか無いと思いました。今でも尖った言葉を義母より沢山頂戴しておりますけど・・・
以上、長い話にお付き合いいただきありがとうございました。また、最後にもし貴方に一生をかけて守りたい人ができて、結婚したいと思ったとき、あるいは今大切な人がいて、その人によく「いつか結婚しような」と言うことがあったり、その「結婚」とはどういうことなのかを考えたくなったときに、あまり参考にはならないとは思うのですが、何かの参考になれば幸いです。加えて皆さんも幸せになることを心よりお祈り申し上げます。
こういうの読むと結婚する気失せるわ
確かにしないほうが無難な場合もあると思います。結果論には激しく同意します。義母が許せなくて大嫌いだけど、なんとかやっていけるてるよということで・・・
あえて書きませんでしたが義母は精神を長らく病んでいたのだ(そして今も)と思い、昔から病院へ行くことを勧めてきましたが、なにより本人がそれを嫌います。まぁ、強制できないことですし、よくあるパターンだと思いますが・・・私が精神科に通っていると言ったときには「やっぱりアンタは基地外やってんね」って言われましたw
まだしてないなら、お祖父さんが亡くなった時点で、同居って言い出すから絶対拒否だよ。 負けるな。 奥さんとお子さんをお姑さんから守れるのは...
ありがとうございます。幸い今は同居しておりません。が、その可能性はひしひしと感じております。お兄様はお子様でいっぱいいっぱいな様子で、恐らくあちらで同居はできないだろうと思います。が、私だけならず嫁も自分の母親ながら同居に耐えられないことはわかりきっていますので、同居は拒否します。今のところ、義母はお爺様が買ってくれたマンションで暮らすと言っています。今は本当にそうなってくれることを祈るだけです。玄関にウ○コですか・・・また大変そうですね・・・
人の家から嫁を貰うということはいつの時代もこういうものであり、皆乗り越えなくてはならないものだと思います。 まったくそうは思わないけど。 そもそも「結婚」という形式にこ...
そうですね。「皆乗り越えなくては」は必ずしも当てはまることではないかもしれませんね。子供もできるまではあまり欲しいとは思っていなかったのも事実です。産まれてから可愛く思えるのにしばらくかかってしまったのは私だけでしょうか。なんというかなかなか実感がわかないというか・・・しかし、経済的援助は勘弁してほしいですね。気持ちが悪いですから・・・
割と良家のようだから、財産目当てでは? 義母が離婚後働かず実家に子連れパラサイトでも許されたり、旦那が鬱病抱えているのに嫁が呑気に子供欲しいとか言える辺りも 親の財力あっ...
確かに嫁家は良家だと思います。少なからず私の家と比べたら・・・仰られた通り真剣に縁を切ることも考えたことがありましたが、嫁にとっては親に違いないワケで、そこを無理やり切ることも無いかなと思いました。できることならウチの子供にも会いに来て欲しくは無いです。
それと財産に関してですが、まったく興味ありません。出来ることなら(有価証券やら不動産が多そうなイメージなので)とっとと現金化して、私と関係無いところに生前贈与でもしといて欲しいくらいです。それも私が心配することではないのであまり気にしていませんけど・・・
以下のエントリーを書かせてもらった者です。
これが増田の威力というものなのか。こんな俺のこんな内容に、たくさんの反応を頂いた。内容はさておき、本当に感謝したい。多くの人に読んでもらえただけで、救われた。本当に。ここに書くこと自体、誰かに読んでもらいたいと思っていたのは自明だから。
前回のエントリーの最後で、「何かを期待して」と書いた。書き終えた時点では、何かを期待しているつもりはまったくなかった。しかし、何かを期待せずしてわざわざ増田に吐露するわけがないだろうという自問の末、やはり何かを期待しているんだろうと思った。
では何を期待していたのかと言えば、おそらく次の2つだったんだろうと思う。一つは、既に多くの方から頂いた「お叱り」。もう一つは、似たような境遇にいた人からの「経験談」。たぶんこの2つだと思う。
一つ目に関しては、もう十分なくらい頂いた。一つ一つの批判や否定や罵倒が、心に刺さった。読むのが辛かった。しかし、そのような反応を頂くことは百も承知だった。だからこそ、全部目を通した。そう、俺はクズなんだと思う。不倫ボケのお花畑脳なんだと思う。自己陶酔しているんだと思う。間違っているんだと思う。想像力が足りないんだと思う。そう、すべて正しい。そんなこと分かりきっている。
しかし、倫理的にも、道義的にも、社会的にも、すべて受け入れられない事態であるにもかかわらず、こういった不倫の経験がある人は少なくないのではないか。俺以外にも、同じような経験をした人は結構いるのではないだろうか。そういった「経験者」は、こんな俺に対して、どのような言葉を投げかけてくれるのだろうか。そんな漠然としたもう一つの期待もあったわけである。
しかしながら、この二つ目の期待は、満たされることはなかった。増田って、三十代既婚男性って結構いると思っていたけど、そうではなかったのかな。もしいたとしても、この状況の救われなさと罪深さをより深く知っているだけに、何も手をさしのべてくれないのだろうか。
前回のエントリーで、話の流れとして、重要だが敢えて書かなかったことがいくつかある。その一つが、いまの嫁と直面し、その後なんとか乗り切った「離婚の危機」のことである。こんなに反応を頂けるとは思っていなかったので、話を適当にしたのだが、ちょっと書いてみようと思う。
結婚して間もなくだった。これも敢えて詳しくは書かないが、ひょんなことで俺が嫁の浮気を明白に知ることになり、いろんな修羅場をくぐった後、俺は、最終的に彼女を赦すことにした。まだ子供は生まれていなかったので、離婚はそれほど難しいことではなかったと思う。だが、俺も、嫁も、お互いがお互いを必要としている少し厄介な状況にいて、極めて功利的な観点から、分かれるよりも、まだ一緒にいたほうが得だという判断をした。
しかしながら、この説明で明らかなように、俺は彼女を本当の意味で赦したわけではなかった。ことあることに彼女の浮気のことが頭をかすめて、行き場のない憤りと情けなさを感じた。俺はこいつと付き合い始めてから一度も浮気をしなかったのに、こいつは・・・、と何度も思った。彼女も、俺がずっと心のどこかで不信感を持ち続けていることを明らかに気づいていた。お互い、そうした思いを早く打ち消したくて、救いを求めるように、子作りをした。
前回のエントリーに書いたように、その後俺は適当なセフレを見つけ、風俗に行くのと同じような、純粋に体だけの関係を何人かと持った。この時点で、もう俺も男として失格なのかもしれないが、まあそこは大目に見て欲しい。そして、今回の職場の彼女だ。体だけでなく、女性として、いや人間として、明らかに魅力を感じる女性に出会ってしまった。俺がこの浮気に脳天気に陶酔している(ように見える)のも、俺が嫁の浮気を絶対的な免罪符のように思っているからだと思う。なんて浅薄な考え方なんだろうと自分でも思う。
増田の皆さんからの99%ネガティブな反応を頂いて、気がついたことがある。それは、今回の件は、二度目の結婚などではなく、二度目の離婚なのだということだ。
俺は、嫁の浮気を赦したと書いたが、やっぱり今でも赦していないと思う。やはり、事実上あの時点が一度目の離婚なのだと思う。そうした離婚という現実を目の当たりしたくない俺と嫁が、救いを求めたのが子供だったのだ。「子は鎹」とは良く言ったもので、まさに子供たちによって救われ、子供たちによって繋ぎ止められている二人なのだ。
そして今回、一度目の離婚で失われてしまった「かつて愛した嫁の姿」を職場の彼女に見いだしてしまったのだと思う。そんなものに再び出会えるなど微塵も思っていなかった。が、出会ったしまったのである。そして、お互いに似た状況を見いだし、愛し合ってしまった。そこに対して、俺は明らかに高揚しているし、陶酔もしているんだと思う。
いま、そんな彼女に対して契ろうとしている約束は、俺にとっては二度目の結婚などではまったくなく、嫁に対して微かに残っていた愛情に対してすら別れを告げることを意味する二度目の離婚なのだという気がしてきた。
そうなると、やはり一番心を痛めるのが、二人の愛する子供である。コメントでも頂いたが、こんな父親の思いや行為など、子供の目からすれば、母親を裏切るという点において、絶望的且つ醜悪なものでしかない。子供の文脈からすれば、俺は百回死んでも赦してもらえないとんでもない父親なんだろう。
いま、やはりこの二度目の結婚ならぬ、二度目の離婚は、子供という「鎹」をも打ち砕く、決定的なものなのだろうか。いま、正直、一番気にかかるのは子供のことである。子供の幸せのためには、法的には一度も離婚していないが、心理的な面では二度も離婚をしてしまった嫁との関係を、形式的にでも継続しながら、子供の成長を待ったほうが良いのだろうか。それとも、子供を明確かつ即座に「親の離婚」という不幸せな状況に陥れてでも、嫁とのこんな関係に終止符を打ったほうが、子供にとっては逆説的だが幸せなことなのだろうか。
結局、この問題になるのだろう。そんなことはなから分かっていたのに。
増田の皆さん、いろいろ頂いたお叱りのコメント、ありがとう。いろいろと考える機会を与えてもらいました。もう少しだけこの問題と正面から付き合ってみたいと思います。
当方三十路ですけれども、まともにつき合うのは3人目で彼氏は26歳。
先日初めてのお泊まりをすることになり、彼氏の家に行った。
正直言って彼氏はセックスは下手…というか、ただ胸をなめて挿入で、彼氏がイッて終わり。これまでの彼氏と比べるのはバカらしいことだし、こういうことは二人で作り上げていくものだとわかっているつもりだけど、今までの二人の彼氏は楽しませてくれていたんだなあと実感はした。
けど、ここまではまだ大丈夫だった。
お泊まりをすることは一週間前から決まっていたのに、コンドームを買っておくことさえしてくれなかった。まあ私も用意してなかったけど、でも年下の彼氏はことあるごとに「年下だからって遠慮しないで俺に任せて」が口癖の人だったし、初めてのお泊まりについて女子(三十路ですけど!)から「ゴム買った?まだなら買っておこうか?」とも言えなかった。
で、最中に「どこに出したらいい?」と聞かれて、目が点になってしまったんだけどもとりあえず外に出してと言って彼氏は私のお腹の上に。そのあと楽しげな顔で「どうだった?」的なことを聞いてきたので思わず思ってしまった、こいつアホちゃうか、と。
彼「ねえ、どうだった?」
私「どうっていうか…なんでしてくれなかったの?」
彼「うん?何を?」
私「避妊」
すると彼氏は「あははー、忘れてた」みたいなことを言うので、私は思わず泣いて抗議してしまった。
「意味わかんない、最低」とののしって背中を向けると、彼氏はちょっと焦って「え、どうしたの」と言った。
私「どうしたのじゃない、もし妊娠したらどうするの?」
彼「そのときは責任取るよ(自慢げに)」
私「責任って…」
彼「結婚すればいいじゃん」
私「何言ってんの。結婚ってどういうことかわかってんの?初めてこういうことしたのに、つき合ってまだ一ヵ月も経ってないのに、実家にだって遊びに来たことないのに、そんなやつに妊娠したから責任とって結婚してもらうって、そういうこと言われるうちの両親の気持ちとか考えたことあるの?私まだ子ども持つ気なんてないかもしれないのに、そういうのは無視してできたらできたときだって言うわけ?私がどんなふうに結婚したいかとか、話し合ったことだってまだないじゃない。そっちの生活がどんななのかだって、まだ聞いてないよ。それなのに気軽に結婚って、結婚についてリアリティがないだけとしか思えない」
彼「…でも結婚って勢いだって言うだろ」
私「26にもなって勢いだけで中出ししようとすんじゃねえよ」
さすがに最後の一言は飲み込んだんですけども、本当に情けなくなって、ベッドで眠りにつく彼氏を置いて洗面所で聞こえないようにわんわん泣いてしまった。
それでも、翌日にはコンビニでゴムを買ってきてくれたし、何度もごめんと謝ってくれたので、ここまではまだよかった。
しょうがないのかなあ許すべきなのかなあと思いつつ、翌日も彼氏の家で過ごしていると、またもそういう雰囲気になってきた。お腹の上に出されるのはもういやだったので「買ってきてくれたやつ、つけてくれるよね?」と避妊を促すと、彼はこう言った。
「んー、でも俺、今まであんまりつけてこなかったから、つけるとイケないんだよね」
私はもうダメだと思い、そのまま彼の家を出た。
一度ダメだと思うと、これまでかわいいと思えてきた彼氏の行動がすべていやになってきた。こっちが年上だと思ってなんでも頼ってくるところも、こっちが何かするたびに顔色をうかがってくるようなところも、今までは「頼ったり助けてあげたりする関係だからいいんだよね」「こっちを気遣ってくれてるんだなあ」と思えていたのに、なんだかすぐイライラしてしまう。
セックスについても、彼氏の抱き方は自分だけがよければいいようなセックスだったように思えて、急に不安になった。彼氏は自分が出せればいいだけで、その他は何をするにも淡白なんだ。性の不一致で別れる、というのを「そんなの都市伝説だろう」と思ってたけど、やっぱりある。たぶん。
というか、26になるまでゴムをつけないセックスばかりしていたっていうのは、男としてどうなんだろう。
たとえ結婚したって、幸せな家族計画のためには夫婦間だってゴムをするのに、そういうことは考えてないんだろうか。
彼氏のことまだ好きだけど、もう嫌いになりそう。