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2018-08-11

ひとりじゃないという曲について考える

いい感じに投下する場がないのでここに投下します。

堂本剛の「ひとりじゃない」という曲が小さい頃から好きだった。

金田一というドラマ以上にこの曲は幼い私の心に何か引っかかっていたらしい。

最近再度聞き直してなぜ心に引っかかったのかを私なりに書いていく。

馬飼野康二氏の曲もさる事ながらこの曲の歌詞も要因として大きいと考える。

この曲の歌詞ひとりじゃないという部分だけを見ると歌い手聞き手への声かけの歌に見えるが

歌詞全体を見ると歌い手が己への語りかけとして歌っている構図にも見える。聞き手歌い手からメッセージである歌を受け取るのではなく、歌い手が己へ対して歌う姿を見て(聞いて)何かを感じ取るのだ。

また、その構図を踏まえた歌詞は、元気で明るい(人によってはちょけている印象もあるだろう)という偶像の下にあった剛本来性格リンクしているようにも思う。

(作詞森浩美氏は彼のパーソナリティを知っていたのだろうか単なる偶然だろうか?)

聞き手である我々が本来の彼の性格を知るのはkinki kidsメジャーデビュー以降であるためこの曲が発表された当時は知る由もないはずだが

元気で明るい偶像でいた10代の剛が歌う決して明るい曲ではないこの曲は違和感なく受け入れられた。

金田一少年の事件簿のドラマ自体が暗い部分も多かったためでもあるとは思うが、何より聞いても違和感を感じない沁み入る歌声だったからこそだろう。

元々歌が上手いほうではある彼だが、上手い下手とかではなく沁み入る歌声、これが大きい。

なぜ沁み入る歌声という評価をしているのか自分でもよくわかっていないが、もしかしたらその歌声には本来の彼自身が反映されており、私はそこに気づかずも「曲に合った沁み入る歌声」という感想で受け取っていたのかもしれないと考える。

ひとりじゃないアイドルとしての堂本剛初のソロ曲というのがまた不思議だ。誰がどのような話をしてどのようにプロデュースしてこの曲が出てきたのだろうかと考えてもこればかりは予測がつかない。

今はkinki kidsとしてかENDLICHERI新曲プロモーションででしかテレビで歌う事はない彼だが

不特定多数の人が見ることができるテレビという媒体でまたこの曲を歌っている姿をできれば聞きたいと私は願っている。

※余談ですけど「街」や「これだけの日を跨いで来たのだから」もいい曲ですよね。

 
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