はてなキーワード: 「あるある」とは
republic1963氏が「あるある」と楽しんでいるモテキ。
angmar氏が大ッ嫌いなモテキ。
y_arim氏が壁に叩き付けたモテキ。
超絶美人でスタイリッシュな女性が読んでいるらしいモテキ。http://d.hatena.ne.jp/mamiamamiya/20100130
オタク、二次元、リア充、草食系、肉食系、イケメン、美女、童貞、非童貞、処女、非処女、みんなに開かれている漫画とか紹介されているモテキ。http://www.cyzo.com/2009/08/post_2579.html
開かれているだろうか。「真の非モテ」にも開かれているだろうか。かつてmasao_hate氏に噛み付いたような真の非モテ達のような人間にも開かれているだろうか。
y_arim:本当に生まれてこのかた異性とかけらも縁のないキモいやつについてどう思うか久保ミツロウに聞いてみたいな。
y_arim:コンビニ店員くらいしか異性と口利いたことなさそうな極まったひとってたくさん見かけるんだよ即売会とかで……。そういうひとらはモテキ読者から見てどうなんだろうな―と思った。
開かれているかどうかは別として描かれてはいる。超非コミュがたたってアシスタント達に敵対され捨てられた漫画家・小野坂オムである。
ネタバレになるが主人公の藤本は彼の読者であり、ヒロインの1人土井亜紀とともに彼を訪ねるシーンがある。
このシーンを私は忘れない。まずオムの描写である。チビでプルプル顔をゆらしながら土井亜紀の胸を服の上から透視する漫画家スコープ・ピィ~ンとかいうキモイ変態描写である。
ふざけてんのか?
そして藤本と土井亜紀は友人関係という事になっているようだが二人にはあきらかに下心が透けて見える。特に藤本は照明助手の明るくてかわいい自称処女や、美人のインテリキャリアウーマンにモテはじめて調子乗りまくりである(たぶんネットみのもんたってこういうヤツ)。土井亜紀のほうは藤本に気があるのは序盤から変わりないが調子乗りまくりの藤本のほうは土井亜紀と「俺とは釣り合わないだろう」とネガティブ垂れ流しつつ「折りあらば付き合える(フッフッフ」とか宇野常寛的レイプファンタジーをかましているDQNなのである。
で、この藤本だがいきなり「オム先生可哀そうだなぁ・・そうだ、土井亜紀と先生ならお似合いなのでは」と土井亜紀をオムに紹介、土井亜紀とオムをくっつける作戦を始める。そして土井亜紀は皿洗いやカレー作りを藤本とともに行う。オムはプルプル顔を振るさせながらカレーを食べて和んだ表情を見せる。
ここだ。
ここの藤本「うわぁ・・・オム先生が解けていってるー、きもー(オムはキモ顔でキモ表情)」という侮辱的ギャグ表現。ここにy_arim氏の疑問に対する答えが詰め込まれている。これが久保ミツロウとモテキ読者による真の非モテへの視線そのものなのだ。
作者の久保ミツロウはオムについて「ただのキモイヤツ」としか描写していない。久保の描けない部分、この3人の関係とオムの内面について、替わって真の非モテである私が解説しよう。
まず藤本はなぜオムに土井亜紀を紹介したのか?実はこれ藤本の下心にほかならない。本当は「オム先生より自分のほうがモテる。オム先生と土井亜紀が釣り合うわけがない」と思っているのだ。土井亜紀を紹介した真の理由、それは「かわいそうなオムに好きな女を譲る優しい俺」自己陶酔と土井亜紀への印象アピールである。そして土井亜紀のほうもそれを本当は見抜きつつ藤本に対して家事上手で女の子らしい一面アピールを行い「キモいオムみたいな人にも優しい自分」で藤本への印象アップを試みているのだ。「キモいけど可哀そうまオムを2人で助けよう」という美しいテーマで共犯する2人の下心。
一方オムはリアルなキャバクラ漫画を描いている人物である。ここでいう「リアル」とは「描かれたリアル」である。この手のあるあるネタの宝庫は現実よりもむしろ書籍である。もちろん「キャバ嬢が教える男の落とし方マニュアル」「小悪魔な女になれる、恋の切り札」みたいな恋愛本を山ほど読んでいるに違いない。それをネタに漫画で表現しているからゆえの「リアル」なのだ。このオム先生が藤本と土井亜紀の下心を見抜いていないはずがない。しかし「もう駄目だ」「誰か生きてていいと言ってくれ」「誰か1人でいい、僕の手を握ってくれ」状態のオムは土井亜紀の笑顔とカレーに和んでしまった。そしてその瞬間の描写は「きめぇぇぇぇぷぎょゎ~~」的なものなのだ。
オムのぷるぷると和む表情、あれは「だめだ、和んではいけない、すがってはいけないんだ」という戦いの表情であるにもかかわらず。
これが真の非モテ陵辱漫画でなくて何だと言うのだ?真の非モテの「だめだ、でも・・」と戦っている表情にぷぎゃーするのなんて、非実在少女の「イヤッ・・悔しい・・でも感じちゃうビクッビクッ!」で射精するのと同じようなものではないか。こんなもん読んでたら似非非モテヘイトとミソジニーを同時発症してしまいそうだ。
もう一つ、非モテ藤本とモテ島田の関係。なぜか非モテにはイケメンの友人がいる事が多いように思う。一見するとそれは「俺はモテる。くやしいだろ~オラオラ」と「あぁ羨ましいモテないもうダメぽ」な共依存に見えるがそれほど単純ではない。モテとしては非モテがはがゆい存在なのだ。非モテは絶望ぶっていながらそのルサンチマンの背景には純愛しているリア充幻想がある。しかしモテのほうは失恋も浮気も経験していてプチミソジニーであることが多い。モテのモテ自慢の真意は「非モテは絶望とか言っているが、いい年してまだ純愛幻想に浸っているのだろう。お前の絶望はヌルい。世界に愛はない。お前は一生それを知らずに死ぬなんて幸せだな」というイビリであり、非モテのモテ話受容には「そうか、世界に愛は無いのか・・。ならば絶望する必要もない」という安心感が隠れている。・・のだが藤本と島田の関係にはそれがない。ポジティブでバカでいいヤツ島田とネガティブだけど純情で優しい藤本として描かれている(一応藤本が好きなキャリアウーマンを島田がトイレで喰ったみたいなシーンはあるのだが・・)。これはヌルすぎる気がする。百合オタの「女の子同士の無償の愛の共同体幻想」男verと言ったところか。このヌルい設定のままでもモテと非モテの関係を描写しようとするなら「非モテのモテ期」と「モテの非モテ期」を同時に描く、という手もあったように思うが島田はそうそう結婚してしまったので望めそうにない。
っていうかこの漫画いろいろ大雑把すぎる部分が多いのだ。サブカル設定の藤本なのに中学以降二次元でしかマスターべショーンできない設定「オタク」っぽかったりするのだ。ありえないだろこれ。モテない人って二次コンなんだっけ、みたいな、うどんもそばもまぁ同じようなもんだろ、みたいなめちゃくちゃさ。女ってケータイ小説でBL消費している森ガールみたいな感じだ。
y_arim:そりゃなんか倒錯した変態趣味だな。 RT @rdnt: でも心を抉られるのが何故か心地よくてモテキを読んでる俺 #mokradio
なぜ非モテがモテキを読むのかというのは、なぜ非モテはリア充を羨望するのか、とかオタクによるサブカル嫌悪、に近い気がする。私はハルヒやグレンラガンを限定版でDVD集めているキモオタであるが、音楽はtoeもnano machineもvenetian snaresも聞く。Sigur Rósやmúm好きがたたってアイスランド語のアカウントを取ったこともあるくらいである。これは自分がキモオタなのにリア充の「かっこいい」を「かっこいい」と感じてしまうからなのだ。おそらくオムも自分がキモいと思われていることをわかっていながら三次元の土居亜紀をかわいいと思ってしまったのだろう。頭ではわかってるのに欲望がついてきていないのだろう。階層社会について宮台は「断念とリスペクト」を奨励したが・・これコミュニケーションとかサブカルチャー受容とか性癖については変態しか生み出さない気がする。断念は可能でも自分のことを死ねと思ってる人たちを求めてしまうとかリスペクトするとか羨望するとか嫉妬するとかそれ自体倒錯した変態趣味なのだ。y_arim氏はかつて「非モテと敵対する。僕は女の子と仲良くなりたい」と言ったが(y_arim氏は言ってもいいと思うが)これを本当の非モテが言ったとしたらどうだろう。例のTogetterのように生理的な問題として「口も利きたくない」と思われている相手に対して「仲良くしたい」とか求めたり「こっちだって口も利きたくない」と反撃したりする羨望と嫌悪の同居こそ未成熟っぽいというかACっぽくないだろうか。死ねと迫ってくる人々についてはそれが自分よりもどんなに人格的・能力的に優れている人物だったとしても「死ぬかどうかは自分が決める」と言うしかない。ルイズも俺がラノベに入ったらキモがるんだろうなと思うなら破り捨てろ。リンコも俺の事嫌いなんだろうなと思うならDSごと叩き割れ。もっと嫌いなもの同士拒絶し合えばいいのだ。それがミソジニーというならもうそれはしょうがないと言うしかない。モテキとその周辺を見てそう思った。
鬱病の友人がいる。普段、外へ出て僕らと会っていると、表面上元気に見えるのだが、家にいるときにはもうだめな感じになっている。そんな人。
発病したのは1年程前。元々親しい仲であったし、僕も同じように鬱をやって、転機あってとりあえず元気に暮らしている立場だということもあり、よく話をしていた。色々遊びに出かけたりもした。
途中、色々な症状に苦しむことはあったけれども、自分も同じような状況だったので、「あるある」という感じに見てたのだが、最近、死のうとするようになってきた。自殺未遂のようなことをしている。僕は鬱病をやったけれども、その間にも「命を絶つ」という選択肢はどうしても出てこなかったので、突然、自分の経験を超えられてどうしたものか分からなくなった。死ぬくらいなら、できることはいくらでもあるのになぜ死ぬ方向に方針が動いていくのだろう。死ぬくらいなら、「さすがに無理だよ」と思ってたような恥ずかしかったりリスキーだったりするチャレンジができるじゃないか。と、思うのだが、鬱状態になってると中々そうは思えない、思えても行動はできないのだろうなぁ。
死んでほしくはない。遊んでると楽しそうじゃないか。友達も増えたじゃないか。あんたに惹かれてる人だっていると思ってる。死ぬくらいなら、全ての原因=命を絶とうとか考えないで、個別の原因を探し出して潰していこうよ。
いくら言っても、死にたがりには届かない。死ぬくらいなら俺が殺してやるくらいのことを言ってみたら変わるのだろうか。ああ、死ぬくらいなら最後に俺と本気の殴り合いでもしようとかいいかもしれない。頭のネジ抜けるくらい殴ってやる。
つうか、話が突飛に過ぎるように思う。
痴漢被害の話は「男はみんなこうだ」という内容を暗に含
んでいるつもりがあるとは限らないし(というか通常は無いだろう。無いからこそ話すのだと寧ろ俺は思う。本当にそういう気があるのなら、男である増田に対して話す気にもならないのでは?)
痴漢被害の話は既に被害にあった後の話なので、対策が打てない。
といっても、男同士であっても日々常にある議題とそれに伴う対策を論じているわけではないだろう?w少なくとも俺はしていない。(こういう話題になると、何故か男は別に日々たいした話なんぞしていないのに「女どもより高級な話をしている」とばかりに高下駄を履く傾向がある。プライドか、見栄か?)
電車に乗れば「つーか、昨日俺、コンビニのバイトで店長にマジしかられて」「マジで?それマジキツくね?」なんて若い男同士の会話なんぞヤマのように聞こえてくるわけである。
上記2点によって、一方的なサンドバッグにされてしまう。
というが、「痴漢被害にあった」というだけで、そもそも上記二点の事を勝手に感じ取り「サンドバッグにされた」と感じるのが若干被害妄想に過ぎると俺は思うのだが。実際に、明確にサンドバッグにあった、というならば、それはもう「痴漢被害を話す女性」の話ではなく「痴漢被害について男をみかけると一方的にサンドバッグにしてくる女性」の話であり、両者は明確に分けなければならない。この辺が、この増田は突飛なのである。痴漢被害をただ話す女性と、それによって「男は皆そう。あんただってそう。あんたも責任を感じて私に謝りなさいよ」と例えば言ってくる女性とは分けて話さないといけないのだが、増田の話術?により「サンドバッグにされてしまう」まで読むと、読んでる側としてはいつのまにか「痴漢被害を話す女性=誰でもいいから男性をサンドバッグにする」と誤った情報がインプットされてしまうのである。その上、それを前提に話を進むからわけのわからないことになる。
その次の論からしても何か突然に「女性は共感してほしいのだと思う。」である。突然に何故か事実のように増田の主観が根拠なく語られるのだ。そしてまたそれを根拠に論が進むというマッチポンプ状態である。
また
とまるで「事実かのように」さり気無く書いているが、これはそういう女性にたまたま増田が出会っただけであることは忘れてはいけない。人間関係や、男女系の問題で、こういった「自身の身の回りのわずか数例、多くて数十例ぽっちのことから帰納法でもっともらしい一般的法則を無理矢理に出そうとする」タイプは多いのだが、危険だし、非論理的である。そういった人はまず人間が何人いるか、男性、女性が何千万人いるか、そういった規模の大きさや人の多様さを確かめてからにすべきである。君の周囲がイコール社会ではないのである。社会学や心理学は、「エセ科学」なんて蔑視されていたりもするが、その学問だってまさかこんな「自分の身の回りのわずかな人間から急に帰納法で無理矢理一般法則を見出す」なんてことはしない。何千人何万人とデータを取るのである。それでも確かとは言えないのだ。いわんや、増田をや。
君がパンクが好きだとして、「音楽ってのはギターぶっこわしてなんぼ、逮捕歴があってなんぼ」なんて思っていて、周囲も自然とそういう人間が集まったとする。そして「音楽とは?」と聞かれた場合「逮捕歴があってなんぼだよな」なんて答える人が君の回りに10人もいたとしても、それを「東京都民」に広げたら途端に少数派となるだろう。つまりはそういう可能性もあることを忘れてはいけないのである。
あと、さっきもいったが別に男とて常に「相談―対策」といった構造の話ばっかりしているわけではないw
男女問題になるといつの間にか男がそんな「キャラ」になってしまうのはおかしなことだが、俺だってたとえばスリにあったとして、友人に「昨日一万スられてさ、あーあ」とかいった途端に対策など講じられてはたまったものではないし、実際にそんな事を言い出す人間にも今のところ会ったことはない。会話を有る意味で大袈裟にとらえすぎというか、「マジかよ、災難だったな」終了、でいいんである。「もう事後だから対策を練れない」とかマニュアルバカみたいな事を思う前に、「今このときにおける自分自身の対策」を練り上げるべきである。こういう人間は、やたら対策対策言うわりには、他人に対するそれしか興味がなく、肝心の「自分の対策」はとんと興味がないらしい。妙な話だ。(つまり、「オレってば対策を講じてしまうんだよね」なんてのは、「他人に何か一言物申したい」という俗物根性をこぎれいにコーティングしてみせただけの一品だけでしかないということをこの時点で認識すべきである。)
あと、以前からはてな界隈ではよく好まれる「男は対策を考える、女は共感して欲しい」だが、これはあくまでそういう『傾向』が見受けられるというレベルであり(それもまだ統計的なレベルでしか証明されていないのでは?よく知らないが)、当然ながら男女でスパっと分かれているわけでは決して無い。すぐさまそうやって両極端な二元論を根拠に何かを組み立てそれっぽい論を作り論じた気分になるというのは文系の人によくありがちなのだが、世界はそうそう簡単なものではないので注意すべき。
また、個人的には必ずしも男は対策を考えるのが好きとは思えん。そもそも今このエントリにだって、「男は対策好き、女は共感好きだよね」「あーわかる、だよねだよね、俺もそう思う」なレスがついている時点で何かおかしいと思わないか?別に男も共感は求めるし、居酒屋など男の愚痴と共感の嵐、独壇場である。増田でも失恋した、といってグダグダ管を巻いているおそらく男によるエントリが多数見受けられる。逆に女性が対策を尋ねているエントリも多数見受けられる。
何か男は「共感を求めるのは感情的系ぽくてカッコワルイ、対策を考えるって方が、頭がいいっぽい」などと思い見栄をはっているだけでないか、と個人的には思うのだが、それはさておき、これは状況の問題もあると思う。
人というのは、よほど極端な人でないかぎり、通常、自分が愚痴るときは共感してほしいが、他人が愚痴ってるときは一言言いたいのである。
だからその時どちらに役柄が回っているか、というだけの話なのだ。女性が多数いると思われる小町なんかを見てみれば、さて彼女達は相談者に対して「わかるー」だけを言って終り、だろうか?そうではない。むしろビシバシつっこんでいく。こうすれば?ああすれば?と具体例をドンドン出していく。そもそも小さい頃自身の母に何か愚痴ったり相談したりしたら「こうすればいいじゃないの」と言われた経験はないだろうか?
「男は対策をいいたがるが女は共感してほしがる」という話が出るとき、その背景で想定されているのは「女が何かを相談あるいは愚痴をいい、男がそれを聞く」というパターンだけである。問題は性別というより、その「構造」にある。この場合は、男が聞く側にまわっているから男が対策を言いたがる側になっているだけなのだ。
男が愚痴り、男がそれを聞いている場合でも、結局同じような形が繰り広げられる。中身でなく「構造」に問題がある。
男が愚痴り、女がそれを聞き、「こうすればいいんじゃないの?うんたらこうたら」と言ったら、男に嫌われた、というネタの女性向け4コマは実は結構あるのをご存知だろうか?4コマのネタなんてのはたいがい基本「あるある」系だ。それだけありがちなのだ。女が聞く側にまわったとて、小町のときのごとくやはり対策を言いたいのである。聞く側はいわばぶっちゃけ「何の関係もない」ので、悪く言えば無責任な、よくいえば冷静な事をさらりと言える。
しかしこのパターンがあまり認知され難いのは、そもそも「男にアドバイスすると不機嫌になる→だからしない」というある漫画でいうところの猛禽女が増えていることや、そもそも男性は女性に愚痴りにくい(そうするのがカッコワルイ、という雰囲気は、いまだあるところにはあるだろう)こと、また先ほども言ったが男性側が「俺達は共感とかじゃなくて対策を言いたがるんだよね、論理的で、頭いいんだよね、俺達」と見栄を張りたいがゆえに気付こうとしないなど色々あげられる。
そもそもこういう男女ネタでは大抵男の方がいいように書かれている。別に論理的と感情的は相反するものではそもそもないが、一般レベルだと相反する感じがするし、また論理的といったほうが「アタマイイ」感じがするので、一般的に「論理的」と言われたほうが嬉しいのである。今の時代は。だから男はこういった男女ネタを支持する。支持すれば、別段何が変わったわけでもないが、自分が男と言うだけで優れた気になれるからである。白人による黒人差別にはヨクナイ!なんていったりしてみても、日本人は欧米人より知能が上である、といった論説は案外「あーそうかもー」とかいって飲み込んでしまうのに似ている。要は都合がいいから信じるし、「俺もそう思ってた」「あるある」なんていってみたりするのだ。まあ、確かに、自分に都合のいい論というのは大変に甘い汁であって、「本当にそうか?」と突っぱねるのは結構勇気がいるものではあるのだが。
http://anond.hatelabo.jp/20080413234140について、
俺を含む古参ゲーマーにとっては前者のほうは本当に「あるある」で後者は本当に「ねーよ」なので、
「この増田氏も嫁もあるあるねーよギャグが分かってないと見えるな」はちょっと違うと思うんだけど、どうなのかな。
最初ブクマを見たときは普通に「こいつらわかってんなー」と思って特に何も考えず眺めてたんだけど、
嫁に見せたら「どっちもねーよ」って言われたので、
「ええ? 普通じゃないのこれ?」
「そんなわけないだろう? おかしいだろ?」
「そうか冷静に考えるとそうか。面白いな!」
となって、エントリ化したのでした。
「いや、僕は大学生から」
「いやもう私はバリバリ……」
「まさか中学から?!」
「いや、小学……」
「ちょっwwwwwwww早すぎwwwwwwww」
「いや当たり前だろwwww」
「やっぱテニスの王子様とか一度は通る道なの?」
「あー。通る。通るね。ていうか通った」
「通ったんだ」
「中学の時ね……まず青学の誰かにハマるじゃん。で学年があがっていくごとに違う学校のメンバーにうつってって、高校の時は氷帝にずっぽりと……」
「そうそう」
「ハマってたんすねえ」
「ハマってた。ずっぽり。で、氷帝で、かなりフィーバーして、突如テニス熱は終了した」
「なんでw」
「いや、別の作品にハマっちゃって」
「あー。まああるよね」
「で別の作品って?」
「んー。アカギとか。福本系にその後どっぷりハマって」
「いきなり濃ゆくなったなー……」
「まだその時、アカギとかアニメ化してなかったから、イマイチ知ってる人いなくて。知っててもカイジくらいで」
「あー。でそれいつごろ?」
「高校生ごろ」
「あー」
「男子には、チラホラいたんだけどさ。結構、クラスの中でカイジ回し読みとかしてる男子たちとかいてさ」
「話しかければよかったじゃん」
「えー、無理無理無理w突然『それカイジだよね?』とかいって割り込めと!?」
「いいじゃん」
「やだよ。そんなん『え?何この女キモっ』って思われるのがオチじゃん」
「えー。そうかなあ」
「えっ?何歳のアカギ?」
「オールてw」
「何歳のアカギもいける。いけすぎる」
「や、確かに、アカギは格好いいと思うけどw」
「で、帰宅するときとか、毎月2回、駅構内のキヨスクできんま買って」
「きんま?」
「近代麻雀。私は略して近麻(きんま)って呼んでる」
「そんなん買ってたの女子高生wwwwwwww」
「買ってたよ。制服で」
「そっちの方が勇気いるわい!キヨスクなんか店員にこれ下さいっつってお金払うだけじゃん」
「うーん(わからん…)」
「で、まっすぐ家に帰らず、夜遊びしてきたりもした」
「何?!夜遊びって」
「某駅の大型書店」
「よ……あそびか?それ」
「夜遊びだよ!閉店の8時間際までいたから」
「ハァ……健康的ですよね……」
「バカにすんなwwwwww」
「だってwwwwていうか、夕ご飯はどうしてたの?」
「駅構内の立ち食いうどん屋で食べてたよ」
「オッサンじゃんwwwwww」
「当時女子高生だっつーのコノヤロー」
「近代麻雀買って立ち食いうどんとかいくらなんでもオッサンすぎる」
「でも近代麻雀は面白いし立ち食いうどん屋は手っ取り早くうまいうどんを食えて便利だから仕方ない」
「吉牛とか一人でいってそうだなその調子じゃw」
「いやまあ普通に行ってたけど?」
「ちょwwwwwww女子高生wwww」
「なんで?」
「なんか、いいじゃん。女子高生っていう響き。女子高生って漫画も面白いけど」
「いや漫画は知らんけど。まあ、響きはいいよね」
「いいよね。それに制服があるし」
「何、制服好きなの?」
「フツー嫌がるよね制服」
「いいじゃん制服ー。せっいふく!せっいふく!」
「学ランとかは?アリ?」
「全然アリ。いける」
「制服かー」
「そういう○○クンも、セーラー服とか好きなくせに!」
「うん……まあ大好きだけど」
「ほらみたことか!ほれせっいふく!せっいふく!」
「せっいふく!せっいふく!」
こういうとき、僕はどんなふうに返せばいいのだろう。
この間飲みにいったときに、僕が片思いをしていて振られた相手の子も来ていたんだけど、いやまあそのこと自体は今となっては別にどうでもいい事で、あまり気にもしていないんだけど、その時に、話の流れ、というか友達に話を振られて、ラダー理論の説明をいつものとおり、かなり適当にした。
ラダー理論自体の内容はここには書かないので、気になる人はぐぐるなりなんなりしてほしいのだけど、実のところ僕はあまりこれを信じているわけではない。ただ、人によって、「そんなことない」とか、「あるある」とか、それぞれの反応が違っていて、それが楽しいという野次馬根性的なものでもって、この話をよくしたりする。
そういう訳で、このときも半分冗談っぽくこの話をしたのだけれど、当の僕が片思いをしていた人も、ちょっと考えるふうの顔をして、「あー、でも私はそういうのあるかも」と言った。と、ここで始めて気がついたのだけれど、過去形とはいえ、好意をもった相手にこういうことを言うのは初めてで、どういう反応があるにしても、こうもやっとした気分になるのだろうなと思い至った。
その、「ある」という答えに対して、「そうですよね、僕は違うほうを上ってたんですよね、サーセン」というのも卑屈にすぎるし、「じゃあ、僕はどっちのほうだったの?」というのも、これから口説こうとする相手なら兎も角、振られた相手にそれはちょっとない。
結局、曖昧な表情で「へえ、そうなんだ」くらいで終わらせたのだけど、こういうとき、どう返せばいいんだろうと、少し思う。