2024-08-18

パンティーがつまらなくなった

昔のパンティーはよかった。

夢があった。

そもそもパンティーとはなにか。

男を興奮させるためのものだよ。

パンティーの歴史を知らないものパンティーは女性を守るためのものだと思っている。

そうじゃない。

パンティーは男を誘うためのものだ。

人類史における最も古いパンティーを私は知らない。

原人が始めて服をニ枚履きした時、肌に接していた側が今で言う下着となり、それが今でいうパンティーになったのだろう。

最古のパンティー、それは確かに身体を守るためのものだったはずだ。

だがそれらはパンティーというよりも、二枚目の補助的な服であったと言える。

我々の考える本当にパンティーらしいパンティーとは違ったパンティーだ。

では我々に馴染み深いパンティーの元祖はなんだろうか。

それはドロワーズである

所謂かぼちゃパンティである

19世紀においてスカート文化の発展と共に用いられるようになったこパンティーは人々にチラリズムという発明をもたらした。

社会が豊かになるに連れ人々はより即物的なチラリを求めノーパンを持て囃した時代もあったがあれは大いなる間違いだ。

女性が男にその秘密を全て曝け出すのはベットの上であるべきであって、道行く人々に見せていいのはその直前までだ。

たとえそれが接待に使われる鏡張りのしゃぶしゃぶハウスであっても、不特定多数の目に晒すべきではない。

隠すべきものは隠されているから美しく、それでいながらも身近であって欲しい。

そのバランスを維持するのがパンティーという絶対的境界線なのだ

だが現代社会は用意に手に入るエロに溢れパンティーは力を失っている。

パンティーのありがたみ、パンティーとの距離感パンチラロマン、あらゆるものが失われていく。

パンティーがつまらない。

これは人生がつまらないのと同じだ。

バランス失われた世界

パンティーへの夢が失われた世界

バッドエンドの向こう側。

ハッピーエンドの失われたあと。

パンティー、それは昔日の光、現代の闇。

パンティーをまた楽しめると、いいよな。

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