「戦争は二度と起こしてはいけない」小さい頃から教えられた、戦争を起こさないように、とのメッセージ。
「戦争、好きですか?」と問われて「好きです」と答える人はいない。
自分や、愛する人が傷つけられたり、殺されてほしくない。今の平穏な生活が続いてほしい、というのが正直で普遍的な心情だろう。
先の戦争を経験した先人からのメッセージも「愛する人が無惨に殺されるのはとても辛い。何が何でも戦争を回避せよ」というものがほとんどだ。
しかし現実問題として「ヤツラが攻めてきたらどうする」がある。
これに対して「戦わない、逃げる」と答える人もいるが現実的に攻め入られた時に戦わない、逃げると主張することはとても難しい。
「当然戦う」が答えになる。「妻子ら愛する人が殺されても黙って見ていろというのか」と責められて言い逃れできる人はいない。
「愛する人が無惨に殺されるのは辛い、だから何が何でも戦う」という結論になる。
この心情を一言で言うなら「君を守りたい」というフレーズになる。ラブソングの究極のテーマであり、自衛隊のキャッチコピーでもある。
なぜなら俺達は四六時中「愛する人を守りたい」ということばかり考えている。それこそが、俺達の意味のない人生に意味を与えてくれるかもしれない、唯一の価値観だからだ。愛する人を守るためならなんだってするだろう。だから俺達は本当は戦争が大好きだ。戦争は不可避だ。
「国を守る」ということも、つまりは「自分や身近な愛する人を守る」ということを敷衍させた概念であり、本質は同じだ。それが戦争の本質なのだ。
しかし俺達がよく知っているように、愛する人を守るための戦争が愛する人を殺してしまう。ものすごい矛盾がここにある。
この矛盾を解決した人は誰もいない。俺達はこの先もずっと「君を守りたい」の矛盾に右往左往しつつ、大好きで大嫌いな戦争をやり続けるだろう。
やりたくないけどせざるを得ない、をどうして「大好き」と定義するの?