中学生の子供が本屋で名著を手に取ったら親がそれを本棚に戻して代わりにトンデモ本を手渡した話を読んで、それって実際にどういう光景なんだろうって想像してみた
まず、『アルジャーノンに花束を』と『バッタを倒しにアフリカへ』とトンデモ本が同じコーナーに並んでる必要がある
どこか違うコーナーから持ってきた本だと、傍から見ている程度の目撃者には親が手渡した本をトンデモ本であると識別しにくいはずだ
中学生が親同伴で本屋に来店するというのは、たぶん親の車に乗せてもらってそこに来ており、つまりちょっとした家族イベントで買い物に来ていることがわかる
購入する本の最終的な選択権を親が有しているところを見るに、おそらく支払いをするのは親だ
トンデモにハマる人間というのはとにかくそのトンデモな認識を共有してもらいたがるから、言うことを利かせやすい自分の子供には既にいちど布教を済ませているはずで、わざわざ本を買い与えて再布教を試みているところを見るに、その時布教に失敗して、以来、自分の子供にトンデモさんとしてうっすら遠巻きにされていることを自覚している
ここでトンデモ本を渡したのは「お前は誤解している。これを読んで真実を知ってくれ」と思ってのことだろう
本屋があるような大型商業施設に家族で買い物に来ていることから、おそらく世帯年収は中かそこより上だ
なのに親から本を買ってもらうというのは、本が欲しいからというより親子のコミュニケーションを欲したからであり、名著を選んだのは読みたかったからではなく名著を読む自分をアピールすることで親の歓心を買おうとしたからだ
歓心を買いたいのは、親の事が好きだからだろう
バッタの本ってトンデモ本っていうか昆虫学者の話しで面白く読める奴じゃん何が不満なの
なるほど! まず、『アルジャーノンに花束を』と『バッタを倒しにアフリカへ』とトンデモ本が同じコーナーに並んでる必要がある という書き方をすると、"トンデモ本" が "『バッタ...