2024-06-03

   舟渡2丁目には結論から言って一戸建てが並んでいる。視認できる、技術的に構成されたものといえば、それと車である。これをまたお前の価値観で言っても、それが食べられるかというとき

 あらゆる角度からみても、家というものが残っていてそれが見えるだけで中に何が住んでいるのか分からない。それだけここの住人は外に出てくるということがない。その、外出しないということについて、

   なんで外出しないのか、というときに、自分社会的摂取できない、食べられるようなものではなく恥ずかしいから出て来ない、というのは飽くまで警察の、昔からある、他に手の取りようがないか

  仕方がなくそう考えているといった、くだらない建前というものであろう。私ははっきりいってここを5年前からみているが、家があることしかたことがなく、何が住んでいるのかということを見たことがない。

   またこの辺に、自分摂取できるようなものではない、社会的に食べられるようなものではなく恥ずかしいか世間体があるから出て来ないのだという通念がここにあるとは思えない。

  更に東京埼玉にはそういう通念があるようなところではないので、この辺に住んでいる人間の何を考えているのか分からないこと甚だしいものがある。車の番号では、ひたすら、 ちっ、などと言い、

   そういう人間他人に食べさせるなどということを考えているとは思えない、その意味でも、こいつらに、自分摂取できるようなものではない、世間様、他人様に害を及ぼす存在から我慢しているのだ

  といったような考えがあるとは思えない。そんな善良な考えをしている者が、ちっ、などと舌打ちをするはずがないかである。確かに、令和3年の東京大学の現代文問題は、 食べる話、江戸妖怪

   といった論文が出ている。そのように、東京大学が、食べることと、今の東京江戸であって、そこに妖怪が出ると考えているのではないかということが理解できる。

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