天照が夢の中で再現できたのは意外。
目を図案化した図形を指で書く仕草を空ですると。発動条件はだいぶ異なるが、ちゃんと目線があった部分に黒い炎が沸いた。
指で気をためて、指先に集まった気が球体の状態で明滅してるところまでは再現されるのだが、その気を放った途端、光線であるべき気が納豆の糸のようになってしまう。
ちゃんと格好良く光線のドドン波放って攻撃したいのに締まらないんだよなあ。
技の構造を脳が根本の部分で理解しきれてないってことなんだろうか?技を放とうとするときの身体の中の気の流れやそれにリンクした技の発動者が感じる感覚の関係というか。
個人の考えだが夢で見ることは自分という人格とは異なる別の人格が考えてることや想像してることも反映されるものだと思ってる。
夢で全然現実では見たことも考えたこともない景色を見るのは自分とは異なる人格が同じ身体にあって、その人格は自分の体を直接動かせるものじゃないが(もし動かせるとしたら相反する行動を主人格とそれ以外の人格が行おうとした場合のなんらかの妙なことが起こっていなきゃおかしい)確かに自分の身体の中にあって、五感を共有し自分とは別に独自の思考をしているからだと思っている。
あと夢の中だと現実では絶対持ち上げられないような質量を持ってるはずの物体を振り回して敵を圧倒するということもよくしてる。