2023-01-02

[]ヴィクトリーファウスト

1880年アメリカカンザス州に住むドイツ移民の家庭に生まれた。

1911年MLBニューヨーク・ジャイアンツを訪ね、

監督のジョン・マグローに「自分ジャイアンツの優勝に貢献する投手になると占い師予言された」と話した。

マグローは冗談で彼に入団試験を受けさせたが、その日からジャイアンツが連勝しはじめたため、ファウスト入団許可された。

当初、ビジター試合にはファウストを連れて行かなかったが、なぜかジャイアンツは苦戦した。

ファウストを帯同した場合ジャイアンツは36勝2敗という驚異的な成績を収めた。

ファウスト地元新聞紙に取り上げられて人気者となり、ベンチ内ではジョーク飛ばしてチームの士気を高めた。

その年、ジャイアンツリーグ優勝を果たした。

ただしワールドシリーズではその神通力は発揮されず、ジャイアンツアスレチックスに敗れた。

優勝決定後、ファウストは2試合で9回を任されて1失点に抑えた。

しかし、もちろんファウスト野球の才能はなく、その投球はへろへろだったという。

翌年もファウストはチームに帯同し、ジャイアンツは最高のスタートを切った。

ファウストがいた時期のジャイアンツ勝率は8割を超えたという。

だがファウストがあまりにも「投手やらせろ」とうるさかったので、マグローはとうとう彼を解雇してしまった。

チームの連勝は止まったものの、最終的にジャイアンツは優勝した。

その後、ファウスト1914年精神病院に入れられ、認知症と診断された。

そして翌年、ファウスト結核で死去した。

それから50年間、ファウストは忘れ去られていたが、

当時のチームメイト談話きっかけで再注目され、今ではカルト的な人気を誇っている。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん