2022-12-12

対人関係から自己観察する「仕事したくないけど仕事したい」心理

仕事したくない。

会社の人たちは友達じゃないから、

話し手側の時は常に「こんなこと言ったらこう思われるんじゃないか」と不安だし、

受け手側のときは常に「相手真意言葉そのままか」を気にして、

日に日に神経がすり減っていく。

かといってこの5日間を2日間でさっぱりと洗い流す回復力も、相手より自分を優先する胆力やバランス配分能力も、今の自分にはない。

けど、仕事したい。

家の人や友達は気の置けない間柄だから安心して話し続けられるけど、

安心できる話題安心できる方向性しかさないから、それが世界共有の価値観なんじゃないかと、自分が「普通」なんじゃないか錯覚する。

あるいは逆に、自分に対する「普通」の姿を押し込められた心地になり、窮屈さを感じる。

どこにもありはしない「あるべき姿」から外れる物事へ、対他者にせよ対自分にせよ、徐々に不快感を憶え、排除に走り、同時にやがて孤立するのではないかと怯える。

そうならないために自分が選んだわけではない「同僚」と、自分の知らないことばかりが待つ「仕事」をしたい。

そもそもコミュニケーションでこんなにすり減る自分じゃないければもう少し仕事たかたかもしれないし、

もう少しありのまま自分を受容できれば仕事しないことに全力を尽くしても罪悪感を憶えなかったかもしれない。

半端な自分は半端に心身の調子を崩して、ずっと悩んだまま、

小池栄子演じる北条政子が放った「生きていくって大変なのよ」をちらつかせて、明日の出勤に怯えている。

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