仕事したくない。
話し手側の時は常に「こんなこと言ったらこう思われるんじゃないか」と不安だし、
受け手側のときは常に「相手の真意は言葉そのままか」を気にして、
日に日に神経がすり減っていく。
かといってこの5日間を2日間でさっぱりと洗い流す回復力も、相手より自分を優先する胆力やバランス配分能力も、今の自分にはない。
けど、仕事したい。
家の人や友達は気の置けない間柄だから安心して話し続けられるけど、
安心できる話題や安心できる方向性しか話さないから、それが世界共有の価値観なんじゃないかと、自分が「普通」なんじゃないかと錯覚する。
あるいは逆に、自分に対する「普通」の姿を押し込められた心地になり、窮屈さを感じる。
どこにもありはしない「あるべき姿」から外れる物事へ、対他者にせよ対自分にせよ、徐々に不快感を憶え、排除に走り、同時にやがて孤立するのではないかと怯える。
そうならないために自分が選んだわけではない「同僚」と、自分の知らないことばかりが待つ「仕事」をしたい。
そもそもコミュニケーションでこんなにすり減る自分じゃないければもう少し仕事したかったかもしれないし、