2022-11-17

叔父とボクと魚のゆくえ

叔父は魚釣りをする。

ボクは叔父の釣ってくる魚が楽しみだった。

だけど、ある日、仲卸業者と名乗る男が現れてから、すべてが狂い出した。

叔父は釣った魚を市場で売るようになったのだ。

叔父さん、叔父さん、今日はお魚は無いの?

「すまんな。全部、競りに出しちまったんだよ」

次の日、市場に出かけた僕は、そこで叔父の魚が競りにかけられてるのを見た。

男たちが声を張り上げて、魚を手に入れようとしている。

最終的に付いた値段は到底ボクが出せる金額じゃなかった。

数年後、都内就職したボクは、上司に連れられて赤坂寿司屋に入った。

緊張してネタの味も解らなかったが、ある一貫の寿司を口に入れたとき、奇妙な直感に捕らわれた。

これは、叔父の魚だ…。

手の届かない世界を行き交う魚。もう二度と食べられないと諦めていた叔父の魚。

その魚と故郷を遠く離れた寿司屋で、偶然、めぐりあう。そんな奇跡があり得るのか?

真実はどうであれ、ボクは、この懐かしい味は叔父の釣ってくれた魚なんだ、と信じたいと思った。

そして同時に、強く・強く・あの仲卸業者の男を憎んだ。

男に悪意があったかどうかは分からない。たぶん、ただ金儲けがしたいだけだったんだろう。

しかしそれでも事実上叔父の魚をボクから奪った男を、ボクは強く憎んだ。人生で誰かをこれほど憎んだことってないぞってくらいに。

だって男が存在しなければ、こんな遠回りをしなくても叔父の魚が食べられたはずじゃないか

問題仲卸業者の男と転売ヤーの違いを述べよ。

この一連のオリジナル文章を通して、まずは自分自身の頭で、答えを見つけようとしている。

理解できないことに遭遇したら、大体いつもそうしている。

生焼けの考えをホワイトボード増田に書き殴って行くうちに、頭は冷え、余分なディティールは落ち着いていき、やがて予想もしなかった未知の結論に導かれることがよくある。

だがいまのところグリップを掴んだ感覚はない。少なくとも今はまだ。

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