ボクは叔父の釣ってくる魚が楽しみだった。
だけど、ある日、仲卸業者と名乗る男が現れてから、すべてが狂い出した。
「すまんな。全部、競りに出しちまったんだよ」
次の日、市場に出かけた僕は、そこで叔父の魚が競りにかけられてるのを見た。
男たちが声を張り上げて、魚を手に入れようとしている。
最終的に付いた値段は到底ボクが出せる金額じゃなかった。
数年後、都内に就職したボクは、上司に連れられて赤坂の寿司屋に入った。
緊張してネタの味も解らなかったが、ある一貫の寿司を口に入れたとき、奇妙な直感に捕らわれた。
これは、叔父の魚だ…。
手の届かない世界を行き交う魚。もう二度と食べられないと諦めていた叔父の魚。
その魚と故郷を遠く離れた寿司屋で、偶然、めぐりあう。そんな奇跡があり得るのか?
真実はどうであれ、ボクは、この懐かしい味は叔父の釣ってくれた魚なんだ、と信じたいと思った。
そして同時に、強く・強く・あの仲卸業者の男を憎んだ。
男に悪意があったかどうかは分からない。たぶん、ただ金儲けがしたいだけだったんだろう。
しかしそれでも事実上、叔父の魚をボクから奪った男を、ボクは強く憎んだ。人生で誰かをこれほど憎んだことってないぞってくらいに。
だって男が存在しなければ、こんな遠回りをしなくても叔父の魚が食べられたはずじゃないか。
この一連のオリジナルの文章を通して、まずは自分自身の頭で、答えを見つけようとしている。
理解できないことに遭遇したら、大体いつもそうしている。
生焼けの考えをホワイトボードや増田に書き殴って行くうちに、頭は冷え、余分なディティールは落ち着いていき、やがて予想もしなかった未知の結論に導かれることがよくある。