内面と外面は違う。アンサーは出せていると思う。
内面要素の、優しさや真面目さは職場で同僚として協調していくのにも、家庭で愛し合って支え合っていくのにも、役に立つ。
外面要素の、男の背の低さや女のオッパイの小ささなどは他方なんの意味もない選択基準だ。バスケットボールプレイヤーの選別とかならば合理的かもしれないが。背の高さで損をすることはないし、乳飲み子を満足させられないなら粉ミルクを使えば良い。確率的の同じ形質が子どもに現れる可能性は高まるが、貧乳の娘を愛せないと言うならばそれはもう親失格だ。外面要素は選択肢から排除する理由として合理的を欠いている。——合理性のない選択基準は一般に偏見と呼ばれる。人間の選別基準に偏見を用いるのは差別と呼ばれる。肌の色を理由にパーティの招待状を送らなかったのが発覚したら、その差別主義者は炎上するだろう。あるいは職場でも家庭でも、背の低い男・胸の薄い女と共に過ごすのは著しくパフォーマンスが下がる、って人は存在するだろう。パフォーマンスが下がるなら排除するのは合理的ではないのか…? 話のポイントはここにある。その差別主義者が差別的価値観を長年培ってきたことに原因があるのだ。自らの物差しを社会的な評価に晒す勇気を持たず、不合理な偏見を膨らませてきた怠慢が問題なんだよ。未熟なコミュニケーション能は他人を傷つける。その未来に気付きながら、たとえ同僚や恋人を傷つけることになっても「まあいいか」と甘えて成長しないでいること自体が不合理な選択。それが答えだ。
反ルッキズムの話って結局のところ なんで「内面要素の優劣判断はOKで外見要素の優劣判断はNGなの?」っていうのにアンサーだせてないから理屈歪みまくってるよね 内面での判定もNG...
内面と外面は違う。アンサーは出せていると思う。 内面要素の、優しさや真面目さは職場で同僚として協調していくのにも、家庭で愛し合って支え合っていくのにも、役に立つ。 外面要...
内面要素の、優しさや真面目さは職場で同僚として協調していくのにも、家庭で愛し合って支え合っていくのにも、役に立つ。 外面要素の、男の背の低さや女のオッパイの小ささなど...